ジョン・V・ルース駐日米国大使

ジョン・V・ルース大使

ジョン・V・ルース大使

*下記の日本語文書は参考のための仮翻訳で、正文は英文です。

 ジョン・ルース大使は、日米関係の歴史的転換期に駐日大使を務めている。着任直後、日本の政権は自由民主党から民主党へと交代し、ルース大使は政権交代期における日米関係の維持に重要な役割を果たした。3年半後、自由民主党が政権に復帰し、大使は再び政権交代への対応を求められた。

 2010年8月6日には、米国政府代表として初めて広島平和記念式典に出席した。また、2012年8月9日には、長崎平和祈念式典に参加した初の駐日米国大使となった。

 2011年3月11日の、マグニチュード9の大地震、津波そして原子力発電所事故後、大使は、広範な分野で前例のない大災害に対応する日本を支援するという米国の目標達成に向け指導力を発揮した。2011年10月には東日本大震災以前、そして以後に大使が示した卓越したリーダーシップと革新的なマネージメントが評価され、米国国務省から模範的外交官に与えられる「スー・M・コブ賞」を受賞した。

 大使は、着任後3年間で日本の47都道府県のすべてを訪れ、政府・地方自治体の幹部、財界人、報道関係者、学生との関係を築き、活発で実りのある対話を重ねてきた。日米両国が直面する安全保障、経済、世界規模の課題への取り組みのほか、イノベーションと起業家精神、日本が参加の意思を発表した環太平洋パートナーシップ協定(TPP)を含む通商問題など、両国の協力分野を特に重視してきた。経済界への協力が評価され、大使は在日米国商工会議所の「2012年パーソン・オブ・ザ・イヤー」を受賞した。

 大使はまた、東日本大震災後の米国の救援活動を受けてTOMODACHIイニシアチブが創設される際にも指導力を発揮した。このイニシアチブは、日本の次世代のリーダーに投資し、彼らを米国と結び付けることを目的とした、ワシントンDCを拠点とする米日カウンシルとの官民パートナーシップであり、すでに多額の寄付金が集まっている。TOMODACHIイニシアチブでの功績が認められ、大使は2012年12月、広報分野での優れた業績に対して与えられる国務省の特別金賞(Special Gold Standard Award for Public Affairs Excellence)を受賞した。

 オバマ大統領は、ルース大使の指名発表に際し「日米間のパートナーシップは非常に重要です。私は、優れた判断力と卓越した知性を備え、私の親しい友人・助言者であり、最先端技術に関わる民間部門で働いた経験があるだけでなく、公共活動にも深い関心を持つ人物がこの仕事に最もふさわしいと考えました。ルース氏が地域および世界規模での日米関係の強化に貢献できる、と確信しています」と述べた。ルース大使は2009年8月16日に宣誓就任した。

 駐日米国大使に指名される前は、技術系・生命科学系企業や新たな成長企業を顧客とする米国の大手法律事務所ウィルソン・ソンシニ・グッドリッチ・アンド・ロサティで最高経営責任者、それ以前は上級パートナーを務めた。ソフトウエアと通信の発展からインターネットの時代、バイオテクノロジー、クリーン技術、再生可能エネルギーの出現、そしてソーシャルメディア革命に至るまで、シリコンバレーにさまざまなイノベーションの波が押し寄せる中、同事務所を率いる一翼を担った。

 サンフランシスコで育ち、スタンフォード大学を優等で卒業した。その後進学したスタンフォード大学法科大学院から1980年に法務博士号を取得し、全米優等法学生会の会員になった。これまでも公共活動に積極的にかかわり、1991年から1999年までカリフォルニア州教育委員会の委員を務めた。東京着任まで、スタンフォード大学教育学部長諮問委員会と法科大学院学部長諮問委員会のメンバーを務めた。また、スタンフォード大学での長年にわたるボランティア活動により、スタンフォード・アソシエートのメンバーにも選ばれた。スージー夫人との間に、ロサンゼルス子供病院で看護師(新生児集中治療室担当)を務める傍ら、カリフォルニア大学ロサンゼルス校の大学院で学ぶ娘のローレンと、スタンフォード大学で学ぶ息子のデービッドがいる。

(2013年4月5日)