第8回ライフサイエンス・サミットにおける基調講演
*下記の日本語文書は参考のための仮翻訳で、正文は英文です。
J・トーマス・シーファー駐日米国大使
2008年4月21日、東京
ライフサイエンス推進議員連盟の尾身会長、日本バイオ産業人会議の歌田世話人代表、ありがとうございます。本日はこの場にお招きいただき、光栄に存じます。第8回ライフサイエンス・サミットでは、日本や世界から優秀な頭脳が集まり、バイオテクノロジーの期待あふれる展望や実績について議論し、分析し、情報を提供していただけることと伺っております。こうして皆様の前でお話する機会をいただき、恐縮すると同時に感謝いたしております。
主催者であるライフサイエンス・サミット実行委員会ならびに財団法人日本バイオインダストリー協会の皆様にお礼を申し上げます。この会議は日本にとっても全世界にとっても有益なものとなるでしょう。また、この活動を主導してくださっている尾身前財務大臣にも感謝申し上げます。尾身氏は科学技術が人類を救い得ることを理解され、科学技術の進歩のために辛抱強く取り組んでこられました。誠にありがとうございます。
科学技術が国民の健康や福祉に重要な役割を果たしていることにたびたび気付かされます。20世紀への変わり目であった1900年、米国の出生時平均余命は46歳でした。そして21世紀への変わり目の2000年、米国の出生時平均余命は78歳になっていました。ここ日本では平均寿命はそれ以上に伸びていますが、これをもたらしたのが20世紀における科学技術、特にバイオテクノロジーの劇的な進歩です。21世紀にはこうした進歩がさらに加速すると見込まれています。今回のサミットの議題が重要であるのは、それが人々の生活を良い意味で変化させる潜在性を持っているためです。その応用分野が医療であれ、工業であれ、農業であれ、バイオテクノロジーは病める人に健康をもたらし、貧しい人に繁栄をもたらし、飢えた人に食糧をもたらします。そうした過程に手を貸し、その恩恵ができるだけ速く、できるだけ多くの人に感じられるようにすることがわれわれの仕事です。
本日は、農業におけるバイオテクノロジーの恩恵について私の考えを述べさせていただきます。駐オーストラリア大使時代、私はオーストラリア農業生産者協会のピーター・コリッシュ会長の農場を訪問し、農業がどれだけハイテク化されているかを知りました。
ピーターは、GPS(全地球測位システム)を利用して、畝(うね)をこれ以上はないというくらいまっすぐにつけるトラクター、水を最大限に活用できるよう耕地をちょうど良い状態にならすためのレーザー、最も効果の上がる施肥場所を知るために利用する衛星画像などを紹介してくれました。しかし、その日に見たものの中で私が最も感銘を受けたのはピーターの栽培している綿花でした。その綿花はピーターの父親が栽培していた綿花と比べて必要な水の量がはるかに少なかったのです。綿花畑を歩いているとテントウムシなどの益虫が数多く見られました。こうした益虫は綿花が昆虫によって食い荒らされないよう自然の防護となります。それもこの綿花に必要な農薬がかつての品種と比べて50%も少ないおかげです。農薬は害虫ばかりでなく益虫も殺してしまいますし、農薬はかんがい用水が元の川に戻る前に除去される必要があります。この綿花は、それまでのものと比べて栽培しやすく、環境への害が少なく、使用する天然資源が少なく済むばかりでなく、1エーカー当たりの生産量もピーターがそれまで栽培していた綿花と比べて信じられないほど多いそうです。では、この魔法の種とも思えるものをピーターはどこで手に入れたのでしょうか。その生産のために必要な科学研究に何百万ドルも投じたアメリカの会社からでした。
何百年も前から農業従事者は、より良い家畜を飼育する方法、より良い作物を栽培する方法を試行錯誤してきました。18世紀には、ジョージ・ワシントンやトーマス・ジェファーソンといった人物が、繰り返し豊作となるよう農作物の成長を詳細に記しています。また、家畜や競走馬の生産性や望ましさも記しています。
その後、19世紀半ばにグレゴール・メンデルというオーストリアの司祭が現れ、彼の科学実験が近代遺伝学の発見へとつながりました。しかし、メンデルの理論が真実であると認められたのは20世紀初めになってからのことでした。チャールズ・ダーウィンのような著名な科学者ですら、メンデルの理論はまったくの誤りであると考えていました。しかし、他の遺伝子よりも優性の遺伝子があり、動物や植物の生命の向上をもたらし得るというメンデルの理論は正しかったのです。
現在、メンデルの研究成果に基づいて、世界中で何千人もの科学者がこれまでにない優れた食用作物を科学の力で生み出せることを証明しようとしています。その日、私は次のような2つのことを認識してピーター・コリッシュ氏の農場を後にしました。農業はハイテク産業であること、そして技術によって世界に食糧と衣服を供給できることです。もう誰も飢えることはないのです。
では、科学の力による農業の進歩の多くに対して社会の抵抗があるのはなぜでしょうか。遺伝子組み換え作物(GMO)をあれほど恐れる人がいるのはなぜでしょうか。古い迷信の産物よりも最新の科学の産物を恐れる人がいるのはなぜでしょうか。それは、科学が、われわれの説明能力が追いつかない速さで進歩しているからでしょうか。そうかもしれません。私が思うに、政府の人間であろうとなかろうと、われわれには科学や常識を不合理な考えや無知から守る義務があります。科学がわれわれの必要とするものを提供してくれる可能性は、神話的通念や陰謀説よりもはるかに高いといえます。
バイオテクノロジーのおかげで、農業生産者は病害や干ばつや害虫の影響を受けにくく、吸肥効率が良く、しかも雑草防除のしやすい作物を栽培することができます。その結果、収穫高が増大し、生産性が高まり、消費者にとっても、より安全な農産品が得られます。それのどこに問題があるのでしょうか。
バイオテクノロジーにより開発された作物(バイテク作物 ― 注を参照)の利用は過去10年間にわたり2けた成長を遂げています。2007年には、バイテク作物は世界23カ国の1億1400万ヘクタールで栽培されました。米国は最大のバイテク作物生産国であり、アルゼンチンとブラジルがそれに続いています。これを総体的に見ると、昨年のバイテク作物の栽培面積は日本の総国土面積の約3倍に相当します。バイテク作物を栽培する農業生産者数は1200万を突破しました。その一部は米国、オーストラリア、カナダ、ヨーロッパの生産者ですが、90%以上は途上国の小規模で資源の乏しい農業生産者です。バイテク作物の利用は大きく、成長しつつあり、一国の経済発展のレベルを超えています。
世界中の農業生産者がバイオテクノロジーを利用しているのはなぜでしょうか。それは効果があるからです。バイオテクノロジーは、収穫量が多く、環境に優しく、そして何よりも人間が安全に摂取できる作物をもたらします。また、農業生産者はこうした作物を利用することによって収益性を高めることができます。農業生産者の経済的な健全性を向上させることは、日本も含め、ほとんどの政府が望んでいる政策です。
日本がバイテク作物の世界最大の輸入国であると聞くと、皆様は意外に思われるかもしれません。というのは、何百万トンものバイオテクノロジーにより開発された穀物が輸入されているのですが、それらは動物飼料や植物油用であるためです。しかし、日本の消費者の多くはバイテク食品を口にしたがりません。米国大使館は2004年と2005年に農業バイオテクノロジーに対する日本人の意識に関する調査に参加しましたが、その結果は残念なものでした。
日本の消費者が食の安全に関心を持っていることは、われわれも以前から認識していたのですが、消費者がバイオテクノロジーを通じて開発された食品の長期的な「未知の」健康影響を懸念していることが新たにわかりました。日本の多くの消費者が、バイオテクノロジーが自分たちにもたらす恩恵は何もないと思うと回答しています。それ以上に懸念されるのは、調査にご協力いただいた日本の消費者の方々は日本政府がバイオテクノロジーに対して好意的であるかどうかがよくわかっていなかったという事実です。
バイオテクノロジーを利用して開発された食品が日本のスーパーマーケットから締め出されている1つの要因は、政府がそうした商品の「GMO」表示を義務付けていることです。今日まで日本の食品メーカーや小売業者はGMO表示された食品の市場テストをしようとは考えていないようです。われわれは、健康効果のある食用油などの新製品によってこうした状況が変わることを期待しています。たとえば、バイオテクノロジーを利用し開発された大豆によってトランス脂肪酸を含まない食品の種類を増やすことができます。また、バイオテクノロジーによって、人体で生成できないオメガ3脂肪酸を豊富に含む大豆を作出することができます。オメガ3脂肪酸を多く含む食品は循環器疾患のリスクを下げることが研究で示されています。そうした新製品も「GMO」表示がされるわけですが、それによってバイオテクノロジーに対する現在の消費者の意識が変わることを期待しています。
バイテク作物は栄養不良や病気への対策にも役立ちます。世界保健機関によると、食事でのビタミンA、ヨウ素、鉄分、亜鉛などの欠乏は病気や死亡の大きな原因となり得ます。ビタミンAの欠乏だけでも毎年50万人もの子供の失明の原因となっています。「ゴールデンライス」のようなバイテク作物の摂取によって、こうした状況を防ぐことができるかもしれません。ここ日本でも、政府、大学、企業の研究者から成るチームによってコレラワクチンの働きをするコメが開発されました。この種のバイオテクノロジーによって、苦しみが軽減され、多数の生命が助けられることでしょう。
米国商務省国勢調査局によると、2042年までに世界人口は50%増加して90億人に達すると予想されています。わずか1世紀足らずで地球の人口が3倍に増えることになります。所得の増加や都市化によって食習慣も大きく変化します。世界の食糧経済はますます畜産物へと移行しつつあります。魚、肉、乳製品の1人当たり消費量が、特にアジアで大幅に増加しつつあります。これは悪いことではなく、良いことです。しかし、それによる究極的な影響を考慮しなければなりません。
2030年までにはさらに年間10億トンの穀物が必要になることでしょう。そして、この量は2000年の生産高の50%増に相当します。2050年には世界の穀物需要が2倍になると予想されており、アジアの途上国がそうした世界需要の増加分の半分を占めることでしょう。
そうした数十億人分の食糧はどのように供給されるのでしょうか。それは技術を通じてです。少ない土地で、より多くの食糧を生産し、環境負荷を最小限にするためには、技術を利用しなければなりません。農業生産性が上昇しなければ、2050年までに新たに16億ヘクタールの土地を耕地に転じなければなりません。そうなった場合、環境に破滅的な影響をもたらし、温室効果ガスの削減はほとんど達成不能になります。環境を破壊することなく食糧を供給することが課題となってきます。人類には利用可能なあらゆるツールが必要ですが、バイオテクノロジーに優るツールはありません。
日本はすでにカロリーベースで食糧の60%を輸入しています。食糧安全保障は大きな社会的関心となっており、またそうあるべきですが、日本は、より大きなアジア市場の一部にすぎません。日本の消費者がいつまでもバイオテクノロジーに対する不安を抱えていたのでは、日本が世界市場から締め出される可能性に直面する期間もそれだけ長くなります。これこそが、良い食糧安全保障とは何かということの本質です。
米国は日本にとって最大の食糧供給国です。すでに日本の穀物輸入業者は、トウモロコシ供給の逼迫(ひっぱく)、穀物価格の記録的な高騰といったエタノールブームの影響を感じています。米国は日本に対し、これからも世界で最も信頼できる食糧供給国であり、米国の農業生産者は米国内にも日本にも十分供給できるだけの生産能力を備えていることを請け合います。しかし、米国が需要の高まりに対応していくことを可能にする重要な要因がバイオテクノロジーであることを日本の皆様に理解していただかなければなりません。
現在、改良された食用作物の開発で多くの研究が進められています。その2つの例として、乾燥耐性を有した小麦と病害耐性のあるコメが挙げられます。バイオテクノロジーを利用しない作物と収益性の高いバイテク作物の間で限られた耕作地の奪い合いが生じるという事実を考えると、日本の輸入業者がバイオテクノロジーを利用していない穀物を求めようするなら、今後の費用負担はさらに上昇して行くでしょう。
食糧の量、質、価格は、われわれがコントロールできない様々なものによっても脅かされています。干ばつ、洪水、気候変動、植物病害、戦争、農業テロ、人口、政治不安、農地の減少などが食糧供給への下方圧力をもたらします。現在ある、そしてこれから開発されるバイオテクノロジーを最大限に利用することは、理にかなっています。
こうした観点から、日本の規制当局や政策立案者はバイオテクノロジーが世界でどのように利用されているかを細かく見ていくことが急務です。産業界や政府は、バイテク作物の利用についての根拠、安全性、利点を消費者が理解するよう、啓蒙活動を行う必要があるのではないでしょうか。科学を恐れることはありません。科学技術は前進のための手段であって、われわれを縛り付ける鎖ではありません。日本の科学者は医療や工業での進歩に大きく貢献してきました。そうした才能が農業にも利用されるよう呼びかけるべきではないでしょうか。
残念ながら、現在はそのようになっていません。日本は、最新のバイオテクノロジーにより開発された作物の商業生産を行わないことにより、農業の分野で科学界からますます孤立しつつあります。数多くの公的機関が植物の研究を実施していますが、消費者の反対が強いために、そうした研究のほとんどは実地試験の段階までは進んでいません。全世界のバイテク種子の販売高は80億ドルに達しようとしています。一方日本ではバイテク種子の市場が存在しないため、民間企業には日本固有の気候に適した作物を開発しようとする誘因がほとんどありません。
消費者がバイテク作物に対して疑いを持っているため、日本政府は農林水産省、厚生労働省、環境省、食品安全委員会がかかわる複雑な規制制度を設けています。世界の主要な農業バイオテクノロジー企業は日本にも拠点を置いていますが、そうした拠点で研究は行われていません。日本国外で栽培されたバイテク作物を日本で販売するために日本の複雑な規制承認プロセスへの対応をすることが主な仕事です。そうした企業は、米国、中国、ブラジルなどでしているような、その土地の農業の未来のための投資を日本では行っていません。
事実上、日本は戦略的に重要な技術であるバイオテクノロジーで他国と競争しない道を選択してきました。日本政府内の一部ではこの問題が認識されていますが、現在の消費者の意識にどう対応すればよいかはまだわかっていません。2007年6月に日本の内閣府が発表した中長期的な政策目標「イノベーション25」では、「バイオテクノロジー、特に農業バイオテクノロジーに対する国民の理解の促進」が求められています。2007年7月には、農林水産省により設置された委員会がバイオテクノロジー研究の7つの重点課題の構築を求める中間報告を発表しました。こうしたことは好ましい兆しではありますが、バイオテクノロジーに対して一部の消費者や政治家が抱いている抵抗感と比べるとまだまだ弱いものです。たとえば、11の地方自治体がバイテク作物の栽培をさらに制限する条例を定めています。これらの条例は科学に基づいていない政治的な反応です。
バイオテクノロジーに対するこのような反応は、日本の優れた科学者の流出を招いています。考えてみてください。もしもあなたが非常に優れた日本人科学者で、バイテク作物の研究をしたいのであれば、最良の道は、米国やカナダなど研究対象への反発の少ない国に行くことでしょう。
そして最後に、米国は農業バイオテクノロジー産業の成功と安全性のためには透明性があって科学的根拠に基づいた規制が必要不可欠であると理解しています。米国では、環境保護庁、食品医薬品局、農務省が国内の食の安全に対する責任を分担しています。日本で販売される米国からのバイテク製品は、すでに米国の科学界による厳密かつ包括的な安全試験・評価を受けたものとなります。日本に輸出されるバイテク作物は3億人を超える米国民が毎日食べているものとまったく同じものです。米国が輸出している製品と米国民が消費している製品とで安全基準が異なるということはありません。
そうした作物の安全性を保証しているのは米国だけではありません。カナダ、欧州連合、日本、その他の国々でも、政府や学術界の数多くの研究者がそうした製品が人体や環境に及ぼす影響を研究しています。このような研究報告は世界中の学術誌に掲載されており、規制当局や企業が意思決定の判断材料とするための包括的なデータを提供しています。それよりも重要なのは、バイテク食品が市場に導入されてからの10年間に人体や環境に害をもたらした事例が一つも報告されていないことです。
安全性は賢明な規制によって高められます。すでに安全性が証明されているバイテク作物の監視のために限られた資金を費やすことは意味がありません。そうした資金は、リステリア菌、サルモネラ菌、残留農薬の影響といった食の安全問題への対策に費やした方がよいでしょう。日本でも、米国でも、ヨーロッパでも、毎年、食品伝染疾患による死者が出ていますが、バイテク食品の摂取によるものは、死亡例はおろか病気になったという例すら1件もありません。警戒心を抱いている国民にこの事実を伝えることが、バイテク作物に対する日本国民の懐疑的な意識を克服する鍵となります。
日本が取り残される危険にさらされているのは厳然たる真実です。他のアジア諸国は農業バイオテクノロジーの可能性をとらえつつあります。中国はアジア諸国の中でバイオテクノロジー研究への最大の投資国です。インドは全国的な研究機関ネットワークを構築しつつあります。それ以上に重要なのは、こうした国々は農業生産者がバイテク植物を栽培することで先進技術の利用による利益を享受するのを認めていることです。そしてこれが投資の増加、国内バイオテクノロジー産業のさらなる発展、製品の向上、それに伴う経済、環境、消費者への利益という好循環を生み出します。現在の日本ではこうした力が働いていません。しかし、そうなるべきです。農業革命ともいうべき今起きている革命に加わることによって失うものは何もなく、得るものだけなのです。
変革は困難ですが、変革しなかった場合には破滅的な結果が待ち受けていることを誰もが理解しています。1840年、2つの大国である中国とインドが世界の貿易の40%を占めていました。この2つの国では世界で初めて手工業が始まりました。しかし、1840年にそれとは別のことがヨーロッパで起こりつつありました。産業革命です。機械が10人分、100人分、1000人分の仕事をするようになり、中国とインドは衰退の一途をたどりました。どちらの国のリーダーも国民も将来に求められているものを把握できなかったのです。
米国も日本も、農業であれ別の産業であれ、そのような道を歩んではなりません。将来を恐れる必要はありません。われわれが将来をつくるのです。この先の課題は、恐れや迷信に基づいた主張をしている人たちに異議を唱えていくことによって解決することができます。事実すなわち科学はわれわれの見方であり、勇気を奮い起こしてこれを利用すれば歴史もわれわれの味方になるでしょう。