日米評議会の年次総会でのクリントン国務長官の講演(抜粋)

*下記の日本語文書は参考のための仮翻訳で、正文は英文です。

2011年10月7日

 おはようございます。(中略)

 私たちは米国にとって戦略的に非常に重要な時期に、日米の友好関係を祝っています。過去10年間に始まった戦争が徐々に終わりに近づきつつあります。世界の経済・戦略的中心は東に移りつつあり、米国はアジア太平洋全域でさらに深化した対外関係のネットワークの構築に尽力しています。しかし何かを構築し始める時には基礎から始めなければなりません。私が国務長官として初めての外国訪問先に日本を選び、それから数回にわたり日本を訪れたのはそのためです。オバマ大統領、バイデン副大統領をはじめとする多くの米国政府高官も、この2年半の間に日本を訪問しました。

 しかし政府だけでは、現在の、そして今後も追求する緊密な関係を維持できないことは分かっています。最も強固な米国の対外関係は政府間だけでなく、日米両国民の心の中で存続してきました。共通の利害という冷静な判断だけでなく、共通の経験、家族のつながり、友情、両国を結び付ける共通の価値観といった温かみのあるものの中で存続してきたのです。この関係は時の経過、悲惨な出来事、対立、日米のような誇り高い2つの国の間では当然の駆け引きなどの試練を受けてきました。そしてそのたびに立ち直り、以前よりもさらに強固になりました。最も重要な時には日米両国は互いに団結し合いました。

 10年前ニューヨーク州選出の上院議員だった私は、日米の友情の意味を目の当たりにしました。9月11日の同時多発テロ直後の救援活動のために、1万1000キロメートル以上も離れた日本から消防士が派遣されたのを見て、私は感激しましたが驚きはしませんでした。米国にとっても、世界の多くの国々にとっても、日本とはこのような友人なのです。飢餓、疾病、貧困に苦しむ国があればどこであろうと、民主主義を根付かせるため苦労している国があればどこであろうと、最前線から忘れられた地球の片隅にまで日本は赴き、米国と手を携え、より安全で繁栄した世界の建設に努めています。

 3月11日の東日本大震災後、私たちは9・11の時に心を動かされた日本の思いやりへの恩返しを考えました。震災後、日米両政府は両国史上最大の合同軍事作戦を開始しました。米軍と米国政府機関から2万人以上がトモダチ作戦に参加しました。これは単なる捜索救助作戦ではなく、日米の深い絆を示す活動でした。なぜなら皆さん良くご存知のように、この作戦の名前は「友達」であり、その名前にふさわしい活動を望んでいたからです。

 (同時多発テロの現場の)グラウンドゼロで作業する日本人ボランティアの上着に付けられた「日の丸」を覚えていた米国人は、恩返しをするために日本に駆けつけました。小さな町から大都市まで、全米の人々が募金しました。例えばイリノイ州スプリングフィールド市は、日本の姉妹都市のためにブルージーンズを売って3万2000ドルを集めました。ネブラスカ州のコーン生産者は9000ブッシェル(約24万3000キログラム)近い穀物を寄付しました。全米各地の日米協会は日本での救援活動のために2000万ドルを超えるお金を集めました。(藤崎駐米日本)大使が今、この白いリストバンドを配っています。私もこれを身に付けることができて光栄です。皆さんの想像通り大使は粘りますから、彼が近づいてきたら受け取ってください。

 私が訪日した4月に日米両政府が米国商工会議所および経団連と設立した「復興に関する官民パートナーシップ」は、日本の経済復興の促進のために政策決定者と財界指導者を結集するものです。バイデン副大統領は8月の訪日時に、日本が通常通りであるという明確なメッセージを世界に発信しました。また在日米国大使館と協力し、「トモダチ」イニシアチブの設立に取り組んだアイリーン・ヒラノ日米評議会会長と同評議会にお礼を申し上げます。このイニシアチブはトモダチ作戦と復興に関する官民パートナーシップから派生し、日本の若きリーダーや起業家の能力開発を目的とするパートナーシップやプログラムに力を入れる予定です。私たちは力を合わせ、日米関係の将来に深く関わる「トモダチ世代」を育てたいと考えています。

 日米関係や私たちの人生における多くの関係は、悲惨な出来事が起きた時に本質が現れますが、こうした関係は何十年もかかって培われるものです。経済および安全保障上の関係は日米同盟に不可欠ですが、両国の友好関係を意義あるものにしているのは国民同士の絆です。日本の大学生が初めてロサンゼルス、シカゴあるいはボストンの地を踏んだ時の驚きや米国人高校生が日本のホストファミリーに感じた温かさ、日米企業間のパートナーシップから生まれた市場を驚かせるような新技術、さらには科学の最先端分野での両国の研究者の協力による素晴らしい発見――これらは両国の成功を支える出来事です。

 しかしすでに整っている基盤だけに安住することはできません。さらなる構築と新たな機会の探求を続ける必要があります。問題ごとに、そして人間一人一人に対処するのです。実を言えば国務省(のプログラム)には、お互いの言語や文化を学ぶために若者をお互いの国に派遣することほど、生涯残る感動や友情を提供できるものは他にほとんどありません。私たちはより多くの若者にそうした機会を提供するために力を尽くしています。フルブライトやJETプログラム(語学指導等を行う外国青年招致事業)など日米両政府が主催する交流プログラムの参加者はこれまでに3万5000人を超えています。750人以上の政府職員が政府間交流プログラムに参加しました。また日本からのインターナショナル・ビジター・リーダーシップ・プログラム(IVLP)への参加者は4000人近くに上ります。その中には4人の首相経験者、ノーベル賞受賞者、ベストセラー作家などがいます。

 実際に、これらの交流プログラムは優秀な人々をひきつけ、参加すれば国際的な視点を養うことができます。日本初の女性の防衛大臣は――皆さんは私がこの点に触れると思っていたでしょう――IVLPに参加したことがあります。フルブライト・プログラムの参加者には4人もの日本人ノーベル賞受賞者がいます。また先ほどお会いし、今日この演壇で講演する楽天のCEOはハーバード大学の卒業生です。

 日米両国はすでにこうしたつながりから恩恵を受けていますが、これは自動的に続いていくものではなく、引き続き投資していく必要があります。私には少し懸念している問題があり、それを皆さんに提起したいと思います。1997年には日本は世界のどの国よりも多くの留学生を米国に送っていました。現在、日本は第6位です。過去14年間で米国で学ぶ日本人留学生の数は50%近く減少しました。私たちはこの傾向を増加に転じるために必要な取り組みに力を注いでいます。日本の若者と米国の大学を結び付けるため一層努力しています。日本人学生に合格する方法や学資援助の受け方を指導するため、日本全国に新たにアメリカ留学支援センターを設置中です。また日米双方の文化を知る従業員の雇用がいかに重要かを新しい世代の日本の財界指導者に説く活動をしています。さらにJETプログラムに参加した米国人のネットワークを使い、日本人学生に米国への留学を勧めています。厳しい財政状況にありますが、フルブライトなど最重要のプログラムへの予算を維持するために私たちは闘っています。フルブライト・プログラムでは、互いの文化を学んでもらうため、2012年に100人もの才能ある日本人と米国人を相互に派遣する予定です。またアメリカン・フィールド・サービス(AFS)などの団体に奨学金を提供し、津波で最も大きな被害を受けた県の生徒が来年の夏、米国に滞在できるようにします。私たちは米国人の日本留学も奨励しており、過去1年間の日本への米国人留学生が5700人を超えたことをうれしく思っています。

 私たちは勉学と生活を共にした世代がいかに日米同盟に活力を与えたかを見てきました。外国からの訪問者や海外旅行が――今日の世界では海外旅行でさまざまな問題に直面するものの――いかに人格と物の見方を形成してきたかを見てきました。2つの国の文化が交わった結果を目にすると勇気づけられます。8月に私は国務省で、日本のリトルリーグの野球選手とソフトボールの選手のグループに会いました。彼らは日米スポーツ交流プログラムで訪米していました。スポーツ交流プログラムは国務省の交流プログラムの中で最も人気があると聞いても、皆さんは驚かないでしょう。皆さんにもお見せしたかったのですが、子どもたちが同じ部屋にいる他の人の4倍も大きな体をしたカル・リプケンに会った時、彼らの目は輝いていました。リプケンさんは米国で子どもたちをもてなし、来月は日本各地で野球教室を開催します。あの日国務省を訪問した子どもたちは皆、津波で最も大きな被害を受けた地域から来ました。米国で彼らに会い、純粋に感情が高ぶりました。家族を亡くした子どももいれば、学校がなくなってしまった子どももいましたが、不幸にもめげず、機知に富み、自信を持って未来に向かって進んでいく決意にあふれていました。

 米国民は日本を最も親しい友人の1人とみなすことを誇りに思っています。私はつい最近、JETプログラムの参加者として米崎小学校で英語を教えていたモンティ・ディクソンさんというアラスカ出身の米国人について聞きました。ディクソンさんは日本滞在中に日本の詩が大好きになったそうです。3月11日の朝、彼は司馬遼太郎の一文を英語に翻訳しました。「There’s nothing as beautiful as dedicating one’s life for a cause.(世のために尽くした人の一生ほど、美しいものはない)」という文です。この英訳を書き留めた数時間後に、ディクソンさんは津波にさらわれました。実際、あの日亡くなった2人の米国人、ディクソンさんとテイラー・アンダーソンさんはJETプログラムの先生でした。2人の人生と大義は私たちが共有する友情という織物の一部です。ディクソン家、アンダーソン家、そしてJETプログラム経験者で構成されるひとつの大きな家族は、ディクソンさんとアンダーソンさんが住み、愛するようになった地域の支援に(震災後)取り組んできました。

 日米関係の構築は戦略的、経済的、政治的であるだけではなく、崇高な大義であり、何としてもやりぬかなければならないものであると私たちは考えています。日米同盟は何十年にもわたりアジア太平洋地域の平和、安定、繁栄を支えてきた制度の基礎です。モンティ・ディクソンさんやテイラー・アンダーソンさんのような人たち、そして日米評議会が築いた緊密な結びつきは、この基礎を強く保つだけでなく、基礎からさらに高く積み上げていくための基盤です。

 日本人、米国人を問わず、皆さんに支援をお願いします。未来に向け、この同盟とそれが象徴するものを堅持しましょう。日米両国の財界、政界、学界、市民社会のかつての指導者と同様、私たちも日米関係が両国だけでなく、世界にとって非常に重要であると理解していたと言ってもらえるようにしましょう。そして過去、現在、未来における両国のお互いにとっての意味を日米の若者たちに教えましょう。そうすれば今後100年間にわたり日米両国の繁栄に役立つ技能と機会と夢を新しい世代に与えることができます。

 ありがとうございました。