「スマートパワーの技法」 -- ヒラリー・クリントン
2012年7月18日付「New Statesman」誌に掲載されたクリントン国務長官の寄稿
*下記の日本語文書は参考のための仮翻訳で、正文は英文です。
2012年7月18日
世界の勢力の均衡が変化する中、米国は世界が直面する複雑で新しい地政学的課題を解決するため、外交・社会・経済・政治・安全保障分野で今までにないさまざまな手段を開発している。
今年5月、私は第4回米中戦略・経済対話に出席するため北京に到着した。同対話ではさまざまな議題について話し合うことになっていたが、世界の関心は米国大使館に保護を求めた盲目の反体制人権活動家の運命に向けられた。かねてから慎重な対応が必要だった訪中が、突如として米中関係の重要な試金石となっていたのだ。
新興国の台頭はこれまで、ゼロサム的な形で展開するのが歴史の常だった。従って、中国、インド、ブラジルなどの国々の台頭により、米国と、英国など米国の同盟国がこれまで構築し守ってきた世界秩序の将来に対し疑問が生じたとしても、意外なことではない。こうしたことを背景に、5月の数日間がさらに重要な意味を持った。既存の大国と新興国とが相対するときに何が起きるのかという昔からある問題に、米国と中国は新たな答えを出せるのか。
2009年1月に私が国務長官に就任したとき、世界における米国のリーダーシップの将来に疑問が生じていた。米国は長期にわたり費用のかかる2つの戦争をしていたし、急速に落ち込む経済、同盟関係のほころび、そして新たな脅威の重圧に押しつぶされそうな国際制度という問題に直面していた。
しかし3年間で状況は大きく変わった。オバマ大統領のリーダーシップの下、米国はイラク戦争を終結させ、アフガニスタンでは移行を開始した。外交を再活性化させ、同盟関係を強化し、多国間機関への関与を再開した。そして景気回復は皆が望むほど力強くはないものの、我々は瀬戸際から立ち直り、正しい方向へと向かっている。
新興国は世界の舞台でより大きな役割を果たしているが、現在は衰退しつつあった英国と台頭するドイツとの間の摩擦が世界規模の衝突のきっかけとなった1912年とは状況が異なる。今は2012年であり、強い米国が新興国や新たなパートナー諸国と協力し、世界規模の衝突を防ぎ世界的な繁栄を促進する新たな国際制度を構築しようとしている。
今日では、大国同士が平和な関係にあり、第2次世界大戦中や冷戦時のように全体主義の帝国が世界を脅かすことはない。しかし我々は、財政危機や広がる所得格差から、気候変動、核拡散、国際テロまで、国境を超えて広がり、一国では解決の難しい多様な課題に直面している。同時に、政治的・技術的な変化により、世界中の多くの人々が、今までになく、さまざまな出来事に影響を及ぼすことができるようになっている。そして新興経済大国から法人やカルテルなどの非国家主体まで、新たな勢力が国際情勢を変えつつある。
従って、我々の直面する課題がより複雑に、分野横断的になる一方で、世界の勢力図はより分散し、拡散している。すなわち、共同して行動するための協力体制の構築がより複雑に、そしてより重要になりつつあるということである。
こうしたさまざまな変化の中でも変わらない点が2つある。ひとつは、世界各国の相互のつながりと相互依存性が強まる中、世界の平和と繁栄を促進するためには公正で開かれた持続可能な国際秩序が必要であるということ、そしてもうひとつは、その秩序は何十年間にもわたって世界の平和と繁栄を支えてきた米国の経済・軍事・外交的リーダーシップに依存するということである。
米国は、新たな時代、すなわち複雑な課題と不足する資源の時代に適した新たな方法でリーダーシップを発揮している。言うまでもなく、外交政策に関する日常的な仕事はその時々の危機に対処しなければならないが、同時に我々は最も大きな可能性と結果が見込める分野、そして最も大きな脅威にさらされた分野への長期的な投資に優先的に取り組んでいる。
米国にとって、 ヨーロッパおよび東アジアにおける長年の同盟関係が、米国の国際的なリーダーシップの基盤となっている状況に変わりはない。英国をはじめとする同盟諸国は米国の最も頼りになるパートナーであり、イランの核兵器開発の阻止からリビアでの民間人の保護、エイズのない世代の実現まで、あらゆる活動で協調している。我々は世界秩序を構築し、その中核となる原則を守るために何十年にもわたり協力してきた。その秩序の将来はこうしたパートナーシップの永続的な強さにかかっている。
しかし、長年にわたる同盟関係は強固だが、我々は新たなパートナーと協力する必要性も認識している。なぜなら地域および世界的な新しい勢力の中心が急速に台頭してきているからである。そしてそれは、インドや中国だけでなくトルコ、メキシコ、ブラジル、インドネシア、南アフリカ、そしてロシアといった国々も含まれる。その中には、我々の中核的な価値観の多くを共有する国もあれば、非常に異なる政治体制や考え方を持つ国もある。利害を一致させることは必ずしも容易でない。我々は今、シリアの問題で、これがいかに困難であるかを実際に経験している。一方で成功事例もあり、多くの国から支持を得てイランや北朝鮮に対し圧力を維持している。また2国間だけではなく、規範を策定し共有するG20のような多国間の場で関与することの重要性も理解した。今後、これらの新たな勢力と協力し、こうした国々がその影響力に伴う責任を受け入れるよう促し、国際秩序への全面的な統合を実現できるかという点で、米国の外交が試されている。
ゼロサム的なやり方では、互いが損をするネガティブサムの結果しかもたらさない。従って我々は、協力できる分野を見つけ出すとともに、信頼を構築し、互いの相違点への対処に資する外交メカニズムを強化する必要がある。5月の私の北京訪問の目的だった対中戦略・経済対話はその好例である。もうひとつの例として、6月にワシントンで行われた米印戦略対話が挙げられる。こうした幅広い議題を話し合う協議には、さまざまな共通の関心事項に取り組むため、双方から多くの専門家や政府関係者が参加する。
我々が目指しているのは、拡大する2国間関係を強固な国際秩序の中に組み込むことである。つまり力を結集して共同で行動し、紛争を平和的に解決することのできる効果的な地域および国際機関を強化し成長させること、各国の国民、市場、国家同士の関係の管理に役立つ規則や規範に基づきコンセンサスを築くこと、そして安定をもたらし信頼を構築する安全保障の取り決めを確立することである。
これを成功させるには、新興国と協力して世界の機構を刷新し、今日の世界の力学をより反映するものにしなければならない。例えば、昨年9月に開始した世界テロ対策フォーラムや、地球温暖化の原因の最大30%を占める短期寿命環境汚染物質の削減を目指す新たな「気候と大気浄化のコアリション」など、具体的な課題に取り組む新たな国家グループを作ろうとしているところである。さらに、過去の時代に合わせて作られた国際規則や国際機関の一部については、再考と再構成が必要であると認識している。
しかし、それに当たっては、我々が守らなければならない、国際秩序を補強する普遍的な原則がある。その原則とは、基本的な自由と普遍的な人権、 開かれた自由で透明かつ公正な経済制度、紛争の平和的解決、そして国家の領土の保全の尊重である。これらは、誰にとっても利益となり、すべての人々と国家が平和に暮らし、通商を行うために役立つ規範である。
こうした原則を基盤とする国際制度は、中国やインドのような新興国の台頭を妨げるものではなく、むしろそれを促進した。これらの国々は、このような国際制度がもたらす安全保障、開放する市場、育む信頼から恩恵を受けてきた。その結果、今や新興国はこうした国際制度の成功に対し利害を有する。そして新興国の力と能力が拡大する従い、これらの国々への期待も当然高くなる。国際的には国外の共通の問題への対処するという責任の一端を担うことを期待され、自国民からは国内の問題解決を求められる。
このような枠組みの中で新興国を関与させることがどのような成果につながるかを理解するために、東アジア首脳会議(EAS)について考えてみよう。EASにはアジア太平洋地域の全主要国の首脳が集まり、核不拡散、災害への対応、海上安全保障など地域の最大の課題に取り組み、包括的な解決策を追求する。米国は昨年まで正式な参加国ではなかったが、去年の11月に正式に参加し、EASが政治および安全保障問題について議論する最も重要な地域フォーラムとなるための支援を約束した。
最優先課題のひとつは南シナ海の問題である。南シナ海はアジア太平洋地域の多くの国々をつないでおり、こうした国々の中には海域や島々に対する権利を主張し対立しているところもある。世界の商船トン数の半分が南シナ海を通過するため、海上安全保障や航行の自由に関する利害は大きい。このように複雑な紛争を2国間でそれぞれ解決しようとすることは、混乱につながりやすく、場合によっては対立さえ起こしかねない。オバマ大統領が参加したEASで、各国首脳たちが包括的な地域の解決策を推進する枠組みについて主な関係者全員による話し合いを行ったのはそのためである。最近南シナ海で再び緊張が生じていることは、そうした多国間の取り組みを進めることの重要性をさらに強調するものである。
過去3年間、オバマ政権はEASのような地域機関や、アラブ連盟やアフリカ連合のような、実効性が高まっている地域の主体との関与を優先事項としてきた。こうした機関の中には、わずか数年前まで能力と信頼性が欠如していたものもある。しかしそうした状況は急速に変わりつつある。こうしたことが、南シナ海やアフリカの角のような紛争地域で地域の安定や安全保障の促進に向け各国が協力する好機になっている。
ユーロ圏で難しい状況が続いていることから、効果的な地域での調整と統合が容易ではないことがあらためて思い起こされる。しかしながら、ヨーロッパでの出来事はこうした取り組みがもたらす恩恵も示している。何世紀にもわたり対立と分割によって引き裂かれてきた大陸が、その国境を開き、経済を統合し、政策を調整することによって、かつてない平和と繁栄をどうにか達成したのである。この歴史的なプロジェクトはまだ完成していない。そして現在の困難な状況において、自由で民主的で平和な統一されたヨーロッパの実現に向け努力を続けることが不可欠である。
新興国の台頭や、変化する国際情勢の要求に対処するためのこうした戦略は全て、今日の複雑な世界でリーダーシップを発揮し、問題を解決していくために何が必要かという基本的な教訓を反映している。もはや強いだけでは十分ではない。大国は知識と経験が豊富で、説得力も備えていなければならない。今後米国のリーダーシップが試されるのは、さまざまな国民や国家を動員して、共通の問題を解決し、共通の価値観と目標を推進するために協力させられるかどうかという点である。そのためには、我々は外交政策の手段を増やし、あらゆる資産とパートナーを統合させ、仕事のやり方を根本的に変える必要がある。私はこうした手法をスマートパワーと呼んでいる。
例えば、中国、インド、ブラジルといった国々が影響力を増しているのは、軍隊の規模によるのではなく、経済の成長によるものであると我々は認識している。また、今日の米国の国家安全保障は、外交交渉や戦場における決断だけでなく、金融市場や工場の現場での決断によっても左右されることを学んだ。従って米国は、国外での戦略目標を推進するために、世界経済面の手段をより効果的に活用することを優先事項としている。それは、イランの核開発計画に対する圧力を強めるための斬新な金融手段を見つけることかもしれないし、企業の活力と専門知識を気候変動や食料安全保障のような課題への取り組みに向ける新たな官民パートナーシップを設立することかもしれない。また我々は、エコノミック・ステートクラフト、そして私が「雇用外交」と呼ぶ手法をより重視して米国経済を活性化することに重点を置いている。
もうひとつ例を挙げる。この時代の特徴のひとつとして、市民、特に人とつながりを持つための新しい技術によって力を得た若者たちが、独立した戦略的勢力となった。独裁政権も含めた全ての政府が、市民のニーズや願望を無視できないということを学びつつある。そして中東や北アフリカに見られるように、このことは地域と世界の安定に極めて重要な意味を持つ。
このように我々は従来の政府間の関係という枠を超えて、世界中の人々と直接関与する新たな方法を探究している。すなわち、ツイッターやソーシャルネットワーキング・サービスのような技術を使い、ロシアの市民社会の支持者からケニアの農民、そしてコロンビアの学生まで、あらゆる人たちと対話している。一方で、チュニジア、エジプト、リビアなどの国々で効果的な民主化を支持する包括的な計画を推進し、世界各地で普遍的な人権を支援している。今日の世界では、これが米国のリーダーシップの特徴であり、戦略的に必要なことである。
国務長官としての経験により、国外で人間の尊厳を支持することと国内で国家安全保障を確保することにはつながりがあることが再確認できた。最も不安定で対立の多く見られる場所の多くで、女性が虐待されて権利を与えられず、若者が無視され、少数民族が迫害され、市民社会が抑制されているのは偶然の一致ではない。アフガニスタンでタリバンが女子の学校を焼き払ったこと、あるいはコンゴで集団レイプが戦争の武器として使われたことを考えてみればわかる。この種の虐待は単に不安定さを示す症状であるだけでなく、不安定な状況を促すものでもある。
同様に、米国の最も緊密な同盟国の多くが、多元主義と寛容、権利の平等と機会の均等を支持する国であることも偶然ではない。これらは西洋の価値観ではなく、普遍的な価値観である。従って、従来自分の国で経済・政治活動に全面的に参加することを拒否されてきた人々を助けることは、我々の利益となる。またチュニス(チュニジアの首都)でもラングーン(ビルマの都市ヤンゴンの旧称)でも、民主化を目指して努力している市民を支援することは、我々の利益となる。そうしなければ、今後も対立と不安定のサイクルを繰り返すことになる。
中でも世界各地の女性や少女のエンパワーメントは、平和と民主主義と持続可能な開発を促進する長期的な機会をとらえるために不可欠である。貢献する機会を与えられれば、女性は自分たちだけでなく社会全体のために社会・政治・経済的な前進を推し進めることができる。ゴールドマン・サックスの報告によると、女性の労働参加に対する障壁を減らすことで、米国の国内総生産は9%、ユーロ圏では13%、日本では16%増加する。これは逃がしてはならない成長である。従って我々は、女性のための機会の拡大を米国の外交政策の基盤のひとつとした。融資の利用や市場へのアクセスを開放して女性の経済参加を拡大し、紛争解決や安全保障の維持における女性の役割を強化し、地域社会全体の要となる母親たちのニーズを重視した世界規模の保健プログラムを実施するため、意欲的な活動を始めたところだ。
EASのような機関を充実させて地域協力の場を提供するにしても、ハイテク制裁措置のような新たな経済的手段を使って戦略目標を推進するにしても、あるいは腐敗や過激主義などの課題に取り組むために直接市民社会に関与するにしても、我々の取り組みに共通するのは、変化する世界のニーズに米国の国際的な指導力を適応させるという決意である。
新たなパートナーシップや新しい問題解決法を求める中でも、時には米国が大胆に、直接的に、そして単独で行動しなければならない場合も出てくるだろう。例えばウサマ・ビンラディンの追跡したときのように。そのような例はまれであり、それは最後の手段だが、米国は世界のリーダーとしての責任と米国民に対する責任を重く受け止めている。
こうしたこと全て、すなわち変化する国際情勢、米国の国際的な指導力に対する複雑な要求、そして21世紀に向け外交を再活性化しようとする取り組みといったことが、あの緊迫した日に北京に到着した私の心を占めていた。そして1週間の交渉を通じ、私に自信を与えてくれた。最終的には、我々が力を尽くして築いてきた中国との関係は、多くの人々が心配していたより持続性と活力があることが証明された。両国とも共通の課題について集中的に議論し、サイバーセキュリティーから北朝鮮、南シナ海の問題に至るまで、幅広い重要な問題について率直に意見交換した。そして今、あの盲目の反体制活動家は無事にニューヨークで法律を学んでいる。
米国とその同盟国は、戦争とテロと景気後退の長い10年間を切り抜けてきた。我々の国民の多くにとっては、今も困難な日々が続いている。しかし世界各地を訪問すると、米国のリーダーシップが今も尊敬され求められていることがよく分かる。確かにそれは米国の軍隊と物質的な力によるものであるが、それだけではなく、自分たちの利益にとどまらず、より大きな利益のために公正と正義と自由と民主主義を追求する米国の取り組みによるものでもある。
米国が果たす役割あるいは負ってきた責任は、歴史上前例がないし、それに代わるものもない。だからこそ米国のリーダーシップは非常に特別なのである。そして私は、米国が今後も長年にわたって平和な繁栄する世界秩序に貢献し、それを守っていくと確信している。