ケリー国務長官の東京工業大学での講演「21世紀の太平洋のパートナーシップ」

*下記の日本語文書は参考のための仮翻訳で、正文は英文です。

 2013年4月15日、東京

  ありがとうございます。三島学長、ご紹介いただきありがとうございました。ここに伺うことができて光栄です。皆さん、今朝は私の話を聞きに来ていただき、ありがとうございます。

  東京工業大学は日本のMITと呼ばれているそうですね。だからでしょうか。ボストンから地球を半周した場所にいるにもかかわらず、知らないところに来たような気がしません。あまり言いたくはないのですが、おそらくは、この大学に合格する可能性は全くなかったことがわかっているという、以前も感じたことがある感覚をここでも感じているせいだと思います。

  本日は国会議員の方々にもご列席いただき、お礼を申し上げます。中曽根(弘文)会長、小坂(憲次)幹事長をはじめとする日米議員連盟の皆さんや、公明党の山口(那津男)代表ともご一緒でき、大変光栄に存じます。ご出席に感謝するとともに、日米両国の絆を深める議員同士の交流の促進へのご尽力に感謝します。

  また在日米国商工会議所のラリー・ベイツ会頭、米日経済協議会のチャールズ・レイク会長など、米国産業界からもご参加いただいています。そして特に、困難な状況にあった時に素晴らしい指導力を発揮した私の友人、ジョン・ルース駐日米国大使に称賛の言葉を贈りたいと思います。

  はじめに、日本を再び訪れることができて、とてもうれしく思っていることをお伝えします。以前も日本を訪れたことがあります。そして日本の皆さんが非常に困難な時期を過ごしてきたことを、私はあらためて思い起こしています。日米の友好関係はこの地域の平和に不可欠であり、米国は日米関係が強固であることにとても感謝しています。

  昨日大使館で、私の身内に日本と関わりを持っている人がいることを思い出しました。遠い昔のことですが、祖父のいとこであるウィリアム・キャメロン・フォーブスが駐日米国大使を務めていましたし、現在は私のいとこがTOMODACHIイニシアチブのために働いており、彼女の夫も厚木基地所属の海軍パイロットとして日本の防衛に貢献しています。

  ですから過去も現在も、本当に日本と個人的なつながりがあるように感じています。日本を訪問すると家族の中にいるようです。ですから、本日ここでアジア太平洋に対する米国のビジョンを皆さんにお話しすることは、さらに大きな意味を持ちます。

  この地域に対する米国のコミットメントについて懐疑的な人もいるかもしれませんが、はっきり申し上げます。オバマ大統領は賢明にも、アジアに対する米国の関心と投資をリバランス(再均衡)するという、戦略上必要な約束をしました。私は、太平洋のパートナーシップを重視する太平洋国家として、米国が積極的で変わらぬプレゼンスを今後も拡大していくことを皆さんに約束します。

  私が日本を訪れているちょうど今ごろ、ワシントンの人々は、日本から101年前にいただいた満開のサクラを楽しんでいます。もしワシントンのサクラを実際にご覧になったことがないのであれば、写真だけでもご覧になってください。美しいサクラ色のリボンが、米国の第3代大統領トーマス・ジェファソンの記念館を取り巻いているようです。図らずもジェファソンは、米国の初代国務長官です。あのサクラがどれほど美しいか、とても言葉では言い表せません。上院議員だったころ、私は何度もサクラを見に行きました。あのサクラは、日米両国の素晴らしい友好関係を示す変わらぬシンボルとして深く愛されています。

  今、そのサクラのお返しができることをうれしく思います。米国は、私の前任者であるクリントン前国務長官が昨年始めた「友好の木」プログラムで、(日米の)友好の印として数千本の米国産ハナミズキを日本全国に植える計画です。ですから皆さん、両国の関係は特別なものです。

  日米の現代のパートナーシップが戦争の廃墟の中から生まれて何十年もたち、この関係は成熟し、世界で最も強固な関係のひとつになりました。日米同盟はアジア太平洋地域の平和と安定と繁栄を支えてきました。両国のパートナーシップは、共通の価値観に基づくグローバルなものであり、強固な2国間の安全保障同盟と、地域および地球規模の課題に対する共通の取り組みを特徴としています。安倍首相がワシントンでおっしゃったように、この素晴らしい同盟の強さについて、誰も疑いを差し挟むことはできません。

  本日私はここで、全米国民を代表し、紛争の防止および安全の確保のために日本の皆さんと協力することをあらためて約束します。特に、東日本大震災からの復興という、困難で時に危険な仕事を続ける皆さんを引き続き支援していきます。日本には「七転び八起き」ということわざがあるそうですね。皆さんは、まさにそれを実行してきました。私たちは、再建というこの困難な仕事を引き受ける日本国民の強さを称賛します。

  過去数世代にわたり、アジアは驚くべき繁栄の時代にありました。この地域全域で何億もの人々が貧困から脱却し、今日世界の成長の原動力となっている、活力に満ちた革新的な経済を育ててきました。まさにアジアは、世界で最も活力に満ちた地域であると言っても過言ではないでしょう。

  同じく重要なことは、アジアが、前向きに行動すると何が起こりうるかを世界に教えてくれています。これは、私が深く尊敬するに至った同僚のダニエル・イノウエ上院議員から学んだ教訓です。皆さんの中にはイノウエ上院議員を個人的にご存知で、よく覚えている方もいるかもしれません。彼は日本にとって特別な友人でした。米国上院議員に選出された初の日系米国人でしたが、それより以前、イノウエ議員は、自分の国で信じられないような不当な扱いを受けたにもかかわらず、第2次世界大戦で自国のために戦うことを志願し、片腕を失いました。彼と共に働いた30年間で、私は、彼が口数は少ないけれど常に未来を見ている楽観主義者であり、決して過去にとらわれることがない人だということを知りました。過去から学ぶけれども、決して過去に縛られることがない人でした。彼の人生と見識から私たち皆が学べるものがあります。

  私はアジア全域で、これと同じ精神に直接接してきました。長年こう着状態にあると思われる紛争を打開しようとする人々です。実際、上院外交委員会に所属していた29年間の私の仕事の多くは、長引く20世紀の問題の解決に取り組むことでした。

  フィリピンでは独裁政治のくびきからの解放と、民主主義の実現を求めて闘う人々に協力しました。マニラでの選挙のときの光景は、決して忘れられません。投票ブースから出てきた女性たちが、自分たちの国をより良い方向に変え、別の未来を手に入れる力を持ったことを知り、目に涙を浮かべている光景です。

  ビルマでアウン・サン・スー・チー氏に会ったのは、自分の意見を述べたというだけで彼女が20年近くも軟禁されていた家でした。信じられないことではありますが、今ではテイン・セイン大統領と、元軍人もその一員である復活した議会が、スー・チー氏と手を携え、共に民主主義への旅を始めました。このようなことは、わずか2年前には考えられませんでした。

  ベトナムでも、私は同じ取り組みに深く関わり、これを目の当たりにしました。(ベトナム)戦争後何十年たっても、戦争はまだ非常に多くの人々の心に残っていました。ベトナムとの通商は禁止されており、真の平和を享受できていませんでした。しかしベトナムと米国は互いに歩み寄り、前に向かって進み、戦争捕虜と行方不明兵に関する重要な問題について答えを見つけ、関係を正常化するために感情を乗り越えて進む意思があることを確認しました。両国の関係は今日、未来に向かって進化しており、先週の金曜日(4月12日)にはハノイで、今年の米越人権対話が行われました。少し前までは想像もできなかったことです。

  しかし、誰もが承知しているように、20世紀の課題の中には21世紀になってもまだ残っているものがあります。核兵器開発、海洋紛争、気候変動などです。これらの課題はどれも安定にとっての脅威です。私たちには選択肢があります。こうした課題を障害と考え、何も行動しないという選択肢もありますが、これを好機ととらえ、協力して前進することもできます。

  私も、そしてオバマ大統領も、私たちには、戦争のためにあまりにも多くの命が失われ、あまりにも長い年月が費やされた世紀から学ぶ義務があると確信しています。私たちには将来を見据え、アジア太平洋地域の発展に向かう道筋を付ける義務があります。つまり、この機会を最大限に活用するということです。

  皆さん「アメリカリン・ドリーム」について聞いたことがあると思います。私たちはこれを誇りに思っていますが、そういったことを抜きにして申し上げます。バラク・オバマ大統領以上にアメリカン・ドリームを体現した人はいません。そして今、中国の新しい指導者は、彼が言うところの「チャイナ・ドリーム」について語り始めました。私は本日、グローバル化が進むこの時代に、太平洋地域の夢について構想をまとめ、決定するチャンスがあることをお話ししたいと思います。太平洋の夢とは、国や人々が共通の未来を決めるパートナーシップをつくり上げる地域となることです。

  オバマ大統領は就任した最初の年、まさにここ東京で、太平洋は日米両国を隔てるのではなく、むしろ結び付けていると語りました。私は、両国に共通の行動規範や価値観について同様に感じており、これらは私たちが想像する以上に両国を強く結び付けています。

  簡単に言えば、国を問わず全ての人々は同じ価値観、同じ普遍の価値観を共有しており、それが一人一人の心の中で共鳴しています。そうした価値観はひとつの国や政党に属するものではありません。また、ひとつのイデオロギーに属するものでもありません。これを抑圧しようとする指導者は、こうした価値観が最も厳しい迫害にも耐えるものであると知ることになるでしょう。

  この価値観は日々の生活に見ることができます。子どもに良い教育を与えようとして一生懸命働く親、尊厳ある仕事、安全が保障された国の安全な地区に住みたいという共通の願い、人々の権利を守り、人々のニーズや願いに対処してほしいという指導者への要求。こうしたものの中にこれらの価値観を見ることができます。

  これらの普遍の価値観が、あらゆる国のあらゆるレベルの指導者の指針、変化に対する抵抗に打ち勝つための力、そして世界中の人々を導く光となるよう、こうした価値観を私たちの国際的な取り組みの旗印として維持することが、政府として、また市民としての私たちの仕事です。今日皆さんにお話ししたこれらの共通の価値観が、明確なルールに従って協力する新しい時代の基盤となるべきです。

  私たちの太平洋の夢「パシフィック・ドリーム」は、私たちの最も強固な価値観から、安全保障、経済、社会面で、これまでにない協力関係をつくり上げることです。各国の安全の維持、経済の成熟の促進、新たな雇用の創出、将来のためのパートナーシップの受け入れで、新たな境地を開くことができます。しかも人々に自ら選択する力を与えながら、これを実現することができます。私たちは自らの可能性を、広範囲に及ぶ繁栄と機会に変えることができます。そしてそうする中で、あらゆる世代を評価する試験に合格することができます。

  私は変化することのない戒律について話しているわけではありません。私たち全員がこれに関与しているという相互認識―お互いさま―や、協力は誰にとってもプラスになるという認識から始まる対話について話しているのです。太平洋地域での出来事が、世界の他の地域にとってもかつてないほど重要になっていることが、次第に明らかになっています。つまるところ、この地域には計り知れないほどの機会がありますが、同時に計り知れないほどの課題もあります。私たちが力を合わせ、これらにいかに対処しているかを、世界中で長期にわたり感じることになるでしょう。

  したがって、私たちの共通のビジョンをこの地域の現実とし、アジアが世界の平和と繁栄に確実に貢献できるようにするために、私たちは共に、強力な成長、公正な成長、賢明な成長、そして正しい成長という4つの原則に基づいて行動することを提案します。それについて少しお話をしたいと思います。

  第一に、私たちがパートナーとして築く地域が繁栄するには、地域が平和で安定しており、世界の安全保障に貢献するものでなければなりません。アジア太平洋地域における米国のプレゼンス、そして日本、韓国、オーストラリア、フィリピン、タイとの同盟のネットワークにより、すでに基盤はできています。 しかし多くの課題が残っており、その中でも最も差し迫った問題が、周知の通り北朝鮮です。

  この数日、私は韓国、中国の指導者、そして日本の外務大臣と緊密な協議を行ってきました。今日は安倍首相とも協議する予定です。ひとつ確かに言えることがあります。それは、われわれは結束しているということです。その点について全く疑う余地はありません。北朝鮮の危険な核ミサイル計画は、近隣諸国を脅かすだけでなく、北朝鮮の国民、そして「パシフィック・ドリーム」という概念をも脅かすものです。非核化について信頼のおける交渉をするというのであれば、米国は今も交渉する意思がありますが、まず行動しなければならないのは北朝鮮です。北朝鮮は、これまでの約束を守ることを示す意味のある措置を取り、法律と国際的な行動規範を守らなければなりません。

  核兵器の増加ではなく、削減に向けて世界が動いているときに、またオバマ大統領が不拡散の明確なビジョンを打ち出しているときに、最も望ましくないのは、一握りの国が歴史の流れと常識に逆らうことです。世界には、これ以上戦争の可能性は必要ありません。したがって私たちは結束し、2日前に中国が発表した、朝鮮半島の非核化に取り組むという力強い声明を歓迎します。

  共に前進するということは、長年にわたり続いている領土紛争を過去のものにする時が来ていることを意味します。過去から引き継いだこれらの問題が地域を分断し、怒りを増幅させるままにしておくことはできません。誰にとってもリスクが高すぎ、世界経済は脆弱すぎるからです。一方的な行動と外交の失敗の代償は高すぎます。ですからこの大学の学生さんたちの例にならい、創造的、革新的に考え、協力して意見の違いを克服する平和的・外交的な解決策を見つける必要があります。

  前進することは、人々が人身売買や麻薬、あるいはサイバー攻撃などの国境を越えた脅威から解放されなければならないということも意味します。企業に対する最も深刻なサイバー攻撃の脅威の中にはこの地域から発生しているものもあり、世界経済全体を脅かしています。米国が日本および中国と個別にサイバー作業部会を設置し、アジア太平洋地域が問題の解決に貢献できるようにしたのは、まさにそのためです。

  これらの課題を平和的に解決するために協力し積極的に活動することにより、パシフィック・ドリームを築くためにこの地域が必要としている安全保障を実現できると私は確信しています。

  私たちが共有する2つめの課題は、太平洋諸国が、公正な市場、つまり開放性、透明性、説明責任を持つ市場での繁栄を実現できるようにすることです。私が想定する協調的な地域とは、持続可能な経済、自由貿易、そして急速な成長を享受できる地域でなければなりませんが、同時にそうした地域では、大小を問わず全ての国に交渉の席に着く権利が与えられ、それぞれの責任が明確にされなければなりません。

  日本は米国にとって4番目に大きい輸出市場であり、両国の労働者が何十年もかけて築いてきたおよそ3000億ドル規模の日米の貿易・投資関係は、相互に依存する世界ではとりわけ重要です。先週、米国と日本は、環太平洋パートナーシップ協定(TPP)交渉への日本の参加に向けて大きな一歩となる、重要な2国間の合意に達しました。これは日本にとっても、地域、そして世界にとっても、絶好のチャンスです。日本が参加すれば、全世界の国内総生産(GDP)の40%をこの貿易協定の参加国が占めることになります。今後の手続きを続ける中で、米国とTPPのパートナー諸国は、日本が一刻も早く交渉に参加できるよう努力することを約束します。

  しかし、このビジョンを実現するためにやらなければならないことがたくさんあります。利益を上げる事業が皆そうであるように、成長には投資が必要です。近隣諸国への投資、そして他の地域への投資です。日本はこのことをよく理解しています。日本は開発と国際援助への貢献について極めて高い基準を設定してきたことを大いに誇りに思っていいと、私は考えます。

  米国には、世界各地の人々の自助努力を援助するという伝統があります。その良い例が日本の隣国である韓国です。金曜日に、私はソウルで産業界の指導者たちと会い、韓国が驚異的な経済発展を遂げたことを知りました。それ自体、驚くべきことですが、わずか数十年前には韓国が米国の被援助国であったことを考えると、これはさらに注目に値します。今日では、韓国は世界有数の近代的な先進経済国であり、他国を援助しています。それこそが、このようなパートナーシップの意義であり、投資の可能性と、交渉のテーブルに着く他国の人々の可能性を信じて、未来を築くことなのです。

  対外援助への投資と同様に、この有名な大学で私がわざわざ言うまでもありませんが、教育も比較的少額の初期投資で大きな利益を生み出します。中でも国際教育交流は、最も大きな社会的利益を生む活動のひとつです。私たちはお互いの言語や文化に浸って初めて、真にお互いを理解し、パートナーシップを構築できます。 三島学長はカリフォルニア州に留学し、そのことを理解しました。登壇する直前まで、私は三島学長と彼のバークレーでの体験について話をしていました。世界中のフルブライト留学生たちが、そのことを理解しています。この名門大学で学位を取得するために東京にやって来た多くの外国人留学生も、そのことを理解しています。

  私は東工大生の皆さんに、米国へ留学する日本人学生の減少という困った傾向を増加に転じさせるためにお願いしたいことがあります。米国の大学に来て学んでください。教育交流の価値を過小評価することは決してできません。教育交流は私たちにとって極めて重要であり、そうした交流が増えれば増えるほど、私たちのビジョンをより早く実現できます。私が世界各地で出会った外務大臣、財務大臣、首相の中で、米国の大学に留学し、米国で過ごした年月について誇らしげに語ってくれた人たちは数知れません。教育交流により、このような共通の仕事を行う上で役に立つ理解が生まれます。

  私は昨日、ここにいらっしゃる皆さんと同じ大学生―TOMODACHIイニシアチブが招待した大勢の学生たちと対話し、教育交流が重要であることを感じました。TOMODACHIイニシアチブは、画期的な官民パートナーシップです。ルース大使が始めたもので、日米の次世代のリーダーに投資をするものです。 私が会った学生たちは生き生きしており、話が面白く、元気をもらえる人たちでした。皆、好奇心旺盛で、私たちが共有する未来や世界の問題に関心を持っていました。最も重要なこととして、東京に留学しているフィリピン系米国人の若い学生が私に言ったように、彼らは過去に縛られたり、過去を背負ったりしていません。この学生によると、彼女の世代は白紙の状態にあり、目を外に、また前に向けています。私たちもそれを見習うべきでしょう。

  賢明な成長も必要である、と私は申し上げました。世界で最も多くエネルギーを消費し、最も多く温室効果ガスを排出する太平洋諸国は―これには私たちも含まれます―生命と財産を守ると同時に雇用を創出できる変革を主導する極めて大きな責任を負っています。これについては、皆さんにいくら真剣に語っても、いくら強調しても足りません。これは選択の余地のないことです。 私たちが協力してしなければならないことです。なぜなら、気候変動は日ごとに深刻さの度合いを深め、脅威と難しさも増しているからです。またこれは、地球上で最も明白な共通の課題のひとつだからです。

  北京の人々は―皆さんもここ数年、彼らから話を聞いていると思いますが―東京やボストンの人たちと同様、きれいな空気を吸いたいと願っています。インドやインドネシアの農民は、インディアナ州の農民と同じように、干ばつを眠れないほど心配しています。ですから、これは限られた地域だけの問題ではありません。そして、より協調的なアジア太平洋地域においては、この問題の解決策を見つけることができますし、技術的な発見への突破口を開き、しかも各国の経済を危険にさらすことなくこれを実現することができると私は確信しています。そして、それぞれの経済を成長させることができます。

  この点について覚えておくべき最も重要なことは、気候変動の解決策は、非現実的で複雑かつ見つけにくい政策ではないということです。エネルギー政策こそ気候変動の解決策です。これは明らかです。エネルギー市場は現在6兆ドルの市場であり、ユーザーは40億人、そして今世紀中に90億人に増加する見通しです。皆さん、これはあらゆる市場の中で史上最大です。

  また、新しい種類のエネルギーの開発も含め、将来を見据えた着実なエネルギー対策は、産業界にも非常に良い影響を与えるものであり、長期的には持続可能な成長を意味します。したがって、賢明な成長を実現するには、新しいことを試す意欲を持たなければなりません。

  日米双方にとっての天然ガスの利点、そしてそれが日米の経済と世界にもたらすものを認識し始める中で、私たちが日本とのパートナーシップを高く評価しているということを知っていただきたいと思います。私たちはまた、中国がクリーン・エネルギー、代替エネルギー、そして再生可能エネルギーへの投資を急増させていることも高く評価しています。数日前、私は北京で 、世界中の環境と市場にとってプラスになるグリーン・テクノロジーの分野で協力をしている米中の企業関係者と同席しました。10年前、中国が米国内のエネルギー・プロジェクトに投資した金額は100万ドルでした。それが昨年は90億ドルとなっています。これが未来であり、私たちは皆、未来をつかまなければなりません。

  もうひとつ申し上げておきたいのは、私たちが東工大での研究を高く評価しているだけでなく、皆さんが「グリーン・リビング」の模範的な基準を設定されたことを称賛しているという点です。そのひとつが、昨年このキャンパスに開設された環境エネルギー・イノベーション棟です。この建物は太陽電池パネルで覆われ、そこで消費されるエネルギーのほぼ全てを自給しています。これこそ未来であり、私たちが現在の建物をこのような建物に建て替える中で、多くの雇用が創出され、新しい製品が販売されます。

  ここから、もうひとつ別のことが明らかになります。私たちは互いからたくさんのことを学べる、ということです。平均的な日本の世帯が3年間で使うエネルギーを、米国の世帯は1年間で消費します。私たちはこの点を改善しなければなりません。オバマ大統領のリーダーシップの下、私たちは気候変動との闘いでこれまでにない成果を上げていますが、自らの責任を果たし、この極めて重要な、協力して行う取り組みに貢献するには、より賢明なエネルギー政策が必要であることも認識しています。

  最後に、私たちはこの太平洋パートナーシップを利用して、そこに住む人々が民主主義、法の支配、そして表現の自由、結社と平和な集会の自由、信仰と良心と信念の自由を含む、普遍的な人権を享受できる地域を築かなければなりません。人権こそが、自由で開放された社会の基盤となります。そして、こうした権利を尊重し反映する政策を持つ国が、より平和で繁栄した国になる可能性は他の国よりもはるかに高いこと、国民の才能をはるかに効果的に引き出せること、市場で迅速かつ革新的に行動する能力がはるかに高いこと、また長期的なパートナーとしてより優れていることは、歴史が証明しています。

  もちろん私たちは、いまだに残る全ての課題を認識しています。しかし、アジア太平洋地域の動向が正しい方向、すなわち改革の方向、国民の声に応える政府を実現する方向に進んでいることは事実です。また、すでに成功した国々が、他の国々の模範としての役割を果たし始めています。例えば、民主主義国家になって間もないモンゴルが、その首都で民主主義共同体の会合を主催しようとしていますが、これは10年前には不可能と思われたことでしょう。また、何十年にもおよぶ独裁政治の後に民主主義を受け入れたインドネシアは今、バリ民主主義フォーラムを通じて地域に働きかけています。

  これらの国々や日本、韓国で世界が目撃した変革、あるいは私がフィリピンで見たことや今ビルマで始まろうとしていることは、それぞれ国内から始まったという点で大きな意味を持ちます。流血と戦闘だけが変革をもたらす触媒ではありません。他の国々も、近隣諸国が経験した変革を再現する道を選ぶことができます。そして平和的な方法でこれを行い、世界に希望を与え、私たちが将来のために構築している太平洋コミュニティーに参加することができます。

  こうした取り組み、すなわち強力な成長、公正な成長、賢明な成長、そして正しい成長を目指す取り組みの中で、もちろん中国は極めて重要なパートナーです。

  この週末、私が習主席に伝えたように、大国としての責任を引き受け、国民の意思を尊重し、国際問題で主要な役割を果たし、しかも規則に従って行動する、安定した繁栄する中国は、米国にも世界にも恩恵をもたらします。私たちは皆、中国の成功に利害関係があり、同様に中国は私たちの成功に利害関係があります。

  喜ばしいことに、米国は中国との間で、高官レベルの関与と対話をかつてないほど多く行ってきています。こうした関与と対話は建設的かつ生産的であると思います。国民同士のつながりがこれまでになく深まっており、私はこれが今後さらに深まることを願っています。私たちは相互の意見の違いをはっきりと認識しており、これからもこうした違いを認識し、互いを尊重して協力することを可能にする包括的、協力的なパートナーシップの構築に取り組みます。

  想像してみてください。こうした「ドリーム」という概念を受け入れ、雇用の創出から気候変動、世界的に流行する感染症、危険な兵器の拡散まで、さまざまな今日の課題に対処し、そして皆が正式な建設的パートナーとして行動して、そうした課題の最も難しい要素を抑えることができたならば、これらの課題が将来どのように変わるだろうか、と。とにかく、私たちは協力しなければならないのです。

  今から半世紀前、ジョン・F・ケネディ大統領は米国民に、内向きではなく大陸の外に目を向けること、そして目的を持ったパートナーシップによって大洋に橋を架けることを促しました。彼はこう言いました。「全ての国と協力して共通の懸念事項に対処するために、目を外に向ける」必要がある、と。私は本日ここで、私たちは当時と同じように強い決意を持って外へ目を向けようとしていると申し上げます。外へ目を向けるアジア太平洋地域のパートナーシップを構築し、私たちの共通の懸念事項に対処するため全ての国と協力する決意は、今も変わりません。

  これらのパートナーシップを必ず成功させるために、私たちは2国間協議だけでなく、参加国全ての意見に平等に耳を傾ける多国間機関を通じて、基本的なルールに関する合意に達する必要があります。東南アジア諸国連合(ASEAN)、東アジアサミット、 アジア太平洋経済協力会議(APEC) 、太平洋諸島フォーラムなどはいずれも、私たちが地球規模の問題を独創的に解決するために役立つ重要な組織体系を提供するフォーラムです。私自身も、 6月にアセアン地域フォーラムに出席することを楽しみにしており、地域の安全保障と安定を強化する具体的な措置について合意できると楽観しています。

  パートナー諸国にはいずれも、地域の平和と繁栄を支える上で果たすべき役割があります。その中には、最終的に北朝鮮をパートナー国とし、北朝鮮を(聞き取り不能)とするために努力することも含まれます。 世界最大の民主主義国家であり、若者の人口が急増しているインドは、世界でも重要な地域において、開発、貿易、安全保障を促進することのできるインド太平洋経済回廊を築いています。私たちは、ヨーロッパおよび西洋諸国の友人たちとの協力が、東洋における私たちの取り組みを強化してくれると強く信じています。これらは別々のことではなく、相互に補完し合うものです。

  皆さん、本日私がお話ししたさまざまな課題に取り組むには、地域の人々全員の活力、成長、エネルギー、リソース、創造力、夢を活用する、地域全体のパートナーシップが必要です。私たちは互いから学び、成長と発展をもたらす世界の安全保障を推進する共通の知識基盤を強化しなければなりません。

  先ほどトーマス・ジェファソンの話をしました。申し上げたように、彼は米国の初代国務長官であり第3代大統領でしたが、それだけでなく、科学者であり、東工大のような名門大学の創設者でもありました。ですからジェファソンはきっと、東工大の技術革新分野での使命を強く支持したはずです。亡くなったとき、ジェファソンが墓石に刻んでほしいと望んでいたのは、「大統領」や「国務長官」などではなく、「バージニア大学創設者」という言葉だけでした。ジェファソンはかつて、持っているろうそくで別の人のろうそくに火をともすことの素晴らしさを語りました。彼いわく、このとき、どちらも明かりを得るのであり、誰も何も失わないのです。ジェファソンはずっと以前に、ゼロ・サム的思考の愚かしさを理解していたのです。彼は知識が共有されて、人から人へ伝わっていくことの価値を理解していました。

  日本と米国にとって、この種の協力は目新しいものではありません。本日最後に、この話をしたいと思います。

  米国の地図を広げてその真ん中に鉛筆を落とすと、カンザス州のグリーンズバーグという小さな町の上に落ちると思います。2007年、そのグリーンズバーグを、町よりも大きな竜巻が襲いました。町の95%が破壊され、家も、学校も、店もなくなってしまいました。残ったのは、この講堂にほぼ入りきる数の住民だけでした。

  しかしカンザスの人々は皆さんと同じ、私たち皆と同じDNAを持っています。町を再建するだけでなく、以前よりも良いものを作ろうという同じ本能を持っています。町に残った人たちは、グリーンズバーグという名前にふさわしい「グリーン・シティ」の建設を始めました。今やグリーンズバーグは竜巻が残したがれきの中から立ち上がり、風力タービンで発電し、エネルギー効率に優れた建物を建設しています。前よりも良くなっています。

  数カ月前、東日本大震災の被災地で指導的立場にある人たちが、グリーンズバーグの取り組みを学ぶためにこの町を訪れました。日米の被災地は相互理解という「絆」を築き、共通の体験を通して仕事に取り掛かりました。東北のリーダーたちは触発されて日本に戻り、グリーンズバーグと同じように、将来に目を向け、より良く、賢明で、環境に優しい町を再建しようとしています。

  物語はここで終わらないでしょう。そのうち、米国や他の国々が東北の再建から学ぶようになり、私たちは次から次へとろうそくに火をともし続けるでしょう。

  これこそアジア太平洋地域に期待できることです。アジア太平洋は、パートナーを向上させるために協力し、各国を分かつよりも結び付けるものの方が多いことを知っている地域です。過去にとらわれることなく、未来志向でつくられた地域です。勇気を持って連携し、危険と困難に対処する地域であり、ひとつの地域での出来事が他の地域にとって重要であると理解している地域です。

  私たちの旅は、時にとても長く感じられるかもしれませんが、次の一歩を選ぶのは私たち自身です。私たちが共にその一歩を選び、協力で、公正で、賢明で、正当なパートナーシップを築けば、この太平洋の夢―パシフィック・ドリーム―を実現できます。そして共にこれを成し遂げれば、将来の世代への責任を果たしたことになるでしょう。ありがとうございました。