ケネディ駐日米国大使の歓迎昼食会(日米協会・在日米国商工会議所主催)における講演

*下記の日本語文書は参考のための仮翻訳で、正文は英文です。

2013年11月27日

 皆さん、本日はお集まりいただきありがとうございます。非常にお忙しい中をいらしていただき、とても光栄です。藤崎(一郎・前駐米日本)大使、私が日本に到着した日には美しいお花を贈っていただき、ありがとうございます。そして長年にわたり日米両国民のためにご尽力いただいたことにお礼を申し上げます。

 本日は、在日米国商工会議所(ACCJ)と日米協会からお招きを受け、皆さんと意見交換する機会を得ました。ありがとうございます。そしてとりわけ、温かい歓迎の言葉と誕生日のお祝いをいただいたことに感謝します。このように大きなパーティーを開いていただいたのは初めてです。

 ここで夫のエド・シュロスバーグと、大使館からの出席者をご紹介します。カート・トン首席公使は、皆さんご存知ですね。トン公使と美加夫人、マーク・ディビッドソン広報・文化交流担当公使と邦子夫人です。他にもデボラ・デション・リード首席補佐官、ドナ・ウェルトン政務担当公使、ジェシカ・ウェブスター経済担当公使らが出席しています。皆さん、ちょっと立ち上がってくれませんか。ジョン・ナイリンも来ています。立ってください。

 この1週間、さまざまなイベントがあり、本日の昼食会もそのひとつです。これらのイベントはそれぞれ信じられないほど素晴らしいものであるとともに、より大きな日米関係を象徴するものでもありました。

 オバマ大統領から駐日米国大使に指名され、光栄に思っています。米国がアジアへのリバランス政策を打ち出している今ほど重要な時期は他にないでしょう。日米関係はこの上なく良好であり、日米同盟の主要分野で大きな進展をみています。両国のパートナーシップは真に世界規模のものです。私は米国を離れる前に大統領、副大統領、ケリー国務長官、ヘーゲル国務長官、ライス国家安全保障問題担当大統領補佐官と面談しましたが、その中でもこのメッセージが強調されました。ここにいる誰もがよくご存知のように、日本はこの地域で最も重要な米国の同盟国であり、日本にとって米国以上に真の友人と呼べる国はありません。

 私たちは共通の歴史と共通の価値観で結ばれています。両国はつらい過去を乗り越え、輝かしい未来を享受しようとしています。経済、戦略、文化面での深いつながりがあり、日米の社会は自由、民主主義、法の支配へのコミットメントを共有しています。

 日本と米国は、世界各地での外交および人道的な取り組みでパートナーとなっています。中東では協力して難しい問題の解決に取り組んでいますし、最近では自衛隊と米軍が協力し、台風30号で壊滅的な被害を受けたフィリピンの多くの人々に食料、水、医薬品を届けました。

 この1週間、同じ信頼とコミットメントの精神が、これほど目立ちませんが、同じように心のこもった形で表れるのを目にしました。

 最初は、天皇陛下への信任状奉呈式の時でした。街頭で私を歓迎してくれた人々の数の多さには、誰もが驚いたと思います。大使館職員、日本の政治指導者やジャーナリスト、そしてもちろん米国の人々など、皆が驚いたと思います。わたしの子どもたちでさえ感激しました。

 人数の多さもさることながら、より印象的だったのは集まった人々の真心と高揚感でした。彼らはその真心と高揚感に駆り立たれて、集まってくれたようでした。これは日米関係に対する敬意の表れであり、また私が受け継いだ家族の伝統に対する敬意の表れでもあると思います。

 ケネディ大統領は、困難な時期に日米関係の強化に熱心に取り組みました。現職大統領として初の訪日を果たすことが父の望みであったと、母から何度も聞かされました。子ども心にも大変印象深かったのは、父の乗り組んだ哨戒用魚雷艇が日本の駆逐艦によって撃沈されたにもかかわらず、そのわずか15年後に行われた父の大統領就任式にその艦長を招待したことを父が誇らしく思っており、将来日本を公式訪問するときに、米国の魚雷艇と日本の駆逐艦の当時の乗組員たちが再会できるかもしれないと心を躍らせていたことです。

 この話は、より大きな日米関係を示す素晴らしいエピソードであり、私たちを分裂させる要因ではなく、団結させる要因に注目すれば、また過去ではなく未来に目を向ければ、必ずより良い世界を創造できることをあらためて思い起こさせてくれます。

 変化には努力が必要です。勇気も必要です。そして、忍耐も要求されます。私はこの全ての資質を、1978年に叔父のテディ(エドワード・ケネディ上院議員)と初めて日本を訪れた時に、日本の人々の中に見出しました。私たちは広島の病院に行き、原爆でやけどを負った女性と話をしました。また過去に敬意を表して花輪を供えましたが、同時に叔父は、日米が共に築くことのできる将来についても語りました。それ以来30年間にわたり、叔父は決して諦めず、人々の生活を向上させる努力を決してやめませんでした。

 これは私たちが皆、それぞれの人生で覚えておける教訓であり、国家間の関係においても重要なことです。先人たちは、和解、友情、勇気、コミットメントを伴う無数の行為を通じて日米同盟を築きました。今度は私たちがこうした取り組みを続け、日米同盟を今よりもさらに強化して、子どもたちに引き継ぐ番です。

 (父を)追悼するこの1週間に、母国や家族から遠く離れ、日本の人々に囲まれていたことは、私にとって特に大きな意味がありました。ここで得た慰めと心強さを私はいつまでも忘れないでしょう。

 そうした心遣いは、集まってくれた人たちからだけではなく、政治指導者や、その他数え切れないほどの人々からも受けました。お花やメッセージをいただき、都内を歩いている私に声をかけてくれた人もいました。天皇陛下ご自身からも哀悼の意と、ケネディ大統領を賞賛するお言葉をいただきました。

 儀式や伝統を尊重し、堅苦しい儀式に温かさと人間性を吹き込む能力は、私が大いに賞賛する資質であり、日本の皆さんからこのような贈り物をいただけたことを光栄に思います。

 天皇陛下にお目にかかった2日後、私は在日米軍および第5空軍司令官サム・アンジェレラ中将と共に、米軍司令部のある横田基地へ飛びました。軍用ヘリが東京上空を上昇すると、はるか遠くに富士山の威容が見え、自分がいる場所をあらためて思い起こすとともに、このように悠久な存在に接したことで、私たち一人一人に与えられた時間の短かさを思い知らされました。

 在日米軍司令部は、1970年代に建てられた、立派だけれども目立たない3階建て・U字型の建物です。以前は駐車場であったU字部分のちょうど中央に、中島(邦祐)空将が司令官を務める航空自衛隊航空総隊の司令部となっている真新しい、最先端の建物があります。優れた能力を有するこの素晴らしい施設は、世界の中でも緊迫し、危険が生じる可能性のあるこの地域における日本の航空防衛の中枢であり、尖閣諸島や北朝鮮を監視しています。中島司令官のすぐ隣には米軍司令官の椅子が置かれています。

 この日一日を通し、私は米軍と日本の自衛隊が緊密に協力していることに感銘を受けました。設備を共有し、共に訓練を行い、そして上層部は長い年月をかけて個人的にも、職務上でも持続的な関係を築いてきました。こうした互いに対する敬意と緊密な意思の疎通は、日米の戦略的パートナーシップにとって大変重要であり、そうした敬意と意思の疎通の存在はどの来訪者の目にも明らかです。だからこそ、日米関係はアジア太平洋地域の平和、安全保障、繁栄を60年以上支えてきたのです。

 その緊密な協力関係は、ケリー国務長官とヘーゲル国防長官が出席し、東京で初めて開催された日米安全保障協議委員会(2プラス2会合)でもはっきりと示されました。1997年以来初めて日米防衛協力のための指針を改定し、相互協力の範囲を拡大する作業が進行しています。米国は、新防衛計画の大綱の策定、国家安全保障会議の設置、国の安全保障上の秘密を保護するための措置など、日本の安全保障政策の変革を支持しています。私たちは米軍基地の再編と、普天間飛行場の代替施設への移設に取り組んでいます。

 さらに、米軍と自衛隊が、日本の防衛でパートナーとして準備を整えておくだけでなく、世界各地での人道支援、災害救助、経済開発、平和維持活動で引き続き協力できるよう、合同演習と訓練の実施にも力を注いでいます。

 一方、ウィンストン・チャーチルが言ったように、「武装するのは交渉するため」です。危機的状況においては、米国は常に、紛争は外交と対話によって解決されるべきであるという原則を掲げており、可能な限りの手段を用いてこの作業を支援する用意があります。

 先週末にケリー長官が述べたように、米国は太平洋における、より協力的で対立のない将来の実現を望んでいます。東シナ海における防空識別圏の設定に関する中国の発表のような一方的な行動は、安全を損ない、東シナ海における現状を変化させようと試みるものです。これは地域の緊張を高めるだけです。

 日本はこの1年間、自制的に行動しており、米国は今後もそのような姿勢を続けるよう強く要請します。また日本には近隣諸国との意思の疎通をさらに図り、地域的な課題に対しては引き続き慎重に対応するよう促しています。米国は、これらの問題に関して、特に緊密に日本政府との協議を継続していきます。来週、バイデン副大統領が来日した際には、これらのメッセージが強調されることになるでしょう。

 最も重要なこととして、米国民一人一人は、米軍兵士とその家族の愛国心、質の高さ、そして日米同盟に対するコミットメントを誇りとすべきです。日本国民は、米国が日本を防衛するパートナーとして日本にいることを、日々実感できます。そして米国民は、米国の前方展開が米国の安全、そしてアジアの平和とさらなる繁栄に資することを知り、満足感を味わうことができます。

 アジアの繁栄と言えば、今はアベノミクス、ウーマノミクス、環太平洋パートナーシップ協定(TPP)について語るべき時です。ここにお集まりの皆さんもよくご存知のように、今こそチャンスのときなのです。日本は政治的安定と経済再生を享受しており、米国との貿易と投資を増やしたい強く望んでいます。両国の経済関係は広範で深く、経済は緊密に結び付いています。例えば、ボーイング787型機のような米国製品を構成する部品は、全体の35%という大きな割合が日本製ですし、かたや新しい三菱リージョナルジェット機は、部品の半分を米国企業が供給しています。保険、エネルギー、医療は全て、将来的に貿易と投資を生み出す重要な分野です。また今週、ブルームエナジーとソフトバンクから、ジョイントベンチャーについての発表がありました。

 日本は、先ごろ開催されたセレクトUSA投資サミットに大規模で意欲的な代表団を派遣しましたし、アジア太平洋全域でTPPの交渉成立によってもたらされる利益を享受する態勢が整いつつあります。この包括的で高い水準の貿易協定は、日本の参加によって大幅に強化されました。複雑で困難ではありますが、米国のアジア太平洋地域へのリバランス政策全体にとって、TPPは経済的にも戦略的にも不可欠です。強い日本経済は米国の国益にかなうものであり、TPPは安倍首相の国内政策課題における目標を達成する重要な手段でもあります。

 フロマン代表率いる交渉団は、困難な課題に本腰を入れて取り組んでいますが、楽観的ですし、日本側も全面的に関与しています。オバマ大統領は厳しいスケジュールでの交渉に全力を傾けており、バイデン副大統領も来週、このメッセージを熱意を持って伝えることと思います。

 繰り返しますが、全てを政府任せにすることはできません。本国の人々にこの画期的な協定の有益な側面を理解してもらい、協定の成立に向けて努力するのは、ここにいらっしゃる皆さんの責任です。TPPによる利益が速やかに、幅広く実感できるように、協定の実施に向けた準備も整えなければなりません。大使館チームも、その実現のために皆さんとの協力を惜しみません。

 私が感銘を受けたのは、安倍首相が先般のニューヨーク訪問時と同じく、私との初めての会談でも、ウーマノミクスに力を入れていることをはっきりと示して説明されたことでした。

 女性に権限を与えることにより、社会全体が利益を受けることを、米国民は知っていますし、世界もこれを経験してきました。国際通貨基金(IMF)の推計では、日本で働く女性の数が他の先進諸国並みまで増加すれば、日本の国内総生産(GDP)は4%増加するそうです。

 これが単に女性の問題ではないことを安倍首相は理解していると、私は確信しています。これは男性の問題でもあります。家族の問題であり、経済や国家安全保障の問題であり、道徳上の問題です。

 米国にもやらなければならないことがたくさんありますが、オバマ大統領の大統領としての初仕事が、賃金差別と闘う障害を取り除くリリー・レッドベター公正賃金法への署名であったことを、私は誇りに思います。初の女性駐日米国大使として、大使館の政務担当公使、経済担当公使、陸軍武官、司法担当官、報道官、そして私の首席補佐官が女性であることを誇らしく思っています。そして日本の職場の力学について、さらに多くを学ぶことを楽しみにしています。

 最後に、昨日までの2日間、私は東北地方を訪れました。(東日本大震災による)破壊の大きさに深く心動かされましたが、一方で東北の人たちの強さと立ち直る力に感銘を受けました。そして謙虚な気持ちで、米軍と、私の前任者であるジョン・ルース大使の足跡をたどりました。ルース大使はトモダチ作戦を通じ、(東北地方を)支援し、希望を与えようと個人的に熱心に取り組みましたが、今でも地元の人々はその思いを日々感じています。

 かつては7万本もの松の木があった場所に、今は奇跡的に1本だけが残っている海岸地帯も訪れましたが、それを見て日本画に描かれた1本の松の木が力強く象徴するものについて思い起こしました。万石浦小学校では、習字に挑戦しましたが、子どもたちはそれを面白がり、私の左利きも大目に見てくれました。

 私は「小さな希望の大使」という手編みの小さな動物たちをお土産として持ち帰りました。これは、大切なものを失った時に残されるのは、創造力と地域社会だけであることを理解している女性たちのグループが作ったものです。編み物のおかげで、彼女たちは過去ではなく現在に気持ちを向けることができました。しかしそれだけでなく、彼女たちの元には環境に優しい手編みのアクリルたわしを買った世界中の人たちから手紙が寄せられました。彼女たちはその手紙を大切にしています。私は希望の大使を、大使館のクリスマス・ツリーに飾り、また友人にも送って、東北の精神を思い出してもらおうと思っています。

 最後に、テイラー文庫に本を寄贈することもできました。テイラー文庫は、津波の犠牲となる前にJETプログラムの英語教師として石巻市で英語を教えていた、米国人テイラー・アンダーソンさんを記念して作られた図書室です。寄贈図書のリストを見た時に、叔父のテディが書いた児童書「My Senator and Me」(上院議員と僕)があることに気づきました。叔父と愛犬のスプラッシュ(この本を書いたのは実はスプラッシュです)が、万石浦で有名になることを知っていたら喜んだだろうと考えると、思わず顔がほころんでしまいました。

 この2日間をエドと私は決して忘れないでしょう。1万人もの若者たちが参加した米国への旅とホームステイのプログラムと同様、今回の東北訪問では、TOMODACHIイニシアチブが東北の地域社会をより広い世界と結び付けるために果たした重要な役割を実感できました。今ここにいるTOMODACHIプログラムを支援してきた皆さんは、ご自分たちの寄付がもたらした効果に満足し、こうした取り組みへの支援を継続していただきたいと思います。そして皆さんの寄付の恩恵を受けている人々が直接お礼を言えるよう、彼らを訪問していただければと思います。そうすれば、支援プログラムについて、さらに多くのアイデアを得て帰ってくることでしょう。

 日米の若者たちにはとても多くの共通点があります。始まりはアニメかもしれませんが、国際宇宙ステーションで米国航空宇宙局(NASA)の宇宙飛行士を指揮する若田飛行士のようになるかもしれません。始まりは大阪の草野球かもしれませんが、やがてはフェンウェイパークでレッドソックスを86年ぶりの勝利に導いた上原浩治投手のようになるかもしれません。今や世界は相互に依存し、国際的になっていますから、日米同盟で私たちのような上の立場にいる人間は、若者たちが芸術、科学、教育、スポーツ、ビジネスなどの分野で、多様で意義のある協力の機会が与えられるよう配慮することが必要です。

 50年前、ケネディ大統領と池田首相が、同じような問題に取り組むために日米文化教育交流会議(CULCON)を創設しました。50年たった今、私たちはこの功績を足がかりとし、2020年までに学生の国際交流を倍増させ、語学研修と旅行を増加させる目標を達成しなければなりません。そうすれば、50年後には、人々が今の私たちと同じような感謝の気持ちをもって過去を振り返ってくれるでしょう。

 父は、18世紀の東北地方の大名で、優れた統治力と公益のために献身したことで名高い上杉鷹山を敬愛していました。鷹山は民主的な改革を導入し、社会のさまざまな階級の人々に、新たな方法で共に地域社会に参加し、奉仕することを奨励しました。質素に暮らし、未来へ投資するために、学校を建て、事業を起こしました。鷹山は、ケネディ大統領の有名な国への奉仕への呼びかけに通じる言葉を残しています。「国家は先祖より子孫へ伝え候国家にして我私すべき物にはこれなく候。なせば成る 為さねば成らぬ何事も 成らぬは人の為さぬなりけり」

 ですから、私たち次第なのです。明日は感謝祭を祝いますが、私には感謝するものが本当にたくさんあり、とりわけ母国に奉仕し、皆さんから学び、皆さんや日本の人々と協力し、偉大な日米両国を一層緊密にする機会を与えられたことに感謝しています。

 どうもありがとうございました。