長崎市でのハナミズキ植樹式におけるキャロライン・ケネディ駐日米国大使のあいさつ
*下記の日本語文書は参考のための仮翻訳で、正文は英文です。
2013年12月10日、長崎平和公園
皆さん、こんにちは。この美しい都市に私を歓迎していただき感謝します。
とりわけ、長崎市の田上富久市長、長崎市議会の板坂博之議長をはじめ、今日ここにお越しの市議の皆さんにお礼を申し上げます。貴重なお時間を割いて、この友好の式典にお越しいただき、ありがとうございます。
また日米協会、長崎・セントポール姉妹都市委員会、ロータリー・クラブにもお礼を申し上げます。皆さんには、日米関係で非常に重要な役割を果たす教育の機会に対し、ご支援をいただいています。
さらには日米交流財団のポルテ副委員長、そして後援者の皆さんの支援がなければ、私たちは今日ここにいなかったでしょう。多くの皆さんにこの特別な式典に参加していただけたことをうれしく思います。セントポールにいる私の友人たちに、姉妹都市である長崎の皆さんが彼らの訪問を待っていること、そして私が皆さんをセントポールにご招待したことを必ず伝えます。
後ほど山里小学校の児童も参加することになっており、私はことのほか、うれしく思っています。なぜなら、この子たちは将来の日米友好大使だからです。
ここに来る前に見学した長崎原爆資料館と浦上天主堂では、この町の歴史と、より平和な世界の構築に向けた長崎市の決意に深く心を動かされました。
ネルソン・マンデラの死去から数日、私たちは皆、和解の力と、平和と正義、言論と信仰の自由の実現のための努力を続けなければならないことをあらためて実感しています。長崎市は半世紀以上にわたり、この取り組みを主導してきました。
市長がおっしゃったように、私の父は核兵器の廃絶に熱心に取り組んでいました。大統領として父が最も誇りとしていた功績は、部分的核実験禁止条約の締結でした。
オバマ大統領がケネディ大統領と同じく核兵器の廃絶に取り組み、新戦略兵器削減条約(新START)や、イランが保有する破壊兵器の数を大幅に削減する「第1段階の措置」で合意に達したことを誇りに思います。しかし、私たちは皆、この困難で危険な世界で平和を訴え続けていかなければなりません。
幸いなことに、私たちは過去の悲しみを忘れることなく、共に友好の絆と将来への希望をたたえることができます。
ですから、米国民からの贈り物である米国産ハナミズキ100本を長崎市民と日本国民の皆さんにお渡しできることを光栄に思います。これは、100年以上前、米国が日本の皆さんからいただいた贈り物に対する感謝のしるしです。
1912年3月27日、当時の米国のファーストレディー、ヘレン・タフトと珍田駐米日本大使夫人が、ワシントンDCで2本の桜の木を植えました。アドレナリンを発見した偉大な日本人科学者、高峰譲吉博士のご尽力により実現した贈り物で、この2本を皮切りに3000本以上の桜の木が米国の首都に植樹されました。
以来毎年、何世代にもわたり、米国人と日本人だけでなく、世界中の人々が、ワシントンDCで開催される桜祭りを楽しんできました。これはこれから何百年も続くでしょう。
実は、私には、ワシントンDCでの子どものころの思い出はほんのわずかしかないのですが、そのうちのひとつが、桜の季節に母に連れられて、桜並木で有名な入り江「タイダルベイスン」の周りを歩いたことです。桜はとてもきれいでしたが、新しい赤い靴を履いて歩くにはとても遠かったので、わずか3歳でしたが、この時のことをよく覚えています。
日米の友好のシンボルとして、この美しい桜の木やハナミズキほどにふさわしいものは他にありません。こうした木のように、両国の絆は年を追うごとに深まり、広がり続けるでしょう。
日米同盟は、継続的な管理と世話が必要な「生きている」パートナーシップです。この神聖な場所で、そして日本と米国のあらゆる場所で、平和への決意を維持し、新たにしていくのは、各世代の責任です。今は私たちの番です。
田上市長、そして長崎市の、この意義深い、永続的な取り組みにあらためて感謝いたします。互いに理解しあう世界への道を切り開いていただき、ありがとうございます。これから、この友好関係を深めていくことを楽しみにしています。
また来ることが楽しみです。