ハワード・ベーカー元駐日米国大使を追悼

ハワード・ベーカー元駐日米国大使

*下記の日本語文書は参考のための仮翻訳で、正文は英文です。

2014年6月27日

  在日米国大使館は、ハワード・ベーカー元駐日米国大使が6月26日テネシー州の自宅で逝去されたとの報に接し、謹んで哀悼の意を表します。ベーカー大使はジョージ・W・ブッシュ大統領の下、2001年7月から2005年2月まで駐日大使を務めました。

  ベーカー氏は、大使在任期間中、人々から敬愛されました。2001年9月11日の同時多発テロの後、日本との緊密な協力関係の構築に努め、2002年に小泉首相(当時)が日本人拉致問題で北朝鮮の金正日総書記と会談するため平壌を訪問した際には、日米両政府の調整役を務めました。

  ベーカー大使は友人である加藤良三元駐米日本大使と共に、強固な日米関係を深化させる自らの取り組みが将来も続くようにと、日米外交官交流計画を設立しました。

  駐日米国大使の職務は、ベーカー大使の公職に尽くした人生の締めくくりとなりました。大使に指名される前はテネシー州選出の上院議員を18年間務めました。また1987年から1988年まではロナルド・レーガン大統領の首席補佐官、1977年から1981年までは上院・共和党の少数党院内総務、1981年から1985年までは多数党院内総務を務めました。ウォーターゲート事件を追及した際の質問「大統領は何を知っていて、それをいつ知ったのか」で有名です。

   夫人のナンシー・カセバウム氏は、カンサス州選出の上院議員(1978~1997年)を務めました。ベーカー大使は政治的に穏健な立場を取り、対立が生じたときの合意形成に尽力したことで、民主・共和両党議員に尊敬されていました。こうしたベーカー氏の資質は、駐日大使としての任期の間、非常に貴重でした。

   ベーカー大使の下で共に働くことができた私たちは、世界をより良くするため共通の基盤を見つけることに専念した大使の、優しく温かで深い知性を備えた人柄を覚えています。カセバウム氏をはじめとするご遺族の方にお悔やみを申し上げます。