アジア太平洋政策についてのケリー国務長官の講演

*下記の日本語文書は参考のための仮翻訳で、正文は英文です。

2014年8月13日

イースト・ウエスト・センター、ハワイ、ホノルル

モリソン所長

 ありがとうございます。アロハ。皆さん、ようこそお越しくださいました。オンラインで視聴している方々と、国務長官に、ここに出席してくださっている方々をご紹介いたします。コールドウエル・ホノルル市長、メイジー・ヒロノ上院議員、ジョージ・アリヨシ元州知事、さらにジョン・ワイヒー元州知事の他に、ホノルルの財界人、知識人ならびに公共部門の皆さんが大勢出席してくださいました。また外交団と軍人の皆さん、イースト・ウエスト・センター理事会役員ならびに職員、イースト・ウエスト・センター関係者も出席してくださいました。そして最も重要なことは、アジア太平洋地域の将来のリーダー達が出席してくださっていることです。国務長官にも申し上げたことですが、昨日は米国から130人、他の国々から40人の新たな参加者をお迎えしたところです。将来の地域のリーダー、あるいはグローバルリーダーになる準備をするための独自のプログラムに参加するためにここにやって来られました。

  さて、卓越したリーダーシップの持ち主として、すでに名前を広く知られている人物を、どう紹介しましょうか?

 ケリー国務長官

 まずは、皆さんに座るようにおっしゃることだと思います。

 モリソン

 オー(笑)。どうぞ皆さんお座りください(笑)。ありがとうございます、長官。皆さんご承知のように、長官は、戦時には従軍し、平時には公職に就かれて、国に対する務めを果たしてこられました。上院議員を28年間務め、また大統領選では5900万票を獲得し、それにはハワイ州の54パーセントの票が含まれていました。(笑いと拍手)私自身、元上院スタッフとして、長官がどのような人であるかを本当に知るには、指名承認公聴会でのやりとりを見ることだと思います。課題は議論を呼ぶものでありましたが、候補者に対する賛否は分かれておらず、共和党、民主党を問わず、元同僚たちが長官について語ったことが、彼の本質を的確に伝えていると思います。つまり、外交官の家庭に生まれ、28年間の上院議員を通じて上院外交委員会に所属し、4年間委員長を務め、国務長官の任を果たす準備ができていること。語学が堪能で数カ国語を話し、それぞれの国の情勢、各首脳や、各国が抱える課題をよく知っていること。高潔さと知的誠実さを兼ね備えていること。職務に、信念と情熱、エネルギーを惜しみなく注ぐこと、などです。それでは、多分7度目になると思いますが、アジア歴訪を終え帰国する長官を、お迎えしたいと思います。最もアジア太平洋に近い位置にある州、そして米国の将来にとって体系的に大変重要な、この広大な地域におけるコミュニティの建設を担うイースト・ウエスト・センターに、国務長官ようこそお越しくださいました。(拍手)

 ケリー国務長官

 ありがとうございます。皆さん、こんにちは。アロハ。ハワイは大変素晴らしい場所で、皆さんのように素敵なシャツを着てリラックスできたらと、言葉ではうまく言えないほど切に願っています。(笑)私はと言えば、何と呼んでもらっても構いませんが、制服に身を包んでいます。これを制服と呼ぶ人もいるでしょう。それにしても、こちらに来ることができて大変喜んでおります。ホノルル市長、ご一緒できて光栄です。ヒロノ議員、ありがとうございます。お会いできてうれしく思います。ようこそお越しくださいました。元州知事の方々にもご出席いただき、心より感謝いたします。

  聴衆の皆さん、そしてご来賓の皆さん、ご一緒させていただくことができて、本当にうれしく思います。モリソン所長、温かいご紹介の言葉で迎えてくださり、ありがとうございます。心から感謝いたします。

  皆さん、チャールズ(モリソン所長)は、1990年代の初めに、すでにアジア太平洋地域が地域主義に向かう傾向について、はるか先を見越していました。しかも、シンクタンクにおける標準的な議論のテーマとなるずっと前から、東アジアでのコミュニティ構築を呼び掛けていました。明らかに、長期的な戦略を練る能力が彼に備わっていて、それはすべての人々の利益にかなうことでした。そして、その彼と同じ才能を共有していたのが、当センターの創設者のひとりであり、私の元同僚であり、皆さんから敬愛された、私の友人でもありました、ダニエル・ケン・“ダン”・イノウエ上院議員でした。上院議員時代の終わりごろ、上院における私の序列が上から7番目になり―もし国務長官に指名されていなければ、また上位の議員が次々と引退しましたので、考えてみれば恐ろしいことですが、私が序列の3番目か、4番目にまで上がっていたかもしれません―その結果として、上院で、4年か5年の間、偉大なるダン・イノウエ上院議員の横に座ることになりました。机も隣同士でしたから、やがて大変良き友人になりました。2003年だったか2004年だったかに、私が大統領選に出馬する決意をした時も、彼は当初から私を支持してくれました。しかし、最も重要なことは何よりも、ダン・イノウエ上院議員が、皆さんもご承知のとおり、すべての同僚議員から非常に尊敬され、愛された愛国者であったことです。長く彼を選出し続けたハワイは、大変賢明でした。

  昨日、ガダルカナルを訪れたばかりですが、「血染めの丘」と呼ばれたエドソンの丘に立ちました。夜の闇に次々と波のように押し寄せてくる3000人を超える日本兵を迎え撃つために海兵隊員が身を隠した塹壕が今も残っており、そこに足を運びましたが、そこでの戦闘が戦争の局面を変えたという深い感慨を覚えました。こうしたすべてのことについて、本当の意味が分かる場所は、ハワイをおいて他にないと思います。

  昨日は、第2次世界大戦における真に重大な戦闘のひとつを記念する日でありましたので、ダンの米国への奉仕を、特別な誇りと謙虚さをもって、じっくり考える機会を得ることができました。彼は、私たちも十分知り尽くしている大変困難な状況に立ち向かった、戦争の英雄でした。彼は、当時、大半の米国の人々の中に誤った考えがはびこっていたという不利な状況をはね返して、日系米国人として最初に下院議員となり、さらに上院議員となりました。彼は、その困難に決して挫けませんでした。彼は、米国とアジア太平洋地域を結ぶ絆を強化することを信念を持って決意していました。数十年もの間、イースト・ウエスト・センターの設立に尽力したのもそのためであり、オバマ大統領と私が、皆さんの任務を強力に支持していることを覚えておいていただきたいと思います。なぜなら、皆さんの任務が人と人とを結びつけ、それによって人々が地域における将来の役割や、時には、率直に言って関係や常識の妨げとなり得る、理性ではなかなか片付かない固有の違いを乗り越える方法を、創造的に考えるようになるからです。

  米国では、憲法に奴隷制度が記述されてから、削除されるまでに長い年月を要したことは余りにもよく知られています。そして、それを削除するための困難をよく知っています。ですから、今日、世界を見ると、複雑で、困難で、騒然としており、不安定ではありますが、実は、アジア太平洋地域にとって重要な問題に何十年もかけて取り組んできた私たちの多くにとって、今という時代は、特別に刺激的です。アジアの変化に目をやると、ほとんど浮き浮きとした気分にさえなります。ダン・イノウエ議員同様、この私も、ここにいる多くの皆さんもそうだと思いますが、幸いにもその変化の多くを自ら体験してきました。

  私の多くの-(咳)-失礼、長時間飛行機に乗っていたせいです。ボストンとマサチューセッツ出身の私の先祖の多くは商人で、定期的に中国への孤独な旅をするなか、香港に船を停泊させました。祖父は、実は上海生まれで、中国人実業家とパートナーシップを結んでいました。私の家族とマサチューセッツは長年にわたり、この関係の可能性を実感してきました。今日、東アジアは全世界中で、最も広範で、急速に発展している、最も躍動的な地域のひとつです。そして環太平洋パートナーシップ協定(TPP)交渉が妥結したら、世界の国内総生産(GDP)の40%が、高い水準の貿易協定で結ばれ、人々が活動規則を理解し、説明責任と透明性があり、ビジネスと資本が基本的な規則を確実に理解して、互いの国に投資を誘致するような、最後尾ではなく、先頭を争う競争が生まれます。

  私は、大学卒業後、米国海軍に入隊する名誉に恵まれ、真珠湾を航行しました。太平洋に乗り出して行く前に、小型快速船に乗務する若い将校として記憶に残る日々をここで過ごしました。島中あらゆる場所を車でめぐり、中には行ってはいけないところまで訪れました。それはとても楽しくて、その後2回目の任務はベトナムの河川が舞台となりました。その当時は、ベトナムという言葉は、それを言うだけで、不吉な意味合いを持ちました。それは戦争を意味しました。アメリカを二分する大きな意見の食い違い、引き裂かれた家族を意味しました。しかし今日、ベトナムと言う時、それは多くの人にとって全く違った意味を持つようになりました。今では経済機会に満ちあふれたダイナミックな国となりました。米国の企業や投資家にとっては市場となりました。米国の子どもたちの教室となりました。世界で最大級の規模のフルブライトのプログラムが行われています。ともに地域経済と安全保障の課題に取り組むパートナーなのです。

  このような著しい変化がこの地域ではほとんど普通のこととなりました。決して忘れることができないのは、15年前、当時のビルマを訪れたことです。現在、人々がこう呼びたいと思う気持ちで選んだミャンマーとは異なります。アウン・サン・スー・チー氏が20年近く軟禁されていた家を訪れました。今週、幸いにもまた同じ家を訪れることができましたが、全く変わっていなくて、同じように見えました。ところで20年経った今、スー・チー氏も全く変わっておられませんでした。現在彼女は連邦議会議員として自らの考えを自由に述べることができるようになりました。

  注目に値することです。問題がすべて解決したわけではありません。アジアを地球上における最も刺激的で、前途有望な地域にしているのがこうした変化なのです。

  モリソン所長が言われたように、国務長官となって18カ月間で、実際には6回目のアジア太平洋地域訪問を終えて帰国してきました。本日はこの後、太平洋司令官と会談して、多岐にわたる、非常に難しい米国の軍事プレゼンスの問題を検討することになっています。この地域を何度となく訪れており、ヒロノ議員、自分でも上院議員として何度訪れたのか分からないほどです。私たちのこの地域に対する関心は永続的で、当然のことながら非常に真剣です。

  米国の安全保障と繁栄は、ますます緊密にアジア太平洋地域との結びつきを強めています。オバマ大統領が2009年にアジアへのリバランスと称する政策を始めたのも、こうした理由があるからです。今後2年半の間に、地域における私自身の取り組みをさらに倍加するようにオバマ大統領が求めたのも、そのためです。きょう、ここで、4つの具体的な機会についてお話するのも、そのためです。4つの具体的な機会とは、持続可能な経済成長の創出、クリーンエネルギー革命への注力、地域協力の推進、人々のエンパワーメントです。

  このような重要な機会は、規則に基づいた地域の秩序、地域機関などによって補強される共通の行動規則と規範を土台とする安定した地域秩序を通じて実現することが可能であり、また実現されるべきなのです。そして、そこにこそ私たちすべてが進歩することができる最も大きな可能性があるのです。米国がこのアプローチを支持するのは、率直に言って、協力的な行動を後押しするからなのです。地域の統合を促します。大国も小国も、すべての国々が-そして小国の部分が大変重要なのですが-共通の課題にどう協力するかについて発言の権利があることを保証します。皆さんに米国がこのビジョンの実現に深くコミットしていることを知っていただきたいのです。オバマ大統領も多いに期待しています。大統領が、私たち皆に望んでいるのは、これを促すことと、その理由を理解することです。はっきり言って、アジアの多くの国々が米国と協力することを選択した根本的理由は、このビジョンなのです。

  今日、米国の(プレゼンスの)縮小あるいは撤退について人々が語るのを耳にしたことがあるでしょう。これほど事実とかけ離れていることはありません。米国史上これほど多くの国々、地域に関与し、多くの国々や地域で活発に活動したことはかつてありません。私がそう言い得るのは、ここに来る車の中でさえ、中東の人たちと、数日後に実行される停戦について、またその前途について電話で話をしたばかりだからです。またアフガニスタンから戻ったばかりですが、そこでは我々は、国をアフガニスタン国民、そしてその未来に委ねる取り組みを行っています。米国は、イランの核計画について、また北朝鮮、中国、スーダン、中央アフリカとも関与しています。また先ごろ50人を超えるアフリカの首脳をワシントンに迎えて、米国の今後のアフリカ関与について話し合いました。米国は、非常に複雑化した世界と深く関与しています。

  今ここで行っている講演、そして終えたばかりのアジア歴訪は、たとえ今挙げた危機や、日常的にメディアで大きく取り上げられ、米国のリーダーシップを必要とするさまざまな紛争に重点的に取り組むことがあっても、米国の国益を満たすための長期的な戦略的課題を決して忘れることはないと強調することが目的です。国務長官として私の職務は、危機に対応することだけではありません。米国のためになる長期的機会を見極め、つかみ取ることでもあります。ビルマ、オーストラリア、ソロモン諸島へ行ったばかりですから、こうした戦略的機会がアジア太平洋ほど明確で、説得力に富む地域は他にないと明言できるのです。

  米国と他の国々に数え切れないほどの新たな雇用機会を創出し、最後尾ではなく、先頭を争う競争を誘発する、包括的かつ野心的なTPPの交渉を現在行っているのは、そのためです。ビジネスを行う基準が向上するのです。東南アジア諸国連合(ASEAN)地域フォーラム、東アジアサミットなどの地域機関への関与を高めているのも、そのためです。さらに、日本、オーストラリア、韓国、フィリピンといった条約に基づく同盟国との安全保障上のパートナーシップの再活性化を図っているのもそのためなのです。アジアの人々が世界中の他の国々と同じように大切にしている、人権と基本的な自由を擁護するのもそのためです。

  私は、今ある課題について幻想を抱いておりませんし、それはオバマ大統領も同じです。21世紀の課題は複雑です。私たちの多くがその最中に成長した、二極化された、東西、ソ連対西側世界といった冷戦時より、多くの側面ではるかに複雑化しています。多くの点で、はるかに複雑です。18世紀や19世紀の外交のように、各国がそれぞれ異なる手法で国益を強く主張し、国力と独立心を持つ経済プレーヤーの数が20世紀に比べはるかに多くなってもいます。しかし私がここで皆さんに強く訴えたいのは、前進する道があることです。そこまで悲観的になることはないのは、言葉では言い表せないけれど、私たちにできることがあるからです。

  それでは、地域のための共通のビジョンを実現し、アジアが世界の平和と繁栄に確かに貢献できるようにするには、どうすればよいでしょう? まず、今日の経済ナショナリズムと細分化を、明日の持続可能な成長へと転換することです。私は常に、外交政策は経済政策であり、経済政策は外交政策である、と言っています。この2つは同じものです。特にアジア太平洋地域では、これを否定することができません。アジア太平洋地域はグローバルな経済成長の原動力でありますが、その成長を当然と思うことはできません。

  なぜなら、私たちが直面していることは、実は共通の課題だからです。世界中で、若者の人口が驚くほど増えています。アフリカサミットでは、アフリカにおける30歳未満の人口が7億人だということが強調されました。若年人口が大幅に増えています。考えてもみてください。この21世紀、2014年には、だれもがモバイル機器を持ち、誰もが毎日、常にお互いに連絡を取り合っており、これらの人々がすべて機会を求めています。誰もが尊厳を求めているのです。希望と共に、過激派、抵抗分子、反対論者の幹部が、若者たちを誘惑して袋小路への道を選ばせようと待ち構えています。人は仕事がないと、教育を受けることができないと、自分自身と家族により良い将来を目指すことができないと、あるいは極めて厳しい法律あるいは暴力と抑圧によって人々の声が押し殺されていると、それによって社会不安が引き起こされることを、実際に目にしてきました。

  今アジアでは、大半の政府とまではいかなくとも、幸いにも多くの政府が、増える若者人口に、選択肢、質の高い教育、現代の世界に必要な技能、生計を立てることができ、自分の国を信頼できる仕事を提供する努力をしています。アジアの若者たちが、暴力的な過激派の一味ではなく、中流階級に加わっていけるのは、こういった理由があるからです。世界中には、このような機会を提供することに悪戦苦闘している国が多すぎるのが現実です。統治が欠如しており、世界各地で、破たん国家や破たんしつつある国家の問題への対処という共有する課題の重要性が見過ごされているのです。

  21世紀においては、国益と国民の幸福は軍人や外交官によってのみ向上するのではなく、起業家、企業の経営者、優良な企業市民である会社、そのような会社の社員あるいはそこで研修を受ける学生たち、それらの企業によって生み出される共有利益によって向上します。だからこそ米国は、包括的TPP合意を目指すことにより、貿易と投資を拡大するなかで、その基準の維持と向上にアジア太平洋地域のパートナーたちと協力しているのです。

  TPPは、米国とアジア太平洋地域諸国との互恵的貿易協力関係の長い歴史の中での、非常に刺激的な新しい局面を表しています。TPPは最先端の、21世紀の貿易合意であり、お互いが共有する経済的利益だけでなく、共通の価値観とも一致するものです。貿易、投資、起業家精神の波を起こすことで、経済成長を促し、国民の雇用を創出するものです。労働者を守り、環境を保護し、イノベーションを促進するものです。そして、このダイナミックな地域の経済成長を導く高い基準を求めています。すべて企業にとっても、労働者にとっても、各国の経済にとっても良いことなのです。だからこそ、これを達成しなければならないのです。

  アジアを訪問する度に、若い起業家やビジネスリーダーたちと出会う機会に恵まれます。先ごろのアフリカサミットにも、全員起業家で、他に類を見ないことをやっている20歳代の若きアフリカのリーダーから成る素晴らしいグループが出席していました。これは、ヤング・アフリカン・リーダーズ・イニシアチブと呼ばれ、オバマ大統領が創設したものです。

  昨年12月、ハノイでベトナムの市場経済への移行を支援するための「ガバナンス・フォー・インクルーシブ・グロウス・プログラム」(the Governance for Inclusive Growth Program)を立ち上げました。ソウルとマニラでは起業家たちと懇談して、イノベーションを推進する方法について話し合いました。土曜日には、ASEAN代表者たちと「エクスパンデッド・エコノミック・エンゲージメント」(Expanded Economic Engagement)、あるいはE3と呼ばれる、ビジネスチャンスと雇用を生み出すための枠組みについて話し合いました。そして昨日はオーストラリアのシドニーでビジネスリーダーたちと、貿易と投資の障壁を削減するための方法を模索する話し合いを持ちました。

  この戦略を支持する土台を広げるためには、急速な成長だけでなく、持続可能性にも重点を置くことが必要です。つまり地域の機関を最大限活用することです。オバマ大統領はこの秋、北京で開かれるアジア太平洋経済協力会議(APEC)で、クリーンで再生可能な燃料の推進、小企業への支援、女性の経済参加への支援、教育交流の拡大について、参加国首脳と議論します。数日前、私はメコン河下流域開発計画加盟各国の大臣たちと会談し、パートナーシップの深化、メコン河下流域の食料、水、エネルギー安全保障をめぐる課題への取り組みへの支援について意見を交わしました。

  最終的な成否は、経済成長が継続したかではなく、どのように成長が継続したかによって判断されます。そこで2つ目の課題に話を転じます。すなわち、私たちは今日の気候変動の危機を、明日のクリーンエネルギー革命に転換する必要があります。ここにお集まりの皆さんは、気候変動が将来起こる危機ではないことを理解していることと思います。気候変動は今すでに起きています。世界中で現実に起きています。それはどこか遠くで起きている、人々の手の届かない問題ではありません。

  重要なことは、科学者が予見していたことが、私たち皆が危機感を持たなければならないほどの速度で起きつつあるということです。余談になりますが、1980年代、私は幸いにもアル・ゴア、ティム・ウォース、そしてジャック・ハインツらの上院議員グループと一緒に仕事をする機会に恵まれました。初めて気候変動に関する公聴会を開いたのは1988年ですが、その時、米国航空宇宙局(NASA)のジム・ハンセンが、気候変動は起きている、1988年の今、気候変動は起きていると言ったのです。1992年に、ブラジルのリオで地球サミットのフォーラムが開催されました。当時のジョージ・H・W・ブッシュ大統領も参加しました。そして気候変動に対処する自主的な枠組みを定めましたが、そうした枠組みは成功しませんでした。その後20年間、これといって何もなされませんでした。そして京都で(気候変動に関する)会合が開かれました。何かしたいと思って、いろいろな所で会合を開きました。今は2014年の現時点ですが、来年2015年にも会合を開く機会があります。

  そして、今起きているのは、科学が私たちに叫び続けているということです。学校にいる子どもたちに聞いてごらんなさい。子どもたちは、温室とは何か、どういう働きをするか、なぜ温室効果と呼ぶかを知っています。彼らは分かっています。もし科学を受け入れるなら、科学が気候変動の原因であることを受け入れるのなら、同じ科学者が言っている、どうすれば避けようのない結果と影響を防ぐことができるかに耳を傾けるべきなのです。オバマ大統領が気候変動を優先事項のひとつとしているのは、このためです。連邦議会ではできないことを、「行政権限」(エグゼクティブ・オーソリティ)によって実行しているのです。私たちは気候行動計画の実施に向けて大変な努力を払っており、模範を示して主導していこうとしているのです。米国の自動車やトラックの燃料効率を2倍にすることに努めています。既存の発電所が可能な限りクリーンで、効率的にする新たな基準を設けました。また温室効果ガスの排出を、2020年までに対2005年比で約17%引き下げるために力を尽くしています。

  米国は正しい方向へと進んでいます。しかし全員が総力を挙げて対処しなければならないことは間違いありません。当然のことながら、地球の気候の救済は地球規模での解決を必要とする地球規模の課題です。アジア太平洋地域ほどこれが明らかな場所は他にありません。この議論あるいは挑戦において、中国と米国ほど効果と影響力を持つ国はありません。

  先月の米中戦略・経済対話の間、私とジャック・ルー財務長官は北京に2日間滞在しました。そこで米国と中国は明確なメッセージを発信しました。つまり、世界の2大温室効果ガス排出国である米国と中国は、低炭素の経済成長パターンを前進させ、両国の温室効果ガスを大幅に削減することにコミットするということです。そして米中は炭素の捕捉、利用、貯蔵におけるデモンストレーション・プロジェクトを発足させるために協力しています。両国は、重量ならびに軽量車両に対するより厳しい新たな燃料効率基準を採用しようとしています。森林破壊の脅威と、その気候変動に対する密接な関係は現実のものであり、森林破壊は深刻で、進みつつあることを理解しているので、気候変動に関する新しいイニシアチブを進めています。はっきり申し上げて、これは中途半端に取り組める問題ではありません。そんな簡単な問題ではありません。科学を受け入れるのであれば、これらのことを実行しなければならないことも受け入れなければなりません。

  今、米中は炭素排出を削減してクリーンエネルギーの未来を創り出すという特別な役割を担っています。しかし、これをきちんとやり遂げることは、すべての国に関係があります。昨日、ソロモン諸島から戻りましたが、ソロモン諸島は、おびただしい数の島しょがあり、私たちが選択を誤れば、そのうちのいくつかが消し去られる恐れがあります。太平洋全域にある島々は、気候変動の影響を受けやすい存在です。そして昨日、海面上昇がそれらの島の一部にどう影響するかを私自身の目で見ました。それは壊滅的であり、全居住地が破壊され、全住民が住んでいるところを追われ、場合によっては、文化が丸ごと消え去ってしまうかもしれないのです。つい先ごろガナルカナルで前例のないほどの大量の降水により、鉄砲水が発生しました。これは気候変動によって引き起こされたもので、前例のないほどの暴風、台風、ハリケーン、干ばつ、火事などが発生し、莫大な損害を被り、それらを予防するために投資する代わりに、損失による代償を支払わされています。

  だからこそ、目前に迫っている脅威と、長期的開発の課題に対応するため、米国は太平洋島しょ国家ならびにその他の国々とのパートナーシップを深化させているのです。米国国際開発庁(USAID)や他の多国間の諸機関を通じて、災害から復興するコミュニティの力を向上させるための取り組みを行っています。また太平洋諸島フォーラムを通じて米国は関与を強めています。太平洋の優れた統治と、島しょ国家間の平和的関係を促進するために、米国は新たな海上境界線について、キリバスとミクロネシア連邦と合意しました。米国は、オバマ大統領が取り組んでいる、米国から遠く離れた太平洋にある100万平方マイルを超える保護地区の探査を含む、海洋保護地区の「パシフィック・パスウェー」に取り組んでいます。

  先日、ワシントンで海洋に関する会議が開催され、世界各国からの参加があり、非常に大きな成果を挙げることができました。漁場の取り締まり、公害対策、酸性化対策、海洋サンクチュアリの保護を支援するために18億ドルが拠出されることになりました。

  良い知らせは、最後にあるものですが、これは本当に大変良い知らせです。問題というものは時には起きるもので、市長はお分かりになると思います。州知事もお分かりだと思います。問題があるのは分かっているが、頭をひねってはみるものの解決策がどうも見つからないという場合がありませんか?それでも、何とか頑張ります。つまり、良い知らせというのは、今私たちが直面している最大の問題は、地球規模の影響を受けるという観点から見ると気候変動ですが、これがチャンスなのです。解決策のない問題ではないので、非常に大きなチャンスです。気候変動に対する解決策は簡単です。これをエネルギー政策と言います。エネルギー政策です。エネルギーの産出において、排ガスをなくし、炭素捕捉と貯蔵のない、あるいはクリーンではない石炭火力発電をしないといった正しい選択をすることで、クリーンなエネルギーの産出を始められます。

  私たちが注目している新しいエネルギー市場は、世界史上最も大きな市場です。ちょっと考えてください。1990年代に生み出された富は―皆さんご存知かどうか知りませんが、1800年代末から続いた悪徳資本家の時代である1920年代に、米国が最も裕福になったと大半の人が思っており、当時はカーネギー、メロン、フリック、ロックフェラーなどといった大富豪がいました。所得税が課せられませんでしたから、巨万の富を築けるはずです。

  ところがです。歴史上のどの時代よりも1990年代に、米国はより多くの人のためにより多くの富を生み出すことができたのです。富がどこから来たかといいますと、1990年代のハイテク・コンピューター革命によって富がつくられたのです。10億人のユーザーを有する1兆ドルの市場から生み出されたのです。今世界中で注目されているエネルギー市場は、その6倍の規模で、その重要性ははるかに大きいものです。今日40~50億人のユーザーを有する6兆ドル規模の市場ですが、今後30年間でユーザーが70~90億人になると見込まれています。その市場でもひときわ成長著しい分野がクリーンエネルギーです。

  米国は送電網を構築する必要があります。マサチューセッツでは太陽熱を利用して発電することができるはずですし、ミネソタでは風力で発電して、他州にそれを売ることができるはずです。それさえできないのは、必要な場所に送電網が構築されていないからです。

  ここで皆さんに強調したいのは、19世紀や20世紀の解決策からは、持続可能なエネルギー構成を見つけられないということです。これは問題です。必要なのは、22世紀まで電力を持続的に生産することを可能にする21世紀のための処方です。しかし私は、米国とアジア太平洋地域諸国が協力すれば、大きな前進を遂げることができることを確信しています。これはワクワクするようなチャンスで、今米国は、中国と一緒にその取り組みを行っています。

  肝心なのは、時間を無駄にできないということです。クリーンエネルギー革命を推進するのであれば、力を合わせて、アジア太平洋地域における安全保障分野での競争をやめて、建設的な努力に重点を置かなければなりません。そうなると3番目の課題は明らかです。海上紛争を地域協力へ転換しなければなりません。

  ここにいる皆さんは理解していると思いますが、南シナ海やその他で起きている紛争は、島やサンゴ礁、岩礁や、それらから得られる利益をめぐる主張だけに止まるものではありません。力こそが正義なのか、あるいは国際的な規則や規範、法の支配や国際法が優位なのか、が問われているのです。まずはっきりさせておきたいことは、米国は南・東シナ海における主権に関して、どちらか一方に肩入れすることは決してありませんが、しかしこの問題がどのように解決されるかについては強い関心があります。どんな行動をとるのか、じっと目を配っています。地域のどの国であろうと、領土の主権を主張するために力による脅しと強制に対しては断固として反対します。航行や領空通過の自由、あるいは合法的な海洋、空域の利用は、大国が小国に与えた恩恵であると示唆するいかなる行為に対しても断固反対します。大国であれ、小国であれ、主張を平和的方法で解決するために、協力しなければなりません。このような原則は、各国に平等に強制力を持ち、各国はそれを守る責任があります。

  私は先ごろASEAN地域フォーラムに参加してきたばかりですが、そこでも領有権を主張する当事国に対し緊張を緩和し、解決のための政治的余地を作るように促しました。当事国に対し、対決をエスカレートさせる脅威となり、社会不安を引き起こす措置を自主的に凍結するように強く訴えました。率直にいって、それが常識であり、皆さんも同感だと思います。ASEANが、南シナ海行動宣言ですでに取り組みを始めていることを踏まえて、避けるべき行為について合意に至る時期が来ていると意見が一致したことは喜ばしいことです。

  今は、領有権を主張する当事国に対し解決策を押し付けることはできませんし、そうしようとは考えていません。最近のインドネシアとフィリピンとによる和解は、このような対立があっても誠実な交渉によって解決できるという好例です。同様に、日本と台湾は、昨年対立する主張がある中でも地域の安定を推し進めることが可能であることを示しました。米国はフィリピンが、中国との海上紛争を平和的に解決するため、国連海洋法条約のもとで定められている仲裁を求める権利を行使する措置を取ったことを支持します。米国はすでに、この原則に基づいて行動しているのですから、必要な手続きを終わらせ、しっかりと協定を可決させる必要があります。

  地域の平和と安定の維持に貢献することのひとつとして、米中の建設的関係があります。オバマ大統領は、米国は平和的で、繁栄する、安定した中国、アジアと世界で責任ある役割を果たし、経済と安全保障問題に関するルールと規範を支持する中国の台頭を歓迎することをはっきりと打ち出しています。大統領は、私も同様ですが、戦略的競争意識の罠にはまることを避ける、米中の共通の利益における協力を拡大し、意見の相違に建設的に対処できるような関係の構築に尽力しています。

  この建設的関係、この2大国間の「新モデル」の関係は、単にそれを語ることによって実現するものではないことは明らかです。うたい文句に終始するだけでも、影響力の拡大を追求することでも実現はできません。この関係は共通の課題に対して、より深く、より良い協力をすることが特徴となるでしょう。さらに、ルールや規範、そして米中両国とアジア太平洋地域で役立ってきた制度の採用も特徴とします。米中がイランの核問題協議において効果的に協力できたことや、北朝鮮に関する対話が増えていることを大変うれしく思います。また米中は、気候変動の可能性、海賊掃討作戦、南スーダンに関して協力を加速しています。

 米中は、合意と相互協力が見いだせる分野により、大国間関係を定義しようとしています。米中は、地域と世界の安全保障に対する共通の価値観と共通のアプローチを根底にしたパートナーシップの利点を認めています。今週の初めに、チャック・ヘーゲル国防長官と私は、シドニーでオーストラリアの外務・防衛担当大臣と会談し、米豪同盟をあらゆる側面から検討しました。両国は南北半球に分かれ、地球のほぼ反対側に位置していますが、今日、2つの国としてこれ以上近くなれないほど緊密な関係にあります。歴史ある米豪同盟のおかげで、両国は重要な目標を達成することができました。すなわち、ウクライナの人々を支援、アフガニスタン情勢の長期的進展の支援、アジア太平洋地域の共通の繁栄の促進、国連安全保障理事会での協力などです。また日本を加えた3カ国間協力を拡大することで合意したことで、さらに広範な安全保障上の課題に対応しながら、日米同盟の近代化を図ることができるようになります。同様に、米韓パートナーシップの地域と世界的課題に対する範囲を拡大することによって、アジアとその他の地域における安全保障が強化されています。

  普遍的人権と基本的自由を尊重する原則を持つ国は、概して平和で繁栄し、はるかに効果的に国民の能力を活用することができ、長期的なより良いパートナーになれることは歴史が証明しています。

  だからこそ、私たちの4番目で最後の課題が大変重要なのです。私たちは人権問題を、人をエンパワーメントするチャンスに変えなければなりません。アジア太平洋地域全域を見渡すと、改善も見られますが、タイにおける民主主義の後退といった逆行もあります。

  アジア太平洋地域では、民主的統治や人権擁護に関する異なった見方を持つある国があることはすべての人が理解していることです。これらの問題に関して、その国の政府と意見が異なることがあっても、その国の人々と意見が根本的に食い違うことはありません。

  選べる自由があれば、検閲されない情報へのアクセスが制限されることを望む中国の若者は、あまり多くないと思います。ベトナムでは、「より良い労働条件や、健康的な環境を求めて自由に集会を組織し、自由に発言することを許可されるより、禁止される方がいい」と言う人は多くないと思います。インドネシアで1億3000万人以上の人々が、健全で、活気あふれる、平和的な討論の後で、大統領を選ぶために投票所へ行くのを見たアジアの人の中で、「私はそんな権利は要らない」と言う人がいることは想像できません。また発言と報道の自由は、腐敗をチェックするために不可欠であり、イノベーションを保護し、ビジネスの繁栄を可能にするためには法の支配が不可欠であることに、多くの人が賛成すると思います。だからこそ、これらの価値観は、普遍的かつ実際的に支持されているのです。

  2月にインドネシアを訪れましたが、民主的な未来の明るい見通しがありました。世界で3番目に大きい民主主義国家は世界に素晴らしい例を残しました。米国はインドネシアとの包括的パートナーシップに深くコミットしています。インドネシアは単に、異なる文化、言語、信仰の表れではありません。民主主義を深め、寛容の伝統を守ることで、アジアの価値観と民主主義の原理が、互いに活力を与え合い、強化し合うことを示す手本となることができます。

  緊密な友好国であり、同盟国であるタイで、民主主義が後退していることに大変憂慮しておりますが、単なる一過性の小さな問題であってほしいと思います。タイ当局に、政治活動と言論に対する統制を解除し、民政を回復し、自由で公正な選挙によって迅速に民主主義に復帰するよう呼びかけています。

  先週ビルマで、私は実際に、国民と政府が最初の一歩を踏み出したのを目にしました。私は、四半世紀にわたり、この進歩を促すために果たしてきた米国の役割を誇らしく思いました。皆さんも誇りに思うべきだと思います。

  しかしビルマの前途は、まだまだはるかに遠く、民主化への移行を進める人々は、その困難な挑戦を始めたばかりです。軍の新たな役割の定義、憲法の制定、自由で公正な選挙の支持、10年間にわたり続いた内戦の終結、そしてビルマの人々が約束されてきた名ばかりの人権を法律で保障する、といった課題が山積しています。その一方で、投資を増やし、腐敗を一層し、国の森林と他の資源を保護しながら、これらすべてに力を注がなければなりません。これらはビルマの移行にとって大きな試練です。米国も手助けはしますが、最後は国の指導者が重大な決定をしなければなりません。

  米国は、特に来年の総選挙の支援など、ビルマの改革にできることは何でもします。ラカイン州の人道的危機を緩和するための措置、またヘイトスピーチと宗教的暴力の取り締まり、憲法改革の実施、集会と表現の自由を守ることなど、先週私が行ったことですが、このような政府への働きかけは継続していきます。ビルマ政府は、国民に対し、これらの運動を認める義務があります。

  ですから、友人諸君、米国の偉大なる伝統である、人権の推進と民主主義を、傲慢にならず、しかも言い訳することなく、アジアでも続けて行きます。

  アジアの他の国では、北朝鮮の核拡散をもくろむ動きが米国、地域、世界に深刻な脅威を与えています。また北朝鮮が核を装備した弾道ミサイルを持つことを抑止し、防御するための措置を講じています。また恐るべき人権状況について非難をしていることも確かです。米国が強力に支援をして、今年国連が調査を行い、それによって北朝鮮の労働キャンプと処刑のシステムが、非常に異様で残虐であることが暴露されました。このように人間の尊厳を奪うことが許される場所は、21世紀の今、どこにもありません。北朝鮮の矯正労働収容所は、明日ではなく、来週でもなく、即刻、閉鎖されるべきです。この問題について、私たちは非難を続けていきます。

  皆さんが望んでいたよりも長く、かなり野心的な課題についての私の話を聞かせることになってしまいました。(笑)皆さんの思うとおり、これは大きな問題です。そして米国が深く関与しています。またこのプロセスについて、米国は野心的です。すなわち、TPP交渉をまとめ、持続可能な成長を遂げ、クリーンエネルギー改革を推進し、協力を促して地域競争に対処する、そしてすべての立場の人々をエンパワーする。このようにしてアジア太平洋地域の可能性を実現していこうとしています。そしてこの地域の国々を結び付けるものは、引き裂くものよりもはるかに多くあるのですから、協力することは可能ですし、そうするべきなのです。危険や困難に勇気と協力で立ち向かうことができるのが、この地域なのです。私たちは、戦略的かつ歴史的な機会を共に創造できます。この決意を必ず実行するつもりです。

  だからこそ、アジアのパートナーとともに、変化する世界のための近代的なルールづくりを行っています。それは、経済を強く、公平に、公正に成長させ、環境を保護し、これまでしばしば取り残されてきた人々を保護するルールです。

  だからこそ、アジアの主な都市がスモッグと煙で曇らされることなく、人々に安全な食料と水、汚されていない海水と空気、川や海の共有資源を提供できる地域、そしてそのすべてを未来のために次の世代へ残す責任感にあふれた地域作りを進めているのです。

  だからこそ、各国が、島、岩礁、岩石をめぐる紛争を、国際法に基づいて合意点を見出すことで、平和的に解決することができるような地域を築こうとしているのです。

  だからこそ、すべての国を強固にする、普遍的人権と基本的自由を擁護する地域づくりをしているのです。

  まだまだ前途多難です。しかし、これまでとは違う、より希望がもてる未来にたどり着くことができた人々の勇気以上に、これからの数マイルの道のりを行く希望を私に与えてくれるものはありません。今日、皆さんに伝えたいと思った話があります。

  上院議員になった時、後には委員長にもなった東アジア・太平洋地域小委員会の若きメンバーとして、アジア太平洋地域にどんどん深く関わるようになり、1986年に最初に訪問したのはフィリピンでした。絶対的指導者フェルディナンド・マルコスが、いかさまの「議会解散による」選挙を行い、信任されているかのように見せかけて、権力の座に居座ろうとしました。レーガン大統領に依頼され、リチャード・ルーガー上院議員と私は選挙を監視する代表団の一員となりました。

  マニラに到着して、信じられないほど大勢の人々が、カナリア色のTシャツで着飾り、民主化を求める抗議運動のバナーを掲げて、通りにあふれかえっていた様子を決して忘れることはありません。当時、不正の疑惑があることを知っている者も、私たちの中に何人かいました。最初はミンダナオに派遣されて、午前中の投票を監視し、その後マニラに戻り、ホテルで座っている私のところに一人の女性がやって来て、泣きながらこう言ったのです。「上院議員、教会に一緒に来てください。命の危険にさらされている女性たちがいます」

  私は夕食を中断して、教会に駆けつけました。教会の聖具室に入ってみると、そこには命を脅かされて、泣きながら、身を寄せ合っている13人の女性がおり、話をしました。彼女たちから話を聞きました。国内各地から送られてきたばかりの投票集計票を数えていたところ、それらの投票の集計が、投票を記録しているコンピューターの集計画面のどこにも出てこなかったというのです。彼女たちは独裁者に対する内部告発を行ったのです。私たちは、教会の祭壇の前で世界中からのメディアを招いて記者会見を行い、彼女たちは正々堂々と発言をし、それがマルコスの終わりを告げるものとなったのです。彼女たちの勇気とフィリピンの人々の勇気は、火花を散らして、世界中を駆け巡り、マサチューセッツ選出の新米議員だけでなく、東欧からビルマまで大衆運動にインスピレーションを与えたのです。

  今でも、その瞬間、自分たちの声を、私たちの耳に届けた人々のパワーについて考えさせられます。ほとんど期待されていなかったにもかかわらず、人々のパワーの波に乗って大統領になったコリー・アキノのことを考えます。自分の命を犠牲にしてまで、民主主義のために闘った彼女の夫のことを考えます。そして数十年が経ち、民主的な選挙によって、その息子がいかにして大統領選になったかを考えます。彼ベニグノ・アキノ大統領は、就任演説でこう語りました。「私の両親は、民主主義と平和だけを求め、ただそれだけに命をささげました。私はこの遺産から祝福を受けています。この遺産を継いでいかなければなりません」

  友人の皆さん、今私たちはこのような勇気を出さなくてはなりません。遺産を受け継がなければなりません。民主主義と平和の理念、そしてそれがもたらす繁栄が、アジア太平洋地域に私たちの遺産をもたらし、それがアジア太平洋地域の性格形成をするものとなるはずです。そのような未来に向けた米国のコミットメントが大変強固であることは、この私が保証します。私たちの主義は正しいのです。私たちは、この長期戦の中にいて、待ち受ける課題をはっきり自覚しています。

 ありがとうございました。