国連総会におけるオバマ大統領の演説

*下記の日本語文書は参考のための仮翻訳で、正文は英文です。

2014年9月24日、ニューヨーク

 国連総会議長、事務総長、各国代表団、ご出席の皆さん。我々は、戦争と平和、混乱と統合、そして恐怖と希望の岐路に共に立っています。

  世界各地で進展を示す指標が見られます。国連創設時に残っていた世界大戦の影は消え、大国間の戦争の可能性は低くなりました。国連加盟国の数も3倍以上に増え、自ら選出した政府の下で生活する人々も増加しました。非常に多くの人々が貧困という牢獄から解放され、極貧生活を送る人の比率は半減しました。生涯で最悪の経済危機の後、世界経済は引き続き力強さを増しています。

  今では、マンハッタンの中心地で暮らそうと、ナイロビから300キロメートル以上離れた私の祖母が住む村で暮らそうと、世界最大級の図書館に勝る量の情報を手にすることができます。我々は力を合わせ、病気の治療法、風力や太陽光を利用する方法を開発しました。国連は世界中の人々が意見の違いを平和的に解決し、力を合わせて問題を克服するために取り組む場であり、その存在こそが他にはない成果です。米国の若者によく言うのですが、ニュースのヘッドラインとは裏腹に、現代は人類史上、生まれてくるのに最良の時代です。というのも、読み書きができ、健康で、自由に夢を追いかけることができる可能性が、これまでのどの時代よりも高いからです。

  とは言え、この世界には不安がまん延しています。我々を団結させた力そのものが、新たな危険を生み出し、どの国もグローバルな勢力から単独で自国を守ることが困難になっていると感じています。我々がここに集っている現在も、エボラ出血熱の発生は西アフリカの公衆衛生システムを圧倒し、国境を越えて急速に広がる恐れがあります。欧州におけるロシアの武力侵攻は、大国がその領土的野心によって小国を踏みつけにしていた昔を思い出させます。シリアやイラクでのテロリストによる残虐行為は、否応なく我々の目を闇の奥へ向けさせます。

  これらの問題にはそれぞれ、早急な対応が必要です。しかし同時に、国際システムが相互につながりあう世界と歩調を合わせていないという、より幅広い問題の存在を示す兆候でもあります。我々は全体として、途上国の公衆衛生能力に十分な投資を行ってきませんでした。国際規範の実施が不都合な場合は、実施しないということが何度も起こりました。世界中の非常に多くの場所で暴力的な過激派をはびこらせている不寛容、宗派主義、絶望に厳しく対処してきませんでした。

  各国代表団の皆さん、我々は国連として団結し、ひとつの選択をしなければなりません。これまでに数多くの進歩を可能にしてきた国際システムを刷新することも、不安定という逆流に甘んじて引き戻されることも可能です。グローバルな問題に対処する連帯責任を再確認することも、次から次へと現れる不安定に打ち負かされてしまうことも可能です。米国が取る選択肢は明白です。恐怖ではなく希望を選びます。我々にとって未来とは手に負えないものではなく、協調的かつ集団的な取り組みを通じて、より良いものを目指して形づくることができるものなのです。人間に関わる問題においては、我々は運命論や皮肉を受け入れません。あるべき世界、子どもたちが受け継ぐに値する世界を目指して努力すること選択します。

  今この時点の試練を乗り越えるためになすべきことがたくさんあります。しかし本日は、数ある課題の根底にある2つの決定的に重要な問題に焦点を当てたいと思います。つまり、今日ここに集まった国々は、国連創設の目的を新たにすることができるのか、そして暴力的過激派という「がん」を退けるために協力できるのかということです。

  第一に、大国も小国もすべてが、国際規範を順守し、実施する責任を果たさなければなりません。征服より協力によって得られるものが多いことを先人たちが実感したからこそ、我々はここに集まっているのです。100年前、世界大戦により多くの人命が失われ、帝国主義という大義が近代兵器の恐るべき力を得ることで、最終的に墓場に通じることが証明されました。ファシズムの勢力や民族的優位性という概念を退け、いかなる国も、隣国を支配下に置いて自国の領土であると主張できないことを確認するために国連を創設するには、さらにもう一度、世界大戦を経なればなりませんでした。

  先ごろのロシアのウクライナでの行動は、この戦後秩序への挑戦です。事実は次の通りです。ウクライナ国民が抗議行動を起こし、改革を呼びかけた後、腐敗したウクライナ大統領が逃亡しました。ウクライナ政府の意思に反して、(ロシアにより)クリミアが併合されました。ロシアはウクライナ東部に大量の武器を供給し、暴力的分離独立派をたきつけて武力衝突を起こし、多くの人々が犠牲になりました。こうしたロシアの協力者が支配している地域で民間航空機が撃墜されたときも、彼らは墜落現場への立ち入りを何日も許可しませんでした。ウクライナが自らの領土支配を再び主張し始めると、ロシアは分離独立派を支援しているだけというふりをやめ、国境を越えて軍隊を派遣しました。

  これは、ある国の国境が他国によって書き換えられ、真実が露見する恐れがあるという理由で、文明社会で暮らす人々が愛する人の遺体を回収することが許されないような、力が正義とされる世界の光景です。米国が支持するのは、それとは異なる世界です。我々は正義が力であると信じています。すなわち、大きな国が小さな国をいじめることは許されるべきでなく、人々は自分の将来を選べなければなりません。

  これは単純ですが、守らなければならない真理です。米国とその同盟諸国は、ウクライナ国民が自らの民主主義と経済を発展させることを支援します。北大西洋条約機構(NATO)の同盟国を強化して、集団的自衛の取り組みを続けます。ロシアに武力侵攻の代償を課し、うそには真実で対抗します。他国に対して歴史の正義の側に加わるよう呼びかけます。なぜなら、銃を向けてわずかな利益を得ることができたとしても、自ら決定を下す国家と国民の自由を支援する声が十分高まれば、得た利益も最終的には返還しなければならないからです。

  さらに別の道も選ぶことができます。それは民主主義と平和の道であり、国連が掲げる理想でもあります。先ごろのウクライナでの停戦合意は、このような目的を達成するための端緒を開くものです。冷戦終結後の期間を通じてロシア国民の繁栄をもたらしてきた道をロシアが選ぶなら、我々は制裁を解除し、ロシアが共通の課題に取り組むことを歓迎します。結局、これこそ、核兵器不拡散条約の下での義務を果たすための核保有量の削減から、シリアが申告した化学兵器の除去と破壊での協力まで、過去に米国とロシアが実行してきたことです。ロシアが方針を変えさえすれば、米国には再びそのような協力をする用意があります。

  これは、グローバル時代の重要な問いへの答えとなるものです。その問いとは、我々は相互の利益と相互の尊重の精神で共に問題を解決するのか、それとも過去の破壊的な対立関係へ傾斜していくのかというものです。国々が力だけなく、原則に基づいて共通の基盤を見つけたとき、我々は非常に大きな進歩を遂げることができます。今日、皆さんの前に立っている私は、米国の国力を使って、21世紀に我々が直面している問題に、すべての国々と協力して取り組む決意でいます。

  こうして話している間も、米国はエボラ出血熱の発生を食い止め、新しい治療法を見つけるために、軍の支援を得て、医師や科学者を派遣しています。しかし、非常に多くの人々が犠牲になり、恐ろしい苦しみを負わせ、経済を混乱させ、国境を越えて急速に広がる可能性のある病気を食い止めるには、より幅広い取り組みが必要です。身近な脅威とならないうちは、遠く離れた場所で起きている問題だと考えてしまいがちです。だからこそ、この病気の発生と闘い、長期的に世界の健康安全保障制度を向上させる具体的で重要な取り組みに参加するよう、他の国々への呼びかけを続けます。

  米国は、核兵器の拡散を阻止し、核兵器のない世界の平和と安全保障を追求する取り組みの一環として、イランの核問題に対する外交的解決策を追求しています。これを実現するには、イランがこの歴史的な機会をつかむ必要があります。イランの指導者や国民に向けた私のメッセージは、単純で一貫しています。この機会を逃してはいけない、ということです。イランのエネルギー需要を満たす一方で、イランの(原子力)プログラムが平和的であることを世界に保証する解決策が必ずあります。

  米国は現在も今後も、太平洋国家であり続け、平和と安定、国家間の自由な商取引を推進します。しかし、すべての国々が基本ルールを守り、領有権に関する紛争を国際法に準じて平和的に解決することを主張します。そうやってアジア太平洋地域は成長してきました。この先もこの発展を維持するには、この方法しかありません。

  米国は、2030年までに極度の貧困を撲滅する開発課題に取り組んでいます。人々が自分の力で食べることができ、自国経済を活性化させ、病気の人々の世話をできるように支援します。世界が協力して行動を起こせば、すべての子どもたちが機会と尊厳に恵まれる人生を享受できるようになります。

  米国は自国の炭素排出量を大幅に削減しようとしており、クリーンエネルギーへの投資を増加しました。米国としての役割を果たしながら、途上国がその責任を果たすための支援をしていきます。しかし科学が示すところによれば、すべての国が、すべての大国がこの取り組みに参加しなければ、気候変動との闘いに勝つことはできません。そうして初めて、子どもや孫のために地球を守ることができるのです。

  つまり、次から次へと発生する問題に対し、以前の世紀のために書かれたルールブックに頼ることはできません。国境を越えて見渡せば、つまりグローバルに考え、協力して行動すれば、我々は、先人たちが第2次大戦後の時代を形づくってきたように、今世紀がたどるべき道筋をつけることができるのです。しかし、未来に目を向けると、ある問題から、進歩を大きく妨げかねない紛争の悪循環が生じる恐れがあります。それは、イスラム世界の多くの地域を荒廃させてきた暴力的過激派という「がん」です。

  もちろんテロは今に始まったことではありません。これについては、国連総会の場でケネディ大統領が的確に言い表しています。「テロは新しい武器ではありません。歴史を通じて、言葉による説得によっても、行動して手本を示すことによっても、勝利できなかった者によって使われてきました」。20世紀には、テロは一般市民の支持により権力を握ることができなかった、さまざまな集団によって使われました。しかし我々は今世紀になって、世界の偉大なる宗教のひとつを悪用する、さらに破滅的で観念的なテロリスト集団に直面しています。彼らは小規模なグループでも甚大な危害を及ぼすことができる技術を手にし、世界を信奉者と異端者とに2分する悪夢のような構想を抱いて、可能な限り多くの罪のない市民を殺害し、地域社会の人々を恐怖に陥れる最も残酷な手段を用いています。

  米国はテロへの対処を総合的な外交政策の基本にしないことを明言してきました。その代わり、アルカイダとそれに関係する武装勢力に対する集中的な軍事行動を実施し、指導者たちを殺害し、彼らに安全な避難所を与えないようにしてきました。同時に、米国はイスラムと戦争をしていないし、今後も決してしないことを何度も明言してきました。イスラム教は平和を説く宗教です。世界中のイスラム教徒は、尊厳と正義感を持って生きることを目指しています。そして米国とイスラムに関して言えば、我々と彼らという区別はなく、あるのは我々だけです。なぜなら、多くの米国人のイスラム教徒は、わが国の一員だからです。

  ですから我々は、文明の衝突を示唆するいかなる発言も認めません。終わりのない宗教戦争を信じることは、何も建設できず、何も創造できない過激派の見当違いの逃避であり、それゆえに狂信と憎悪しか広めないのです。人類の未来は、種族や宗派、人種や宗教という誤った境界線で我々を分裂させようとする者たちに対抗するため、我々がひとつにまとまれるかどうかにかかっていると言っても決して過言ではありません。

  しかし言葉にするだけではいけません。宗教的に動機づけられた狂信者がもたらす危険と、狂信的集団への勧誘に対処するため、我々は手を携えて具体的な措置を講じなければなりません。さらに、この過激派に対抗する活動は、狭い範囲での安全保障上の課題の域を超えています。というのも、我々は体系的にアルカイダの中核組織を解体し、独立したアフガニスタン政府への政権移行を支援してきましたが、その間に過激派のイデオロギーは、他の場所、特に中東や北アフリカへ移ってきたからです。こうした場所では、若者の4分の1が無職で、水や食料が不足する可能性があり、腐敗がまん延し、宗派間対立が激化し、抑えるのが難しくなっています。

  国際社会として、我々は4つの分野に重点を置いて、この課題に取り組まなくてはなりません。第一に、「イラクとレバントのイスラム国」(ISIL)として知られるテロリスト集団を弱体化させ、最終的には壊滅させなければなりません。

  この集団は、イラクとシリア内で遭遇したすべての人々を恐怖に陥れています。女性たちは戦争の武器として行使される性的暴行を受けてきました。罪のない子どもたちが撃ち殺されてきました。遺体が共同墓地に捨て置かれています。宗教的少数派は餓死しています。想像しうる限り最も恐ろしい犯罪が行われ、罪のない人々が斬首され、その残虐極まりない行為の映像が配信されて、世界中の心ある人々に衝撃を与えています。

  このようなテロを許す神は存在しません。いかに不平があるといえども、このような行為を正当化することはできません。この悪魔のような一派には、いかなる道理もなければ、彼らとの交渉の余地もありません。このような殺りく者が理解する唯一の言語は暴力です。ですから米国は、この死のネットワークを解体するために、幅広い連合と協力して取り組みます。

  この取り組みでは、米国は単独行動はしませんし、米軍を外国の領土に派遣することもしません。代わりに、自分たちの地域社会を取り戻すために戦っているイラクやシリアの人々を支援します。ISILを後退させる空爆作戦で米国の軍事力を使います。地上でテロリストと戦う部隊に訓練と装備を提供します。テロリストの資金調達を絶ち、この地域への戦闘員のの流入・流出を食い止める手段を講じます。すでに40カ国がこの連合へ加わる意思を表明しています。

  本日、私はこの取り組みに加わるよう全世界に求めます。ISILに加わった人々は、可能なうちに戦場を離れるべきです。憎しみに満ちた大義のために戦いを続ける人々は、自分たちがますます孤立するのを実感するでしょう。なぜなら、我々は脅しに屈することなく、未来は破壊する者ではなく、建設する者のためにあることを実証するからです。これが喫緊の、我々が最初に取り組むべき課題です。

  第二に、世界、とりわけイスラム社会が、アルカイダやISILのような組織のイデオロギーをきっぱりと、力強く、そして一貫して拒絶すべき時がきました。

  すべての偉大な宗教の務めのひとつは、その敬けんな信仰を、さまざまな文化が混在する現代の世界に順応させることです。生まれながらに憎しみを感じる子どもは一人もいませんし、どんな子どもも、どこにいようと、他者を憎む教育を受けるべきではありません。ユダヤ教徒だから、キリスト教徒だから、あるいはイスラム教徒だからという理由で、罪のない人々に危害を加えるよう人々に呼びかける、いわゆる「聖職者」をこれ以上許容すべきではありません。この世界の文明社会で暮らす人々の間で、戦争を根源で根絶する新たな同盟を結ぶ時が来ました。その根源とは、暴力的なイデオロギーによる若者の精神の腐敗です。

  つまり、この憎しみをあおる活動への資金提供を断たなければなりません。世界経済を通じて富を蓄えた後に、その世界経済を破壊させることを子どもたちに教える人間に資金を提供する者たちの偽善を終わらせる時が来ました。

  また、インターネットやソーシャルメディアをはじめ、テロリストが使用するメディア空間で異議を唱えなければなりません。彼らのプロパガンダは若者を外国での戦争に駆り立て、多くの可能性を持つ若い学生たちを、自爆テロリストに仕立てています。我々は、それに代わるビジョンを提示しなければなりません。

  さらには、異なる信仰を持つ人々をひとつにまとめなければなりません。すべての宗教には、内部の過激派による攻撃を受けた時期があり、信仰を持つすべての人々は、すべての偉大なる宗教の核心にある価値観を高める責任があります。その価値観とは「自分自身に対して行うことを、隣人にも行う」です。

  ISILあるいはアルカイダ、またはボコ・ハラムのイデオロギーは、白日の下に常にさらされ、疑問を呈され、反論されれば、やがて枯れ、死に絶えてしまうでしょう。新たに設けられた「イスラム社会で平和を推進するフォーラム」(Forum for Promoting Peace in Muslim Societies)をご覧なさい。ビン・バイヤー師がその目的をこのように語っています。「我々は、戦争との戦争を宣言しなければなりません。そうすれば、その結果として平和の上に平和が築かれるでしょう」。テロリストのプロパガンダに対抗し、「ノット・イン・マイ・ネーム」(NotInMyName)の活動を始めた、若き英国人イスラム教徒たちをご覧なさい。彼らはこう宣言しています。「シリアのイスラム国(ISIS)は、偽りのイスラム教の陰に隠れています」と。暴力を拒絶するために集結した中央アフリカ共和国のキリスト教とイスラム教の指導者たちをご覧なさい。「政治はわが国の信仰者たちを分裂させようとしますが、宗教は憎しみ、戦争、対立の原因となってはならないのです」と言ったイスラム教指導者の声に耳を傾けようではありませんか。

  今日この後、安全保障理事会で暴力的過激派に対抗する国家の義務を明確に示す決議を採択することになっています。しかし決議は具体的な取り組みを伴わなければならず、目標を達成できなかった場合は、その責任を負わなければなりません。来年までには、我々皆、それぞれの国で過激派のイデオロギーに対抗するために講じた具体的な措置を公表する用意ができていなければなりません。例えば、学校から不寛容をなくした、急進化が広まる前に食い止めた、新たな理解の架け橋を構築する機関やプログラムを推進したなどです。

  第三に、テロリストが利用できる環境を生む対立、特に宗派間対立の悪循環に対処しなければなりません。

  宗教内部の抗争は、今に始まったことではありません。キリスト教は何世紀もの間、激しい宗派間の対立に耐えてきました。今日、人間にとって多くの悲劇の原因となっているのは、イスラム社会内部の暴力です。中東全域におけるスンニ派およびシーア派間の代理戦争やテロ活動によって引き起こされている破壊を認識するべき時が来ました。また政治、市民社会、宗教面での指導者たちが、宗派間の対立を拒否する時が来たのです。はっきり言って、これは勝者のない戦争です。シリアの残虐な内戦では、すでに20万人近い人々が殺され、さらに多くの人々が住む場所を追われました。イラクは、今にも再び奈落の底に転落しかねない状況です。この紛争は、テロリストが容易に戦闘員を募ることができる土壌を作り出しており、彼らは間違いなくこの暴力を他の場所にも広げます。

  この潮流が変わる兆しがあるという良いニュースもあります。バグダッドには誰もが参加する新たな政府が誕生し、イラクの新首相は隣国から歓迎されています。レバノンの各党派は戦争を起こそうとする人々を拒絶しました。このような進展に続き、より幅広い範囲で停戦が実現しなければなりません。そしてこれは、どこよりもシリアで必要であることは明らかです。

  米国はパートナー諸国と共に、シリアの反体制勢力がISILのテロリストとアサド政権の残虐さに対抗できる力となるように、彼らに訓練と装備を提供しています。しかし、シリア内戦に対する唯一の永続的解決策は、民族や宗教を問わず、すべてのシリア市民の正当な願望を満たす、誰もが参加できる政治へ移行することです。

  皮肉屋は、そのような成果は実現するはずがないと言うかもしれません。しかし、1年後であれ10年後であれ、この狂気を終わらせる方法はこれ以外にはありません。それは、この地域でより幅広い交渉を行う時が来ているという事実を示しています。そうした交渉では、主な勢力が、銃を持った代理人を介してではなく、直接テーブルを挟んで、正直かつ平和的にそれぞれの違いに対処します。米国は、この地域への関与を続けることを約束し、その取り組みに関与する用意があります。

  最後の4つ目の論点は簡単なことです。すなわち、アラブならびにイスラム世界の国々は、自国民、特に若者たちの素晴らしい潜在能力を重視しなければならない、ということです。

  ここで私は、イスラム世界の若者たちに直接語りかけたいと思います。皆さんは、無知ではなく教育を、破壊ではなく改革を、殺人ではなく生命の尊厳を重んじる偉大なる伝統を持っています。その道を踏み外すように命じる者は、この伝統を守るのではなく、それを裏切っています。

  若者が成功に必要なツール、例えば優れた学校、数学や科学の教育、創造性や起業家精神を育成する経済を手にすれば、社会が繁栄することを皆さんは実証してきました。ですから、米国はそのビジョンを推し進める人たちと協力していきます。

  女性が国の政治と経済に完全に参加すれば、社会が成功する可能性は高まります。ですから米国は、女性が議会や和平プロセス、学校や経済に参加することを支援しているのです。

  若者が、国家の命令か地下の過激派の誘いしか選択肢がない場所に住んでいるとしたら、どのような対テロ戦略も成功しません。しかし、人々が自分の意見を述べ、より良い生活のために平和的に団結できる真の市民社会が繁栄することができれば、テロに代わる選択肢を劇的に広めることができます。

  このような前向きの変化は、伝統と信仰を犠牲にする必要はありません。このことは、若い男性が自分の仲間のために図書館を開設したイラクを見ればわかります。彼は「我々はイラクの伝統と彼らの心を結びつけ、とどまる理由を与えたのです」と言いました。チュニジアでもそうです。世俗的政党とイスラム教の政党が政治的プロセスで協力し、憲法を制定しました。セネガルでは、市民社会が、強力な民主主義政府と共に繁栄しています。マレーシアでは、活気のある起業家精神により、かつての植民地が先進経済国の仲間入りをしています。インドネシアでも、最初は暴力的な移行であったものが、真の民主主義へ進化しました。

  結局のところ、宗派主義を拒絶し、過激派を否定することは、1世代分の年月を費やす仕事であり、中東の人々自身が担うべき仕事です。外部からの力では、心の持ち方や考え方を変えることはできません。しかし米国は、敬意を持つ建設的パートナーとなります。テロリストの安全な避難所を許容することも、占領軍として振る舞うこともしません。米国の安全保障と同盟諸国への脅威に対抗する行動を取ると同時に、対テロの協力体制を構築します。過激派イデオロギーに対抗し、宗派間対立を解決する道を模索する人々を勇気づける取り組みを強化します。起業家精神と市民社会、教育と若者を支援するプログラムを拡充します。なぜなら、こうした投資が暴力に対抗する最善の手段だからです。

  パレスチナとイスラエルの紛争に対処するには、リーダーシップが必要であることも十分認識しています。一見、希望のない展望のようですが、米国は和平の追求をあきらめません。イラクとシリア、そしてリビアの状況を理解すれば、アラブとイスラエル間の紛争が地域の問題の主因であるという幻想はなくなるはずです。これはあまりにも長い間、自国の問題から目を背けさせる言い訳として使われてきました。今日地域を飲み込んでいる暴力により、あまりにも多くのイスラエル人が平和への困難な仕事を放棄するようになってしまいました。これはイスラエル内部でも反省に値することです。

  はっきり言いましょう。ヨルダン川西岸地区とガザの現状維持は持続可能ではありません。罪のないイスラエル人にロケット弾が発射され、あるいはガザで多くのパレスチナ人の子どもたちの命が奪われているときに、この取り組みに背を向けるわけにはいきません。私が大統領である限り、我々は、イスラエルとパレスチナが平和に安全に共存することで、イスラエル人、パレスチナ人、この地域そして世界がより公正で安全になるという信念を守り通します。

  米国は次のような行動を取る準備ができています。すなわち、喫緊の脅威に対する行動を起こす一方で、このような行動の必要性が減少する世界を追求します。米国は、自国の利益を守ることを決していといませんが、国連と世界人権宣言の約束、すなわち平和とは単に戦争がないことではなく、より良い生活が営まれていることであるという考え方も受け入れます。

  米国を批判する人々は、米国が掲げる理想に反して行動する時期もあったし、米国内にも多くの問題を抱えていると指摘するかもしれません。確かにそれは事実です。中東と東欧が不安定になった夏に、米国ミズーリ州の小さな町、ファーガソンでは少年が殺され、それを巡って地域社会が2分されたことに世界中の注目が集まったことを私も知っています。確かに米国内にも人種的、民族的な緊張があります。他の国と同様に、米国もグローバル化と多様化の進展によってもたらされた大きな変化と、大切にする伝統の間で、どう折り合いをつけていくかという問題と継続的に取り組んでいます。

  しかし米国は世界から精査されることを歓迎しています。なぜなら、米国が国の問題に対処し、国の団結をより完璧なものとし、建国時に存在した分裂を克服するために、堅実に努力してきた国であると認識してもらえるからです。米国は、100年前、50年前、あるいは10年前とも同じ国ではありません。なぜなら米国は理想のために闘い、それが達成できないときには自らを批判することをいとわないからです。指導者に説明責任を果たさせ、報道の自由と司法の独立を主張するからです。法の支配を尊重し、あらゆる人種と宗教に属する人々に居場所を提供し、そして男女を問わずすべての個人に、地域社会を、環境を、そして国をより良く変える力があるという確固たる信念をもって、民主的に開かれた場で自分たちの違いに対処するからです。

  大統領に就任してほぼ6年が経過し、私はこの約束が世界を明るくすると確信しています。なぜなら、世界中で私が出会った若者たちの目を見て、前向きな変化を、そして平和、自由、機会を求め、偏見が終わることを求めているのがわかったからです。

  それを見て私は、誰であれ、出身がどこであれ、外見がどうであれ、信仰する宗教が何であれ、あるいは愛する人が誰であれ、すべての人が分かち合える根本的なものがあることを思い出しました。国連と国連における米国の役割の熱心な支援者だったエレノア・ルーズベルトは、かつてこう言いました。「結局、普遍的人権は一体どこから始まるのでしょうか。家庭の近くの小さな場所です。あまりに近く、あまりに小さいのでどんな世界地図にも載っていません。けれどそれは個人にとっての世界なのです。自分が住む近所、通う学校や大学、働いている工場、農園あるいは事務所なのです」

  世界中で、若者たちがより良い世界を渇望して、行動を起こしています。世界中の小さな場所で、若者たちが憎しみや偏見、宗派主義を克服しつつあります。そして違いを超えて、尊重し合うことを学びつつあります。

  世界中の人々が、自らが日々努力しているように、今ここに集う我々が品行正しく、威厳があり、勇気があることを期待しています。この岐路に立ち、私は米国がするべきことから目をそらしたり、思い留まったりしないと約束します。米国は、自由という誇るべき遺産の継承者であり、今後何世代にもわたってその遺産を守るために必要な行動を取る用意があります。今日の、そして明日の子どもたちのために、この共通の使命を米国と共に果たすよう皆さんに呼びかけます。

  ありがとうございました。