世界最大規模の津波から10年 ― 安全性は高まったのか

2004年の津波発生時、第1波が押し寄せる海岸から逃げる人たち (Flickr/Alan C.)

2004年の津波発生時、第1波が押し寄せる海岸から逃げる人たち (Flickr/Alan C.)

2004年のインド洋津波が押し寄せた直後のタイのプーケットの通り (© AP Images)

2004年のインド洋津波が押し寄せた直後のタイのプーケットの通り (© AP Images)

*この日本語文書は国務省の国際情報プログラム課により運営されているウェブサイト「シェアアメリカ(ShareAmerica)」に掲載された記事(2014年12月24日)の参考のための仮翻訳で、正文は英文です。

サーシャ・インバー

  2004年12月26日、インド洋で発生した地震は世界中を震撼(しんかん)させた。160万人が住む場所を失い、23万人が高さ30メートルにも達した津波にのまれ、140億ドルもの被害をもたらした破壊的な災害は、世界を別な場所に変えた。

  「信じられないショックだった。この地域の国々は、この種の危険にさらされていると夢にも思っていなかった」と政府間海洋学委員会のトニー・エリオットは言う。同委員会は国連の海洋科学機関として、津波警報システム構築に向けた調整を国際社会から委任された。

  津波が迫っているという警報を誰も受けていなかった。場所によっては、通常より多くの人が浜辺に集まって引いていく波を不思議そうに見ていたため、巨大な波に巻き込まれることになった。

  当時、警報システムを備えていたのは太平洋地域だけだった。太平洋を囲むこの地域は、地震と火山の多さから環太平洋火山帯(Ring of Fire)と呼ばれており、津波がよく発生する(小惑星が津波を引き起こすことさえある。米国航空宇宙局の小惑星警報システムについての説明を参照)。

  2004年の津波の後、世界各地からさまざまな人道支援が寄せられた。米国政府が提供したものだけをみても、捜索救助活動、緊急食料支援計画、避難所の設置、精神的なケア、人身売買対策および清掃活動などがある。5日もたたないうちに国際社会が約束した支援は5億ドルを超え、加えて約60億ドルの寄付が集まった。

  この災害が発生した結果、「政策決定者の(危機)意識が高まり、インド洋地域に警報システムの構築が最も重要な課題となった」と政府間海洋学委員会のプログラム・スペシャリストであるバーナード・アリアガは言う。

警報システムの構築

  2005年、太平洋(津波)警報センターと日本の気象庁による、インド洋を監視するための暫定的な情報提供が始まった。地域の国々もまた独自の警報センターの設置を始めた。そして2011年、インド洋津波警戒・減災システムの正式運用が始まった。

気象観測ステーションではあらゆるサイズのコンピューター画面が並ぶ(Sony Budi Sasono)

  同システムに参加する28カ国は、それぞれが津波の脅威を監視する。これまでにこの警報システムは10回活用されている。研究員のトーマス・テイスバーグによると、インド洋津波警報システムは少なくとも年間1000人の人命を救う可能性がある。

  2014年の悲劇を受け、地中海とカリブ海でも警報システムが誕生した。計147カ国が津波対策に参加し、地震学者、海洋学者、危機管理担当者が、人命を救うという共通の目的のために毎日24時間体制で働いている。

  彼らは地震探知計を使って地震を探知し、深海および沿岸計測器を使って津波発生とその規模を監視する。(地震発生から)10分以内に、即時データが地域および各国の警報センターで利用できるようになる。

  「警報センターでベルが鳴り始め、センターの技師のポケベルが鳴る」とアリアガは言う。被災の恐れがある地域の人たちには、高台を見つけたり避難するための時間が30分から14時間与えられる。

(テーブル上の地形図を調査する人たち (バルパライソ・キリスト司教大学海洋科学部)

穏やかな海は続くか?

  巨大津波はまれだが、人々の記憶が薄れるのは危険だ。津波の脅威を忘れないようにするため、政府間海洋学委員会は2年に1回、訓練を実施する。先ごろ行われた訓練には、ルーマニアとロシアを含め、黒海に接する国々が初めて参加した。

  「インド洋が2004年よりずっと安全になったことは確かだ。だが完璧な安全など決してあり得ない。大事なのは準備することだ」とエリオットは言う。

Original English version of this article located here.

掲載 2015年1月8日