2009年国別人権報告書(抜粋)

*下記の日本語文書は参考のための仮翻訳で、正文は英文です。

米国国務省民主主義・人権・労働局発表
2010年3月11日

前書き

 人権の概念は、男性であれ、女性であれ、子どもであれ、誰もが生まれながらに持つ権利である尊厳を守るという基本的な姿勢から始まる。人権の推進 は事実の把握から始まる。過去34年間、米国は国別人権報告書を作成し、世界各国の人権状況を、最も包括的で入手可能な記録として提供してきた。

 本報告書は、世界のさまざまな地域で人権擁護のために果敢に闘う活動家や、人権侵害の事例を記録し、弱者を擁護する人々の活動を報じるジャーナリ ストや学者、そしてより多くの場所でより多くの人々の人権の保護を促進する戦略を立てようと努力する、米国を含む各国政府にとって、不可欠な道具のひとつ である。

 各人に対等な倫理的価値があるという原則は、基本的な自明の理である。しかし、すべての者が生得の権利を行使できる社会を確保することは、実際に は計り知れないほど難しい。効果的な人権政策を策定するためには、状況を改善したいと願う地域の現状の正確な評価が必要である。また、人権が確保される環 境をつくり出す上で、民主的統治と経済開発がそれぞれ果たす役割について、戦略的理解を深める必要がある。さらに、私たちは、権利を保護する民主主義と権 利を尊重する開発が、互いに補強し合うことを認識する必要がある。そして、私たちの政策を実施するために、適切な手段とふさわしいパートナーも必要として いる。

 人権は時間を超越するが、それを保護する私たちの取り組みは、目の前にある現実に即する必要がある。現状では、権利の保護と説明責任の向上の取り 組む非政府組織(NGO)の活動を妨げる新たな制限を課する政府が増えている。新しい技術は、迫害する者にとっても、また迫害者の失敗や臆病さを露呈させ るために闘う者にとっても役立つことがわかっている。そして、食糧安全保障や気候変動、世界的に流行する疾病、経済危機、暴力的な過激主義など現代の地球 規模の課題は、今日の人権の享受に影響を与えるとともに、長期にわたり人権を推進する私たちを取り囲む世界的な政治環境を決定づける。

 人権は普遍的だが、その現実は身近なところにある。私たちは、自らを含むすべての人に同じ基準を適用し、エレノア・ルーズベルトが語ったように、 人権は「身近な小さな場所」から始まることを忘れない。人権の確保に取り組む時、私たちは、各人が意義深い人生を送り、神から与えられた可能性を発揮でき るようにすることを目指している。つまり、それぞれが取り巻く世界を学び、発見し、受け入れる。自由に協力してコミュニティーや社会をつくり、誰もが達成 感を得て自律する。そして、人生の美しいもの、悲しい出来事、そして笑いや涙を、愛する人々と分かち合う―こうした可能性を実現しようとしている。

 本日発表された本報告書は、現状を示したものであり、外交・経済・戦略面での米国の今後1年間の対外政策に向け、事実に基づく情報を提供してい る。本報告書は、こうした政策のあり方を規定することは目的としていないが、政策の策定にかかわるすべての米国政府関係者にとって不可欠なデータを提供し ている。私は、この報告書自体は目的ではなく、米国政府が実際的かつ有効な人権戦略を策定する際の重要な道具と見ている。この人権戦略策定に、私は心血を 注いでいる。

 世界人権宣言でうたわれている時代を超越した理念は、私たちが住みたいと考える世界に私たちを導いてくれる北極星である。それは、オバマ大統領の 言葉を借りれば、「すべての個人の生得の権利と尊厳」の上に平和が実現された公正な世界である。私たちは、事実を把握し、明確な目標を心に刻んだ上で、人 権を実現させるための努力を続けていく決意を新たにする。

国務長官
ヒラリー・ローダム・クリントン


序文

 2009年には、さまざまな対照的な出来事があった。一方では、民族、人種、宗教間の緊張によって、暴力的な紛争や深刻な人権侵害が発生し、30 カ所以上で戦争や内戦が激化した。他方、米国やその他の政府は、こうした内在する緊張を認識し、これに取り組む方法を見出すことに一層力を注いだ。そして そのために、普遍的な人権の尊重の推進、寛容の促進、暴力的な過激主義との戦い、そして中東やその他の地域での長期的な紛争を解決する平和的な手段の追求 で指導力を発揮した。オバマ大統領が6月のカイロ大学での演説で語ったように、私たちは、相違点ではなく、むしろ共通の人間性によって定義されるべきであ る。そして、すべての人々が正義と繁栄を達成できるように、他の国々と連携して取り組む方法を見つけ出さなければならない。

 また2009年には、インターネット、携帯電話、その他のコミュニケーション技術を使って、かつてないほど多くの人々が、人権に関する情報をこれ まで以上に入手できるようになった。しかし同時に、規制や技術的手段を使って、インターネット上の表現の自由と重要な情報の流れを抑圧し、急速に発展する コミュニケーション技術を利用する人々のプライバシーを侵害することに、政府がより多くの時間と資金を費やし、力を注いだ年でもあった。

 現在、どの政府も、国家安全保障に関する正当な懸念に対応した政策や実践方法のあり方や、人権および基本的自由の尊重と国民の安全確保との間のバ ランスの取り方といった難しい問題に取り組んでいる。そうは言うものの、過去1年間に、多くの政府がテロと非常権限を拡大解釈して、被勾留者の権利を制限 したり、その他の基本的人権と人道法上の保護を抑圧するための根拠として用いた。一方で、国際社会は、アルカイダのような暴力的過激主義およびテロリス ト・グループの指導者たちの孤立化・弱体化で、目に見える前進を続けた。

 本報告書は、こうした傾向や動向を詳しく調査し、世界194カ国における人権状況を具体的かつ詳細に報告する。米国政府は、法律により行政府に課 せられた要件に従い、過去34年にわたり、本報告書を作成してきた。その目的のひとつは、米国連邦議会が米国の対外軍事・経済援助の要請を評価し、通商政 策を定め、多国間開発銀行やその他の金融機関への米国の参加を決定するに当たり、情報を提供することである。本報告書は、米国の政策決定者が十分な情報に 基づいた賢明な政策を決定できるよう、事実に基づく完全な記録を示すことを目的に作成されている。本報告書は、外国の政策決定者による利用も次第に増えて おり、世界中の政府、政府間機関、関係する人々にとって重要な参考資料となった。

 国連その他の政府間機関でなく、米国政府が本報告書を作成するのはなぜか、多くの人々が疑問を感じてきた。ひとつには、米国を含む国々が、人権尊 重を外交政策の不可欠な要素と位置づけることが不可欠である、と私たちが考えているからである。特に、人権状況は、女性、子ども、人種に基づくマイノリ ティー、人身売買被害者、先住民や少数民族、障害者、性的指向に基づくマイノリティー、およびその他の弱者グループの人々の福祉に影響を及ぼすため、本報 告書は、こうした人権状況に対する意識を高める手段として、世界中の人権状況の概要を報告している。また私たちは、包括的な検討と分析のひとつの形として 本報告書を提供している。非政府組織(NGO)の中には、一部の国に関して広範で優れた報告書を作成しているところもあるが、私たちのように世界中を対象 としているものはない。また、私たちは、国連その他の政府間組織がさらに詳細で包括的な報告書を作成するよう働きかけているが、今のところ、こうした組織 はこの要請に応えていない。そのため、米国連邦議会は、本報告書を義務付けている。私たちは本報告書の作成を継続するとともに、国連にこのような包括的で 徹底した報告書の作成に着手するよう働きかけ、国連と協力してこの課題に対処する用意がある。私たちは、例えば2011年に行われる国連人権理事会の活動 の見直しの一環として、同理事会を通しての報告活動を提唱するなど、国連による報告の強化を引き続き強く求めていく。

 さらに、米国その他の国々の批評家の中には、米国が他のすべての国の人権実績を評価するにもかかわらず、自国の実績は評価しないというやり方に異 議を唱える者もいる。実際のところ、米国政府は、条約に基づく義務に従い、本報告書以外のさまざまな場で、自国の人権実績を評価・報告している(例えば、 子どもの権利条約に関する2つの選択議定書、市民的及び政治的権利に関する国際規約、人種差別の撤廃に関する国際条約、および拷問等禁止条約の履行に関す る報告書を提出している)。私たちは、米国を含むすべての国に普遍的な人権基準を適用する、というオバマ大統領とクリントン国務長官の公約に従い、報告の あり方を見直している。米国の「人身売買報告書」の2010年版は、2000年人身売買被害者保護法の改正法で規定された人身売買廃絶の最低基準を適用 し、初めて自国を他の国々と同様にランク付けすることになっている。また、秋には、米国内の人権状況に関する初の普遍的定期審査のために、米国政府が国連 人権理事会に出席する。

 この国別報告書は、世界中の人権状況について、事実に基いた正確な記録を提供する目的で作成されたものであり、米国の政策面での対応や選択肢を分 析したり代替的な外交手段を評価するために作成されたものではない。しかし、より広い意味では、この報告書は、人権に対するオバマ政権の全般的な取り組み の一部であり、その取り組みに不可欠な要素となっている。上述のように、オバマ大統領とクリントン国務長官によって明確に示された現政権の取り組みは、さ まざまな理念に基づくものであり、その第1の理念が、普遍的人権を守るという強い決意である。本報告書作成に当たり、私たちは、世界人権宣言に規定された 普遍的人権を守り、人権条約の義務を果たす責任をすべての政府に課すよう努めてきた。12月にクリントン国務長官が表明したように、米国を含むすべての政 府は、「国際法に基づく義務を順守しなければならない。とりわけ、拷問、反体制派の恣意的な勾留や迫害、または政治的動機に基づく殺人をしない、という義 務を負う。米国政府と国際社会は、自らの責任を否定または放棄する者たちの主張を考慮し、(人権)侵害者の責任を問わねばならない」。そのプロセスの第一 歩は、真実を語ることであり、そのような違反行為が発生しているにもかかわらず、政府が侵害者の責任を問う責務を全うしていない具体的な事例を特定するこ とである。

 私たちの取り組みの2つ目の要素は、こうした問題について他の国々に関与するに当たり、原則に基づいた実際的な手法を取ることである。これは、人 権を現実させる可能性が最も高い手段を取ることを意味する。このような、原則に基づいた実際的な手法は、人権状況の評価に加え、人権侵害が政府の意図的な 抑圧によるものか、政府の問題に立ち向かう意志または能力のなさによるものか、あるいは、これら3つの組み合わせによるものかを公正に評価することから始 まる。クリントン国務長官が語ったように、「私たちは、相互に関心のある問題で、中国、ロシア、その他の国々に関与する一方で、同じ国々で人権と民主主義 の促進に取り組む社会活動家たちにも関与している。人権か『国益』のどちらか一方しか追求できない、という前提は誤りである。民主的改革を推進する効果的 な手段は、強要し孤立させること以外にない、という前提も誤りである」。本報告書は、現在および将来の政策策定のよりどころとなる、事実に基づく重要な基 本情報を提供している。

 3つ目の要素は、外国政府や国際市民社会は、外部から変革を押し付けることはできないが、地域的市民社会の人々や、平和的手段で変革を推進する各 国の活動家に働きかけ、支援することは可能であり、またそうすべきであるという私たちの信念である。そのような取り組みの一環として、本報告書は、こうし た人々の報告に言及して彼らが懸念する問題を公に強調すること、そして国際的なオピニオンリーダーと関係国内のオピニオンリーダーの両方にこの情報を広く 伝えることによって、彼らの意見を増幅させることができるし、そうなっている場合が多い。

 私たちの取り組みの4つ目の要素は、権利が問題となっている場合には焦点を広げ、民主主義と人権問題について幅広い手法を採用することである。ク リントン国務長官が述べたように、「民主主義とは、指導者を選ぶための選挙だけでなく、活発な市民、報道の自由、独立した司法制度、すべての市民に対し説 明責任を負い、市民の権利を平等かつ公平に保護する透明で責任ある制度も意味する」。またオバマ大統領も、基本的権利の実現にとって汚職のような問題が重 要性を持っていることを指摘して、経済発展、民主主義、人権に極めて重要な関連性があることを強調した。この手法に従い、本報告書は、幅広いテーマと傾向 を網羅し、各国の詳細で包括的な人権と民主主義の現状を報告している。

 私たちの取り組みの5番目の、そして最後の要素は、多国間のプロセスや機関を通じてこれらの問題の進展を図る、ということである。オバマ大統領が 認めているように、私たちは、相互依存と多極化がますます進む世界に生きている。そして、国際的な目標を達成するためには、私たちは他国の政府や国際機関 と連携する必要がある。民主主義と人権を促進するために、国連人権理事会に加わり、国連総会で人権に関する取り組みを積極的に支援し、米州機構や欧州安全 保障協力機構などの地域機関での関与を深めているのはそのためである。

 私たちは、世界各地の米国大使館の担当者が収集した情報や、他国の政府および多国間機関からの情報に基づいて、本報告書を作成した。また、国際的 に、あるいは国内で活動する人権問題のNGOにも有益な情報の提供を求め、この情報を利用した。さらに、学者、弁護士、労働組合、宗教指導者、およびメ ディアからも情報を収集した。米国政府はこうした情報から多くのことを得たが、本報告書の内容に関する一切の責任は米国政府が負う。本報告書の作成には、 多数の人々が多大な時間と労力を費やし、高い正確性と客観性を確保するため、事実確認と編集のプロセスに長い時間をかけた。

2009年の概要

 2009年は、世界各地で政府が重大な人権侵害を犯す状況が続いた。世界各国を調査すると、依然として、驚くべき数の拷問、裁判なしの処刑、その 他の普遍的人権の侵害が報告されている。人間の尊厳に関わるこうした侵害は、紛争発生国で見られる場合が多い。こうした暴力的な攻撃は、それがどこで行わ れていようと、懸念される重大な問題のひとつである。

 かなり多くの国で、政府がNGOに新たな規制を課した。こうした規制は過酷なものであることが多かった。2008年以降、少なくとも25の政府 が、NGOの登録、自由な活動、海外からの資金援助に対して新たな規制を課し、結社の自由に悪影響を及ぼした。多くの国で、人権活動家は特に過酷な処遇を 受けた。最もひどい事例では、人権擁護活動がきっかけとなって、投獄される者や、攻撃を受けたり殺害される者もいた。

 こうした規制や抑圧的な措置は、反対意見や批判的な声を抑えようとする、より広範囲に及ぶ政府の活動の一環である。こうした活動は、メディアや、 インターネットなどの新たな技術を使った新しい形態の電子的コミュニケーションにも及んでいる。ジャーナリストへの規制を含む表現の自由に対する制限は強 化され、厳しさを増している。人権団体や援助国の注意をそらすために、独裁者は巧妙な手段を用いてこのような制限を課すことが多い。例えば、暴力や投獄に よるのではなく、刑事罰を科したり、行政・経済面の障害を設けると脅迫する、といった方法である。それでも、結果的には表現の自由を阻害する効果を持つ。

 私たちが注目した3つ目の傾向は、弱者グループに対する差別と迫害が継続し、激しさを増している点である。対象となるのは多くの場合、人種、宗 教、あるいは民族に基づくマイノリティーだが、女性、先住民、子ども、障害者、そして、自らの利益を守るための政治力を持たないその他の弱者グループも対 象となる。

 これらの主な傾向については、以下の章で検討する。2009年に、それがプラスであれ、マイナスであれ、その両方であれ、重要な展開が見られた特 定の国を選び、これらの国についてアルファベット順に簡潔な記述する。より包括的で詳細な情報については、国別報告を参考されたい。

人権に関する具体的な動向

紛争国における人権侵害

 2009年に紛争が激化した多くの国で、非戦闘員の一般市民が、人権侵害と国際人道法違反に直面した。これらの紛争地帯の多くで、暴徒、テロ組 織、民兵組織、政府の治安部隊が殺人、強姦、および非人道的な手段を用いて、領地を管理下に置き、対抗相手の口を封じ、紛争地帯の市民社会の協力を強要し た。紛争だけなく、市民を威圧する活動によって、世界各地で子どもを含む多数の人々が死亡したり、虐待を受けたりした。

 アフガニスタンにおける治安情勢は、暴徒による攻撃の増加により著しく悪化し、一般市民に暴力の矛先が向けられた。武力衝突が国全 体のほぼ3分の1に広がったため、政府は有効な統治、勢力の拡大、特に農村地域へのサービスの提供ができなかった。この暴動での犠牲者の数は、アフガニス タン軍の兵士が1448人、政府職員が1954人、一般市民が2412人に上った。1500万人の登録有権者のうち、およそ500万人が8月の大統領選挙 で投票した。この選挙では、広範囲にわたり不正が行われたという容易ならぬ疑惑が取りざたされ、女性が選挙に参加するための条件が十分確保されておらず、 タリバンが組織的に投票妨害行動を起した。それにもかかわらず、これまでの選挙よりも多くの投票所が開かれ、メディアと一般市民は政治的選択肢について議 論し、選挙は憲法の手続きに従って実施された。

 2009年に、ビルマ政府は、カレン州およびシャン州などの少数民族地域への軍事攻撃の拡大など、重大な人権侵害を続けた。8月 に、政府軍兵士が、停戦合意を結んだコーカン族のグループであるミヤンマー民族民主同盟軍を攻撃した。この攻撃について、政府は、麻薬と武器の工場の閉鎖 させるためだったと主張している。この戦闘の結果、何万人もの一般市民が国境を越えて中国に逃れた。政府軍兵士は、シャン地区のいくつかの村落を破壊した ほか、一部メディアの概算によると、コーカン地区で最大500軒の家屋を破壊した。ビルマ政権は法令による統治を続け、基本的自由を保障する憲法のいかな る規定にも拘束されなかった。また、裁判なしの処刑、被勾留者の死亡、失跡、強姦、拷問、強制移動、強制労働、および少年兵の募集など、その他の重大な人 権侵害行為を継続した。政府は、市民活動家を罪状もなく、無期限に勾留した。

 コンゴ民主共和国(DRC)では、政府治安部隊による暴動鎮圧活動を含め、東部の鉱物資源豊富な地域における紛争によって、 1000人以上の一般市民が殺害され、政府による保護あるいは支援を十分に受けられなかった何十万もの人々が難民となった。また、何万人もの女性や男性や 子どもが強姦され、何百軒もの家が焼き払われた。さらに、DRC軍やさまざまな武装集団が、何千人もの子どもを違法に徴兵し利用した。そして、国内外での 強制労働と性的搾取の目的で、多数の人々が誘拐された。

 イラクでは、全般的な治安状況が大幅に改善されたにもかかわらず、人権侵害が続いた。政府あるいはその職員が、継続中の紛争に関連 して恣意(しい)的あるいは非合法の殺人を犯したという報告があり、暴徒とテロリストによる爆破、処刑、殺人により、すべての地域と社会のあらゆる部門が 引き続き影響を受けた。紛争の継続によって、メディアに対する暴力行為が日常的に見られ、報道関係者は自主検閲を行っていると報告した。政府は公に、すべ ての宗教に基づくマイノリティーに対する寛容と受容を呼びかけ、礼拝所の安全を向上させる措置を講じたが、暴徒と過激派グループによる礼拝所や宗教指導者 への攻撃や、宗派間の暴力行為により、個人が宗教を自由に実践することが妨げられた。

 ハマスが合意した停戦期間が終了する2008年12月19日の直前およびその直後から、イスラエルの一般市民に向けたガザからのロケット弾攻撃の 数と頻度が急増したことを受けて、イスラエル防衛軍は、12月27日に「鉛の棺」作戦を開始した。この作戦では当初、ガザ地区にあるハマスの治安施設、職 員、その他の施設が空爆されたが、その後、地上戦も行われるようになった。イスラエル軍とハマス兵士の戦闘は1月18日まで続き、イスラエル軍の撤退は1 月21日に完了した。人権団体の概算では、1000人以上の一般市民を含む1400人弱のパレスチナ人が死亡し、5000人以上が負傷した。イスラエル政 府のデータによると、パレスチナ人の死者数は、295人の非戦闘員を含む合計1166人であった。イスラエル人の死者数は3人の一般市民を含む13人だっ た。ヨルダン川西岸では、2009年に、イスラエル防衛軍が、数カ所の検閲所で、これまでパレスチナ人の移動の大きな障害となっていた制限を緩和した。し かし、依然として障害が残っており、パレスチナ人が礼拝所、職場、農地、学校、病院に行くことが制限されているほか、報道やNGO活動も制限されていた。 依然としてハマスの支配下にあるガザでは、汚職、囚人の虐待、被疑者に対して公正な裁判を与えていないなどの報告があった。また、ハマスは、表現の自由、 信仰の自由、ガザ住民の移動の自由を厳しく制限し、女性に対する性差別を推し進めた。ハマスの支配下にある治安部隊による殺人は、依然として問題であっ た。ガザ地区のハマス執行部隊による拷問が何件か報告された。被害者には、治安問題で勾留された者だけでなく、ファタハ政党に関係した者や、イスラエルと 「協力」した疑いで拘束された者もいた。ガザのハマス当局は、しばしば恣意的に個人のプライバシーや家庭に干渉した。

 ナイジェリアの国家警察、軍隊、その他の治安部隊は、裁判なしの処刑を行い、犯罪者や被疑者を逮捕するために、死に至らしめるほど の行き過ぎた武力を使用した。ニジェールデルタ地帯では、同地域の安定回復を目指し2003年に合同タスクフォースが設置されたにもかかわらず、政府と非 政府組織による殺人、誘拐、強制失跡、集団強姦、一般市民の強制退去といった形の暴力行為が続いた。ニジェールデルタ地域での過激派グループによる暴力事 件の報告は、大統領の恩赦の申し出以降減少したが、南部では依然として暴力行為が広く見られた。7月26日から29日にかけて、警察とイスラム過激派グ ループであるボコハラムの武装メンバーが北部4州で激しく衝突した結果、約4000人が難民となり、700人以上が死亡した。ただし、死体を即座に集団墓 地に埋葬したので正確な数を得ることができなかったことから、この数字は確定したものではない。伝えられるところによると、宗派指導者モハメド・ユスフ、 ユスフの義父ババ・モハメド、そしてボコハラムを設立したとされるブジ・ファイが、治安部隊による拘束中に殺害された。

 パキスタンでは、人権に関して文民政権がいくつか前向きな措置を取ったが、大きな課題が依然として残った。重大な問題として、裁判 なしの処刑、拷問、失跡などがあった。連邦直轄部族地域(FATA)および北西辺境州(NWFP)での過激派の攻撃で、825人の一般市民が殺害された。 また、マラカンド県とFATAの一部地域からの過激派の撃退を目的とする治安活動によって、危機のピーク時には300万人近くが難民となった(ただし、 2009年末までには、約166万人が自宅のある地域に戻った)。パキスタン人権委員会、ニューヨーク・タイムズ紙、ならびにいくつかの地元メディアが、 治安部隊がNWFPとスワットでの暴動鎮圧行動中に、300人から400人を裁判なしで処刑した疑いがある、と報告した。地元住民と警官を威圧するため に、暴徒がテロおよび報復目的の殺害を行ったという非難の声があちこちで聞かれた。宗派間暴力によって約1125人が殺害され、76件を超える自爆テロで 1037人が殺害された。

 ロシア政府が暴徒、イスラム教過激派、犯罪集団と戦う中、ロシアの北コーカサス地域の状況は悪化した。同地域の地方政府と暴徒集団 が、殺人、拷問、虐待、暴力、政治的動機による誘拐、およびその他の残虐または屈辱的な行為に関与したと報告されている。チェチェン共和国、イングーシ共 和国、およびダゲスタン共和国では、警官に対する攻撃件数(暴徒との戦闘で警官342人が殺害され680人が負傷した)と同様、裁判なしの処刑件数が著し く増加した。北コーカサス地域の当局者の中には、刑事免責を受けて行動し、連邦政府から独立した行動を取るように見えた者もいた。そしていくつかの事例で は、報復のために暴徒の疑いのある者の家族を狙い、誘拐、拷問、および裁判なしの処罰に関与した疑いが持たれていた。

 スリランカでは、5月に33年にわたる紛争が終結する前に、政府の治安部隊、親政府系民兵組織、およびタミル・イーラム解放のトラ (LTTE)が、行き過ぎた武力を用いて、一般市民の人権を侵害した。数十万人のタミル民族の一般市民は、LTTEによって、LTTE支配下の地域から移 動する自由を奪われていた。双方のグループによる大砲や迫撃砲の攻撃が、一般市民の野営地の近くやその間で起こり、紛争の最後の数カ月で何千人もの一般市 民が死亡した。1月から5月までの間に、LTTEは少年兵の強制招集を飛躍的に増やした。招集され戦闘で死亡した子どもの数は不明だが、政府は、紛争終結 から数カ月後に、元LTTE少年兵を527人拘束していると報告した。2010年1月の大統領選挙直前の2009年末ごろ、政府は国内避難民の待遇と人権 問題の改善に大幅な進展を見せ始めたが、紛争終結時までに難民となったほぼ30万人をキャンプに収容していることで、紛争後の政府の人権を守ろうとする姿 勢が疑問視された。

 スーダンでは、2006年に政府とスーダン解放軍の一部との間でダルフール和平合意が成立したにもかわらず、ダルフール地域で紛争 と人権侵害が続いた。政府の支援を受けた軍隊が村落を爆撃し、一般市民を殺害し、チャドの反政府グループを支援した。女性や子どもは引き続き、性別に基づ く暴力を受けた。2003年にダルフール紛争が始まって以降、270万人近くの一般市民が国内避難民となり、約25万3000人がチャド東部に避難し、 30万人以上が死亡した。また、2005年の包括和平合意をめぐり、北部と南部の間で緊張が続いた。スーダン南部の神の抵抗軍が起した民族間紛争と暴力に よって、2009年に、約2500人が死亡し、35万9000人が難民となった。

表現・集会・結社の自由の制限(NGOを含む)

 多くの政府が、国外から流入する、あるいは国内で生み出された情報の統制を続けた。その手段として、公の場やインターネット上で、あるいは新たな 技術を利用して組織化する力を妨げる、インターネット、ラジオ、テレビ、あるいは活字メディアを通じての情報の普及を制限する、NGOの設立を困難にする 法律上の障害を設ける、といった方法が取られた。全米民主主義基金によると、2008年1月以降、市民社会の妨げとなる26の法律が25カ国で導入あるい は採択された。

 ベラルーシでは、政府の人権実績は、依然として非常に芳しくなかった。表現、集会、結社、および信仰の自由など、市民の自由は引き 続き制限された。政府は、独立系の活字および放送メディアによる配信を制限した。当局は、デモへの参加を阻止し、平和的な手段で抗議活動を行う人々を追い 払うために、不当な武力を用い、威嚇した。NGO、反体制活動家、および政党は、執拗(しつよう)な嫌がらせ、罰金、訴追の対象とされた。いくつかの主要 なNGOが登録を再度拒否されたため、刑事訴追の脅威にさらされて活動することを余儀なくされた。2008年に当局がわずかとはいえ前向きな措置を取った だけに、2009年に改革が実施されなかったことは残念なことであった。

 中国政府はインターネット使用の監視、コンテンツの統制、情報の制限、国内外のウェブサイトへのアクセス妨害、自己検閲の奨励、規 則違反者に対する処罰を強化した。また、電子的コミュニケーションを監視するために、国、州、地方レベルで、何千人も雇用した。1月に政府は、「俗悪行為 防止」運動を開始し、その結果、同月中に1250のウェブサイトが閉鎖され、320万件以上の情報が削除された。また、時に、主要な外国の報道機関、医療 機関、外国政府、教育機関が運営する特定のサイトのほか、利用者間の迅速な通信あるいは組織化を可能にするソーシャル・ネットワーキング・サイトや検索エ ンジンへのアクセスを妨害した。2009年には、特に天安門事件20周年など慎重に扱うべき行事が予定された時期に、中国当局がインターネット上のニュー スや情報の厳しい統制を続けた。政府はまた、要注意のキーワードのリストを頻繁に更新し、これに基づいて電子メールとウェブ上のチャットを自動的に検閲し た。公的な監視と検閲にもかかわらず、反体制派の人々や政治活動家は、囚人支援運動、政治改革、民族差別、汚職、外交政策問題などの政治的主張を訴え、こ うした主張に注意を喚起するために、引き続きインターネットを利用した。

 コロンビアでは、独立系メディアが活発に活動し、さまざまな考えを表明するに当たり制限を受けることはなかった。また、すべての民 間のラジオ・テレビ局が自由に放送を行った。しかし、非合法武装勢力が、ジャーナリストを威嚇、脅迫、誘拐、あるいは殺害した。国内外のNGOによると、 こうした非合法武装勢力の活動により、多数のジャーナリストが自己検閲を実施し、171人のジャーナリストが政府の保護を受けた。保安省が、ジャーナリス ト、労働組合、政治的敵対勢力、および人権団体・活動家を物理的に監視するとともに、電話や電子メールによる通信、個人情報、財務情報も監視した。一部の NGOによると、政府は、社会的指導者、労働活動家、人権擁護活動家(HRD)など、何百人もの人々を恣意的に勾留した疑いがあるとされている。しかし、 ある主要NGOは、2009年におけるそのような勾留は、2008年の水準から半減したと報告した。また、HRDは迫害され、その活動の信頼性を損ねるた めにテロ支援者として非難されることもあった。著名なNGOから、2009年に、人権活動家8人と労働組合員39人が殺害されたとの報告があった。一方 で、政府は、何千人もの労働組合員、人権活動家、その他同様のグループの保護にも取り組んだ。

 キューバ当局は、プライバシーに干渉し、個人の通信を広範囲に監視した。キューバでは、国民が政府を変えることは不可能だった。さ らに、表現の自由に厳しい制限が課せられ、国有メディア以外に公認された報道機関はなかった。平和的な集会と結社は認められず、信仰の自由が制限された。 国内の人権団体や独立系ジャーナリストの承認は拒否され、彼らが合法的に活動することも許可されなかった。個人の家で行う私的な礼拝を含め、3人以上が許 可なく集会した場合に、これを処罰することは法律で認められている。また法律では、「危険性」や「平和的な手段を用いた扇動」のように、定義のあいまいな 犯罪に懲役刑を定めている。政府が反政府デモ参加者に許可を与えたり、人権団体の市民集会を承認することは一切なかった。当局は、平和的な政治活動に従事 した罪で最高で懲役25年の判決を受けた多数の反体制派指導者を、この判決に従い勾留した。また、活動家が集会、デモ、式典に参加するのを防ぐために、短 期間拘束した。ダマス・デ・ブランコ(白い服の女性)という組織は許可は受けていないが、毎日曜日に集まって、投獄された彼らの家族の解放を要求しなが ら、教会に向かって行進することがおおむね認められていた。しかし、この組織は、この毎週の教会への行進以外の活動が、2009年に何回か妨害されたと報 告した。さらに、著名なブロガーと彼女の仲間が、平和的な手段による抗議活動に行く途中で拘束・殴打された。また、予定された行事や人権に関連する重要な 記念日の前に、政府が頻繁に携帯電話と固定電話を監視・妨害した、という報告が人権活動家からあった。当局は、これまでに人権団体の設立を承認したことは ない。しかしながら、多数の専門団体が、NGOとして法的承認を得ずに活動を行った。

 イランでは、政府の人権実績が芳しくなかったが、2009年中、特に、問題となった6月の大統領選挙後に、さらに悪化した。表現お よび結社の自由や適正な法的手続きがないことが引き続き問題であった。また政府は、自由で公正な選挙によって平和的に政府を変える個人の権利を厳しく制限 した。6月13日のアフマディ・ネジャド大統領の再選発表後に、何十万人もの市民が街頭で抗議活動を繰り広げた。警察と民兵組織バシジはデモを暴力で鎮圧 した。公式の死者数は37人であったが、反体制派グループはその数が70人に及ぶ可能性があると報告している。8月までに、当局は少なくとも4000人を 拘束し、逮捕は年間を通じて続けられた。9月には、より著名な被勾留者の多くに対して、大規模な見せしめ裁判が行われた。目撃者によると、6月20日にテ ヘランで、民兵組織バシジが、ネダ・アガ・ソルタンを殺害した。その殺害の様子を映した動画がユーチューブに掲載され、反対運動の象徴となった。6月の大 統領選挙の前、選挙当日、そして当局が1000人を拘束し、街頭での衝突で少なくとも8人が死亡した12月27日のアシュラ抗議運動の間、政府はフェイス ブック、ツイッター、その他のソーシャル・ネットワーキング・サイトへのアクセスを妨害した。6月の選挙後に、帯域幅が大幅に縮小された。これは、抗議運 動に参加する活動家がインターネットにアクセスして、大容量のビデオファイルをアップロードすることを阻止するために政府が実施したことだ、と専門家は推 測した。政府は、引き続き信仰の自由を厳しく制限した。特にバハイ教徒に対して信仰の自由を厳しく制限し、キリスト教徒に対する制限も強化した。

 朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)政府は、国民生活のさまざまな側面について厳しい統制を続け、国民に表現、集会、結社の自由を認 めなかった。裁判なしの処刑、失跡、政治囚などに対する恣意的勾留に関する脱北者やNGOからの報告からは、北朝鮮での生活が悲惨な状況にあることが引き 続き伝わってくる。政府は、事実上すべての情報を統制しようとした。独立系メディアはなく、インターネットへのアクセスは、政府高官とその他のエリートに 限られ、学問の自由が抑圧された。国内のメディア検閲は引き続き厳しく実施され、政府の公式見解からの逸脱は決して許されなかった。同様に、政府は、政治 エリート以外の者が、海外メディアの放送を視聴することを禁止し、違反者は厳罰に処された。真の信仰の自由はなかった。宗教の信者、その家族、さらに子孫 までもが投獄されたり拷問を受けたり、あるいは降格させられたという報告が続いた。洗脳は、メディア、学校、労働者組織や住民組織を通じて組織的に実施さ れた。洗脳には、集団行進、集会、公演が引き続き用いられ、時には何十万もの人々が動員された。

 ロシアでは、政府が、国有メディアの編集方針を指示し、主要な独立系メディアに批判的報道を控えるよう圧力をかけ、嫌がらせと威嚇 によって一部のジャーナリストを自己検閲に追い込む、といった措置を取ったため、表現の自由とメディアの独立性が弱まった。2009年に、著名なジャーナ リストで人権活動家でもあるナタリア・エステミロバを含む、多数の人権活動家と8人のジャーナリストが殺害されたが、犯人は不明である。エステミロバは 10年以上にわたり、チェチェン当局と関連があると思われる殺人、拷問、および失跡事件を記録してきた。メドベージェフ大統領は、殺害がエステミロバの仕 事に関係していることは「明白である」と語り、犯人を見つけるための捜査をすぐに開始するよう命令した。しかし、この事件で逮捕あるいは起訴された者は誰 もいない。政府は、チェチェンでのロシア連邦軍の行動、人権侵害、一部の政府指導者の批判など、慎重な扱いを要する問題を報道するメディアの自由に対する 制限を徐々に厳しくしようとした。同様に、政府関係者が、政府に好意的な集会を奨励する一方で、政治的に慎重な対応を要するデモを阻止するといった差別的 な行動を取っていることを、多くのオブザーバーが指摘した。政府は、一部のNGOの活動についても制限を図り、活動の継続を困難にした。人権に関する大統 領評議会との会合で、2006年NGO法に対する批判を聞いたメドベージェフ大統領は、既存の規則を「負担」と呼び、その一部を緩和すると発表した。法改 正は外国のNGOには適用されなかった。

 ベネズエラでは、大統領を含む政府関係者が、国有メディアを使って、民間メディアの経営者と記者が、社会の不安定化をもたらす反政 府運動とクーデターの動きを扇動していると非難した。2009年を通じて、連邦および州政府の幹部も、政府批判と認識した動きを阻止し、あるいはこれに対 処するために、行政処分、罰金、閉鎖するという脅迫などの手段を使って、民間および反体制派のテレビ局、メディア、ジャーナリストたちに盛んに嫌がらせを した。政府は、最大の民営テレビ・ネットワークであるグロボビジョンに対し、社長宅の家宅捜査や公然と会社の閉鎖を要求するなどして嫌がらせをした。 2009年末には、32のラジオ局と2つのテレビ局が閉鎖されており、ほかにも29のラジオ局が依然として閉鎖すると脅迫されていた。国内のあるメディア 監視機関は、2009年に、191人のジャーナリストが攻撃を受けた、あるいは個人の権利を侵害された、と報告した。NGOは、政府と異なる見解を持つ州 政府の職員に対する当局の政治的差別や解雇を懸念している。また、民間グループも、政府がさまざまな法律上・行政上の手法を使って、45人の人々を「政治 的ターゲット」として追跡していると主張した。先ごろ、米州機構の米州人権委員会は、「公式の政策に異議を唱えたことへの報復として個人を処罰、威嚇、お よび攻撃する困った傾向がある」と指摘した。

 ベトナム政府の人権実績には、依然として問題が多かった。政府は、反体制派に対する弾圧を強化し、数人の政治活動家を逮捕して有罪 の判決を下した。著名な新聞社の編集者や記者数人が、政府関係者の汚職を報道したことと、仕事以外で政治的なテーマでブログに書いたことが理由で解雇され た。ブロガーは、政府を批判したことで、あいまいな国家安全保障の規定に基づいて逮捕・勾留された。そして、政府が慎重な取り扱いを要する、または批判的 と考えた資料の掲載を禁止された。政府はまた、電子メールを監視し、フェイスブックや、国外のベトナム人政治団体が運営するその他のウェブサイトなど、イ ンターネットのコンテンツを規制あるいは弾圧した。政府は、ラムドン省の仏教教団や、未解決の土地の請求権をめぐるカトリック・グループとの紛争を解決す るために、武力を利用したり武力行使を容認した。労働者は、独立した組合を自由に組織することができず、独立系労働運動家は逮捕されたり嫌がらせを受け た。

 ウズベキスタンの政府は、メディアを厳しく統制し、政府に批判的な意見を発表することを禁止した。政府の治安担当者は、出版社に記 事や書簡を提供して、これを架空の名前で発表するよう求めるとともに、発表が許される記事の内容について明確な指示を与えた。7月に、独立系ジャーナリス トのディルムロード・サイードが、地方政府職員の汚職に関する記事を発表した直後に、裁判所は恐喝と収賄の罪でサイードに懲役12年半の有罪判決を言い渡 した。政府は、すべてのNGOと宗教団体に対し、活動するための登録を義務付けている。国際的な人権NGOの活動は、これらのNGOがウズベキスタンに対 する国際的な「情報戦争」に加担していると政府が疑っているために、厳しく制限されている。未登録の宗教団体が催す宗教儀式はすべて違法であり、警察は未 登録グループの会合をしばしば中止させた。こうした会合は個人の家で開くのが一般的であった。報告によると、一部の地域で、生徒を綿花畑で働かせるために 大学や学校が閉鎖され、拒否した学生は、退学させられた、あるいは退学させると脅迫された。

弱者グループに対する差別と嫌がらせ

 弱者グループには、人種、民族、宗教に基づくマイノリティー、障害者、女性と子ども、移民労働者、およびレズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダーの人々が含まれており、社会的から取り残されたり、社会的な虐待や政府公認の虐待の対象となる場合が多い。

 中国は、政府が中国共産党にとって脅威と見なした活動や人物を引き続き厳しく統制した。例えば、政府が慎重な取り扱いを要すると判 断した事例を担当した、公益のために活動する弁護士は、嫌がらせを受けたり、弁護士の資格をはく奪されたりすることが増え、彼らの法律事務所が閉鎖される ことも多かった。政府は、チベット人とウイグル人に対する弾圧も強めた。平和的な方法で反対運動を行うウイグル人や、独立したイスラム教宗教指導者への統 制を強化した。政府は、そのような措置を取った理由として、テロ対策を挙げる場合が多かった。新疆ウイグル自治区の首都ウルムチで発生した7月の暴動を受 けて、政府関係者は、社会秩序を維持するために、宗教的過激主義、「分派傾向」、そしてテロリズムを厳しく取締まった。この暴動の結果、ウイグル人は分離 主義の罪で長期の懲役を言い渡され、中には適正な法的手続きを経ずに処刑された者もいた。2009年末の時点で、ウルムチには、依然として警官が大勢配置 され、インターネットと国際電話の回線はほとんど遮断されたままであった。チベット地区では、当局による裁判なしの処刑、拷問、恣意的逮捕、および裁判な しの勾留が見られたため、この地区での中国政府の人権実績は依然として芳しくなかった。当局は、チベット人の活動が暴力を伴ったかどうかにかかわらず、チ ベットの独立を支持した疑いでチベット人に刑罰を言い渡した。また、チベット独自の宗教、文化、言語の保存と発展についても懸念が残った。

 エジプト政府は結社の自由を尊重せず、表現の自由を制限した。信仰の自由についても、依然としてほとんど尊重していなかった。 2009年には、コプト教徒に対する他宗派の攻撃が激しさを増した。政府は、キリスト教を差別する法と政府慣行を是正しなかった。宗派間の攻撃が起きた 後、政府は「和解集会」を主催したが、概してコプト教徒に対する犯罪の加害者の起訴を妨げ、コプト教徒が賠償を求めて訴訟を起す道が断たれる結果になっ た。この慣行は刑事免責の風潮を生み、さらなる攻撃を助長した可能性がある。政府が正式に認めた非イスラムの宗教的マイノリティーの人々は、全般的に嫌が らせを受けずに礼拝を執り行うことができた。しかし、政府が認めていないキリスト教徒とバハイ教の信者は、個人的にも集団としても、さまざまな分野で差別 を受けた。政府は、前進の第一歩として、バハイ信仰など正式に認められていない宗教の信者が、身分証明書を得るための手続きを公布し、報告によると、 2009年に17件の身分証明書と70件の出生証明書をバハイ教徒に発行した。

 職を求めて国境を越える人が増えるにつれて、移民労働者は特に搾取や差別を受けやすくなった。マレーシアでは、外国人労働者は搾取 的労働条件下に置かれ、一般的に、労働裁判制度を利用することができなかった。しかし、政府は、虐待に関する苦情を調査し、労働者に彼らの権利を教えるよ う努め、労働者に苦情を申し立てるよう働きかけ、雇用者に虐待をやめるよう警告した。法律は雇用者が従業員のパスポートを取り上げることを認めており、こ れは一般的な慣行であった。自国の労働者の一部から、雇用者が彼らを非人間的な生活環境に置き、給料を与えず、渡航書類を取り上げ、身体的暴行を加えたと いう申し立てがあった。

 中東地域の多くの国々では、女性に対する暴力、子どもの権利の侵害、性別、宗教、宗派、民族に基づく差別がよく見られた。例えば、サウジアラビアで は、政府のスンニ派イスラム教の解釈と対立するイスラム教の宗教上の慣習は差別され、非イスラム教徒による公の宗教的表現は禁止されている。人権活動家 は、他の分野に比べ、女性の権利でより進展が見られたと報告しており、政府は、例えば9月に同国初の共学の大学を設立するなど、女性を社会の主流に組み込 む努力をした。しかしながら、女性の自主性・移動の自由・経済的自立の欠如、離婚と親権をめぐる差別的な慣行、女性に対する暴力を犯罪と見なす法律の欠 如、および女性が虐待を受ける環境から抜け出すことを阻むさまざまな問題が示すように、女性に対する差別は重大な問題であった。配偶者間暴力を明確に禁止 する法律はない。サウジアラビアのシャリーア(イスラム法)の解釈によれば、強姦はむち打ち刑から死刑まで幅広い刑罰に値する犯罪である。強姦事件の統計 は入手できなかったが、新聞の報道とオブザーバーの指摘によれば、女性と男子に対する強姦は重大な問題であった。

 ウガンダのレズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、およびトランスジェンダー(LGBT)の人々は、恣意的な法的制約を受けた。植民 地時代に生まれた、「自然の秩序に反した性的行為」を犯罪と見なし、終身刑を規定する1950年の法規定に基づき、同性愛行為は違法とされている。同法の 下で告発されたものは誰もいない。「悪質な同性愛」と同性愛の「常習犯」に死刑を科す法案が9月に議会に提出されたことにより、本報告書の対象期間中、 LGBTの人々に対する嫌がらせと威嚇が激しくなった。また、提案された法案は、24時間以内に当局に同性愛行為を報告しなかった者に対し、罰金と3年間 の懲役を規定している。2009年には、同性愛行為に対する国民の反感をきっかけに、国民の間で激しい議論が戦わされた。2008年12月に高等裁判所 が、性的指向にかかわりなく、すべての人々に憲法上の権利が適用される、と判断したにもかかわらず、政府は同性愛行為に対し厳しい態度を取った。地元 NGOであるウガンダ性的マイノリティー連合は、彼らのメンバーが性的指向に基づく差別に反対する声を上げたため、警察から嫌がらせを受けたとして抗議し た。

 従来の形態と新しい形態の反ユダヤ主義が、引き続き見られた。2008年から2009年の冬にかけてのガザ紛争後、こうした活動が活発になった。 この問題に対処する政府の取り組みにもかかわらず、従来の形態(個々のユダヤ人に対する身体的攻撃、ユダヤ教礼拝堂の爆撃、墓地の冒とく、アウシュビッツ 強制収容所の「アルバイト・マハト・フライ(働けば自由になる)」の標識の盗難、そして「血の中傷」、二重忠誠、政府の政策やメディアにユダヤ人が不当な 影響を及ぼすことに対する非難など)での社会的反ユダヤ主義は、ヨーロッパ、南米、その他の各地に根強く残った。新たな形態の反ユダヤ主義は、シオニズム あるいはイスラエルの政策に対する批判の形を取り、さらに進んですべてのユダヤ人を悪者扱いし、時としてユダヤ人全般に対する暴力を生み出すことになっ た。一部の政府は、反ユダヤ主義と闘うのではなく、むしろそれをあおった。その最たる人物がイランのアフマディ・ネジャド大統領であった。ホロコーストの否定を含む、反ユダヤ主義のプロパガンダは、衛星テレビ、ラジオ、およびインターネットによって広く流布された。中東全域で放送されたエジプトのテレビ番組は、ホロコーストを否定しなかったが、これを賛美し、ユダヤ人を大虐殺し屈辱を与えたことを称賛して、将来ホロコーストを起こすことを呼びかけた。

 人権の尊重において全般的に優れた実績を持つ数カ国においても、弱者グループが差別と嫌がらせを受ける特筆すべき事例があった。ヨーロッパでは、イスラム教徒に対する差別の懸念が高まっている。国際的に注目された最近の事例として、スイスで 11月29日に、イスラム寺院の尖塔の建築を禁じる憲法改正案が可決したことがある。スイス憲法の規定では、国民の直接投票が可能である。スイス議会およ び連邦参事会の双方が同改正案に反対し、尖塔禁止はスイスの憲法でうたわれる基本的価値観と矛盾し、国際義務にも違反していると、スイス国内の多数の指導 者が公式声明を出したにもかかわらず、同改正案は57.5%の票を獲得して可決された。尖塔禁止法案の支持者は、尖塔の建築が宗教的・政治的に権力を求め る象徴であると強く主張した。

 景気の低迷を受けて、イタリアハンガリールーマニアスロバキアチェコ共和国で、 ロマ人に対する殺人および暴力事件が多数見られた。ロマ人は、ヨーロッパで最も数が多く、最も脆弱なマイノリティーであり、人種に基づく選別、暴力、差別 に苦しんでいる。また、逮捕時および拘留中に、警官がロマ人容疑者を虐待したという報告もあった。ロマ人の貧困率、失業率、文盲率は非常に高く、教育、雇 用、住宅における差別も広がっている。


日本

 日本は、人口およそ1億2770万人の議会制民主主義国家である。2007年の参議院選挙で民主党が参議院で多数派となったことに加え、2009 年8月の総選挙の結果、同党が衆議院でも多数派となり、ほぼ半世紀にわたる自由民主党による政府の支配が終わった。鳩山由紀夫氏が、麻生太郎氏の後を引き 継ぎ、総理大臣に就任した。選挙は全般的に自由かつ公正な選挙とみなされた。全般的に、治安部隊に対する文民統制は効果的に行われた。

 日本政府は、全般的に国民の権利を尊重した。人権問題を扱う非政府組織(NGO)の 報告によると、日本の収容施設と司法制度に問題が見られた。2009年には、政府の汚職が数件報告された。女性と子どもに対する暴力その他の虐待の報告は 増加した。セクハラ(性的嫌がらせ)および雇用差別も引き続き報告された。人身売買は依然として問題であった。非嫡出子とマイノリティーに対する差別が問 題であった。

人権の尊重

第1部 個人の人格の尊重(以下の状況からの自由)

a. 恣意的または違法な人命のはく奪

 政府またはその職員による、恣意的、または違法な人命はく奪は報告されなかった。

b. 失跡

 政治的動機に基づく失跡の報告はなかった。

c. 拷問およびその他の残酷、非人道的、または屈辱を与えるような処遇または処罰

 法律によりこのような行為は禁止されており、実際に日本政府は、全般的にこれらの規定を順守した。

 NGOと外国の外交官は、一部の刑務所で身体的虐待が疑われる事例があったと報告した。2004年の被疑者死亡事件で3人の警察官が有罪になった問題に関する、和歌山県と国を相手取った民事訴訟で、裁判所は2月に和歌山県の責任を認め、賠償金の支払いを命じた。

 日本政府は依然として、死刑囚およびその親族に対し、死刑執行日に関する情報を提供しなかった。死刑囚の親族は、死刑執行後、その事実を告知され た。政府は、この方針は、受刑者に自分の死期を知る苦しみを与えないためと主張した。死刑囚は、死刑執行まで平均約8年間、単独室に収容されたが、親族、 弁護士、およびそれ以外の人々との面会は認められた。あるNGOは、死刑囚が何十年も単独室に収容されることもあると報告し、その結果、こうした死刑囚の 多くが精神に異常をきたすようになったと結論づけた。

 NGOは、引き続き、刑務所の管理部門が、受刑者の単独室収容に関する規則を日常的に乱用していると報告した。懲罰としての単独室収容が認められ ているのは最長60日間だが、刑務所の運営手続き上は、刑務所長が受刑者を無期限に「隔離」することができる。府中刑務所の職員は、このような手続きを用 いてある外国人受刑者を過去4年間隔離した。刑務所側は、単独室収容は、定員いっぱい、あるいは超過状態にある刑務所内の秩序を維持するための重要な手段 である、と語った。

自衛隊では新入隊員へのしごき、いじめ、セクハラの報告が増加した。

刑務所および収容施設の状況

 刑務所の状況は、全般的に国際基準に合致したものであった。しかし、いくつかの施設では定員超過、暖房の不備が見られた。またNGOの報告による と、一部の施設では、食料や医療処置が不十分であった。外国の外交官は、刑務所の食事が不十分なため、筋肉を含む受刑者の体重が大幅に減少している事例を 多数確認した。医療処置が遅れたり不十分であった事例も文書に記録されており、その中には既存の疾患がある被拘禁者や受刑者も含まれている。警察および刑 務所は、特に精神疾患について医療の提供が遅れた。一部の施設では、受刑者を寒さから守るための衣類や毛布が十分に与えられていなかった。ほとんどの刑務 所は、冬期、夜間気温が氷点下まで下がっても、夜間に暖房を入れなかった。刑務所での暖房の不備により、受刑者は、しもやけから、より重篤な形態のものま で、予防可能な寒冷障害にかかりやすい状況に置かれた。東京の外国人受刑者は、冬期の刑務所や収容施設で、心身に有害なほどの寒さや時には凍える環境に長 期間さらされた結果、さまざまな重症度のしもやけができた手足の指を、訪れた外交官に見せた。NGO、弁護士、医者は、警察が管理する留置場ならびに入国 者収容施設における医療体制を批判した。

 2008年には6万7672人の受刑者がいた。刑務所と収容施設で、受刑者は男女別々の施設に収容されていた。刑務所や入国者収容施設以外の収容 施設では未成年者は成人とは別に収容されていたが、入国者収容施設では未成年者を成人と別の施設に収容することを義務付ける規定はない。

 刑事収容施設法では、法務省が管理する刑務所および拘置所と警察が管理する留置場を、独立性を持つ委員会が視察する旨、規定されている。委員に は、医師、弁護士、地方自治体職員、地域社会の代表、その他の地域住民が含まれていた。受刑者の権利擁護団体によると、委員会は年間を通じて、法務省が管 理する刑務所を視察した。2008年には合わせて207カ所の刑務所および収容施設(起訴前の収容施設を除く)を視察し、598人の被収容者と面会した。 委員会は、刑務所および収容施設の長に659件の意見を提出したが、そのうち366件が実施済み、あるいは実施中とみなされた。加えて、198件について さらなる協議または再視察が必要とされ、95件が法務省に伝達された。

 7月には「出入国管理及び難民認定法」が改正され、入国者収容施設に対する独立した視察手続きが設置された。

 2008年には、国際赤十字委員会は刑務所の視察を要求しなかった。

d. 恣意的逮捕または留置・勾留

 法律により恣意的逮捕や留置・勾留は禁止されており、日本政府は、全般的にこの禁止を順守した。NGOは引き続き、恣意的留置・勾留と思われる事例を報告した。

警察および治安維持機構

 警察庁および地方警察に対する文民統制は効果的に行われた。日本政府は権利の乱用および汚職を効果的に捜査する制度を持つ。2008年には、治安 部隊が関係する刑事免責の報告はなかった。しかし、一部のNGOは、地方の公安委員会が警察機関からの独立性に欠け、警察機関に対する十分な権限も持たな いと批判した。

逮捕手続きと留置・勾留中の処遇

 個人の逮捕は、正当な権限を持つ当局者が十分な証拠に基づいて発付した令状により公に行われ、被拘禁者は、独立した司法制度により裁かれた。NGOによると、実際に令状は高い頻度で発付され、証拠の根拠が薄弱であっても留置・勾留が行われることがあった。

 法律により、被拘禁者には、その留置・勾留の合法性に関する迅速な司法決定を受ける権利が与えられており、実際に当局はこの権利を尊重した。法律 により、当局は被拘禁者に対して、直ちに容疑を告知しなければならない。当局は通常、逮捕から72時間まで、留置場に被疑者の身柄を拘束することができ る。さらに拘束を延長する場合には、その前に、裁判官が被疑者を面接しなければならない。裁判官は、起訴前の勾留期間を10日間ずつ、最長20日間まで延 長できる。検察官はこの延長を習慣的に申請し、許可を得た。暴動、外国からの侵略、騒乱などの例外的な犯罪の場合、検察官はさらに5日間の延長を申請でき る。NGOは、延長が習慣的に認められるため、勾留の合法性に関する司法判断を迅速に行うという法の目的が事実上損なわれていると指摘した。

 刑事訴訟法により、被勾留者、その親族、または代理人は、裁判所に対して、起訴された被勾留者の保釈を請求することができる。しかし、警察の留置 場または法務省が管理する拘置所に勾留されている、起訴前の被勾留者には保釈が認められていない。裁判官は習慣的に検察官の要求する勾留延長を認めるた め、「代用監獄」として知られる起訴前の勾留は、通常23日間続いた。起訴前に勾留されている被疑者は、尋問を受けることが法的に義務付けられている。警 察庁の指針により、尋問時間が1日最長8時間に制限され、夜通しの尋問が禁止されている。

 起訴前の被勾留者は、国選弁護士等の弁護士と接見することができた。受刑者の権利擁護団体によると、実際には、この接見は時間と回数の両面で改善 された。しかし、取り調べ中に弁護士が同席することは認められていない。親族が被勾留者と面会することは許可されているが、その際には職員の立ち会いが要 求される。 刑事訴訟法第81条により、容疑の種類にかかわらず、被疑者が逃亡する、あるいは証拠を隠匿または隠滅すると疑うに足りる相当な理由がある場合に限り、被 勾留者が弁護士以外の人物と面会することを禁止できる。薬物犯罪の嫌疑をかけられている被勾留者は、習慣的に、起訴されるまで隔離されて勾留され、領事と 弁護士に接触することしか許されなかった。検察官は、自己裁量で被疑者の自白を一部録音することができるが、NGOは、部分的かつ自由裁量による録音が誤 解を招く可能性があると指摘した。警視庁および46道府県の警察は、取り調べの監督の試験運用を続けた。

e. 公正な公開裁判の拒否

 法律により、独立した司法制度が規定されており、実際に日本政府は、全般的に司法の独立性を尊重した。日本は7月から、重大な刑事事件に関して裁判員制度を開始した。

審理手続き

 法律により、すべての国民に公正な裁判を受ける権利が与えられており、また起訴された個人がそれぞれ独立した裁判所で公開裁判を受けること、弁護 人を得られること、そして反対尋問の権利を与えられることが保証されている。被告は、法廷で有罪と証明されるまで、推定無罪と見なされる。また、被告は、 自己に不利益な供述を強要されることはない。

 国連拷問禁止委員会(UNCAT)、NGOおよび弁護士は、実際に被告が推定無罪と見なされているかどうか疑問を呈した。NGOによると、起訴さ れた被勾留者の大半は、警察に拘禁されている間に自白した。被疑者が強制的に犯行を認めさせられることがないように、また被疑者が本人の自白のみを証拠に 有罪判決を受けることがないようにするための保護手段が存在する。過去に、NGOは、殴打、脅迫、睡眠不足にさせること、早朝から深夜にわたる尋問、被疑 者に立ったまま、あるいは座ったまま、一定の姿勢を長時間続けさせることなど、自白を引き出すために使われた手段を記録してきた。警察庁の新しい指針が 2008年1月に定められた。国家公安委員会は4月1日、警察官が被疑者に接触すること(やむをえない場合を除く)、物理的な力を行使すること、脅迫する こと、被疑者に長時間一定の姿勢を取らせること、言葉で虐待すること、自白を引き出すために被疑者に好ましい申し出をすることを禁止する規則を施行した。 被疑者の弁護士が取り調べに立ち会うことは認められていない。NGOは、依然として8時間から12時間におよぶ長時間の尋問が続けられており、その間ずっ と被勾留者は手錠で椅子につながれたままであり、強引な尋問方法が用いられている、と報告した。

 警察の留置場の使用は、被疑者が取調官の監督下に置かれることになるため、批判された。日本政府は、「刑事収容施設及び被収容者等の処遇に関する 法律」第16条により、留置業務と捜査業務は分離されている、と述べた。日本政府の統計によると、逮捕された被疑者の98%以上が警察の留置場に送られ た。残りの2%は法務省が管理する拘置所に収容された。第一審裁判所で審理された事件の99%以上で、有罪判決が下された。独立した立場の法律学者は、日 本の司法は自白を重視しすぎると主張したが、日本政府はこれに異議を唱えた。

 警察での自白に基づいて有罪判決が下り、後に無罪であることが証明された複数の事例についてマスコミが報道した。栃木県足利市で起きた当時4歳の 少女の殺人事件では、DNA鑑定が決め手となって、1990年にある男性が無期懲役の有罪判決を受けていた。しかし2009年になって、より正確なDNA 鑑定の結果、この男性の潔白が証明され、釈放された。被疑者の自白と矛盾する検視結果など、基本捜査に誤りがあったにもかかわらず、検察側と裁判所は、自 白が強要されたものである可能性を退けた。同様の不確かなDNA鑑定方法は他の事例でも有罪判決の根拠となっており、その中には死刑判決が下された事例も いくつか含まれる。

 一部の独立した立場の法律学者によると、審理手続きは検察側に有利となっているということだが、日本政府はこの見解に異議を唱えた。法律により、 弁護人との接見が認められているにもかかわらず、かなりの数の被告が、弁護人との接見不足を報告した。法律では、被告側の弁護士が開示手続きの条件を満た すことができる場合を除いて、検察官による資料の全面開示を義務付けていない。このため実際には、検察側が裁判で使用しなかった資料が隠されることもあっ た。その結果、一部の被告の法定代理人は、警察の記録にある関連資料を入手できなかった、と主張した。一部の事例では、上訴に当たり、被告側弁護人は無罪 を証明できる可能性のあるDNA鑑定の証拠を入手することができなかった。これらの事例で警察は、すべての証拠は一審での審理の後に破棄された、と回答し た。被告側の弁護士への証拠の開示に関する政府の公式の立場は、DNA鑑定を含むいかなる証拠も、刑事訴訟法の開示手続きを踏むことで、「条件が満たされ れば」開示できる、というものである(第4部参照)。

 言葉の壁は外国人被告にとって深刻な問題であった。裁判官、弁護士、および日本語を話せない被告との間で、効果的な意思疎通を確保するためのガイ ドラインはなかった。外国人被拘禁者の中には、適切に翻訳されておらず理解できない日本語の供述書に署名することを警察に強要されたと主張する者もいた。 法廷通訳者になるための標準的な免許制度あるいは資格取得の制度はない。翻訳や通訳なしでは裁判を進めることはできない、という日本政府の主張にもかかわ らず、翻訳や通訳が行われない状態でも裁判は進行した。群馬県では、警察が、捜査の時に通訳するボランティアを募集した。

政治囚と政治的被拘禁者

 政治囚または政治的被拘禁者が存在するとの報告はなかった。

民事司法手続きと救済

 民事事件に関しては、独立した公正な司法制度がある。個人は、人権侵害に対する損害賠償、あるいは人権侵害の中止を求める訴訟を起すことができる。不正行為の申し立てに対しては、司法による救済措置のほかに行政による救済措置もある。

f. プライバシー、家族、家庭、または信書に対する恣意的な干渉

 法律により上記のような行動は禁止されており、実際に日本政府は、全般的にこれを順守した。

第2部 市民の自由の尊重

a. 言論と報道の自由

 法律により言論の自由と報道の自由が規定されており、実際に日本政府は、全般的にこうした権利を尊重した。独立した報道機関、効果的な司法制度、および機能する民主的政治制度が相まって、言論と報道の自由が確保された。

インターネットの自由

 政府によるインターネットへのアクセス制限はなかった。また政府が電子メールまたはインターネット・チャットルームを監視したとの報告もなかっ た。個人および団体は、電子メールを含むインターネットを使って、平和的に意見を表明することができた。日本の人口のおよそ75%がインターネットを利用 した。

学問の自由と文化的行事

 政府が学問の自由や文化的行事を制限することはなかった。文部科学省による歴史教科書検定、特に20世紀に関係する特定の題材の扱いが引き続き論 争になった。教科書の執筆者の一部は、文部科学省が、執筆者の意図した意味をゆがめるような形で文章を編集した、と非難した。国歌と国旗は、依然として論 議の的となる象徴であった。2003年以降、400人近くの教員が、国旗掲揚時に国歌を斉唱することを拒否して処分を受けた。

b. 平和的な集会および結社の自由

 法律により集会と結社の自由が規定されており、実際に日本政府は、全般的にこれらの権利を尊重した。

c. 信仰の自由

 法律により信仰の自由が規定されており、実際に日本政府は、全般的にこの権利を尊重した。しかし統一教会は、「強制改宗(ディプログラミング)」と監禁の事例が報告されたが、当局は仲裁に入らなかった、と引き続き報告した。

社会的な虐待および差別

 各宗教団体間の関係は全般的に友好的であった。しかし警察庁によると、2008年9月以降、大阪、兵庫、京都、滋賀の各県にあるプロテスタントの グループに属する教会その他の宗教施設において、50件を超える破壊行為が報告された。2009年末の時点で、当局は誰も逮捕しておらず、その動機も解明 していなかった。

 日本国内にはユダヤ教信者約200世帯が居住していると推定されるが、反ユダヤ主義の活動は報告されなかった。反ユダヤ主義の書籍の広告がメディアに掲載された。

 詳しくは、「信仰の自由に関する2009年国際報告書」(www.state.gov/g/drl/irf/rpt) を参照。

d. 移動の自由、国内避難民、難民保護および無国籍者

 法律により、国内の移動の自由、外国旅行、移住、本国帰還の自由が規定されており、実際に日本政府は、全般的にこれらの権利を尊重した。日本政府 は、国連難民高等弁務官事務所およびその他の人道支援組織と協力して、難民、亡命希望者、およびその他の関係者について保護と援助を行った。

 法律により国外追放は許可されておらず、政府がこれを実行することもなかった。

難民の保護

 日本は、国連が1951年に採択した「難民の地位に関する条約」、および関連する1967年発効の議定書の締約国である。日本の法律は、亡命者と して保護し、あるいは難民として認定すると規定しており、日本政府は難民を保護する制度を確立している。政府はまた、小規模の第三国定住プログラムを発表 した。

 実際には、帰国した場合、人種、宗教、国籍、特定の社会グループへの入会、または政治的見解を理由に、生命や自由が脅かされると考えられる国への 難民の国外退去あるいは送還に対し、政府はある程度の保護を提供した。7月15日に公布された「出入国管理及び難民認定法を一部改正する法律」には、拷問 等禁止条約などの条約に反するとして強制送還を禁じる文言が含まれている。

 難民と亡命申請者は、難民審査参与員制度の下での異議申し立て審問への参加を弁護士に依頼することができた。しかし実際には、難民に対する法的支 援が限られていることと、亡命問題に取り組む弁護士の数が少ないことから、難民や亡命申請者が法定代理人を得る機会は限定されていた。法務省が設立した日 本司法支援センター(法テラス)で、亡命申請者と難民を含む外国人に無料の相談サービスが提供されたが、このセンター以外には、亡命申請者の弁護士費用を 賄うための公的資金援助はなかった。資金を持たない亡命申請者のために働く弁護士は、日本弁護士連合会に資金援助を申請することができた。

 UNCAT、NGOおよび弁護士は、亡命申請が却下されてから強制送還されるまで、亡命申請者が無期限に、しばしば長期にわたり、収容されている ことを批判した。特にNGOは、最初の申請を却下されてから異議申し立ての結果が出るまで施設に収容されるされる亡命申請者の数が増加していることに懸念 を表明した。

 難民申請者は、一定の条件を満たさない限り、通常働くことが認められていない。難民申請者が就業する法的権利を得るためには、その人が困窮してお り、政府のシェルターまたはNGOの支援に完全に依存していなければならない。当面の間、難民事業本部が少額の給付金を支給する。しかし申請者数の増加に 伴い予算が不足し、給付条件が厳しくなったため、多くの申請者が給付を受けられなかった。

 難民は、少数民族の場合と同様、住居、教育、雇用の機会を制限される差別を受けた。上記の条件を満たす人を除き、難民認定が未決、または異議申し 立て手続き中の人は、就業したり社会福祉を受ける法的権利がなく、過密状態の政府のシェルターやNGOの支援に頼るしかなかった。

第3部 政治的権利の尊重―国民が政府を変える権利

 法律により、国民に、平和的に政府を変える権利が与えられており、日本国民は、普通選挙権に基づいて定期的に行われる自由かつ公正な選挙を通じて、この権利を行使した。

選挙と政治参加

 8月に衆議院選挙が行われ、野党が政権を握った。野党の政権奪取は、54年間でわずか2回目のことだった。2007年7月の参議院選挙と同様、全般的に自由かつ公正な選挙が行われたと見なされた。

 政党は制約または外部からの干渉を受けることなく活動した。

 衆議院では480議席中54議席、参議院では242議席中43議席を女性議員が占めた。2009年末時点で女性知事が3人いた。18人の閣僚のう ち2人が女性であった。民族に基づくマイノリティーの中には複数の民族の血を引いている人もおり、またマイノリティーであることを自ら明らかにしないた め、民族に基づくマイノリティーの中で国会議員となった人の数を把握するのは難しかった。帰化して日本国民となったことを認めた国会議員が3人いた。

第4部 政府の汚職と透明性

 法律により、公務員の汚職には刑事罰が規定されており、日本政府は全般的に法律を効果的に執行した。2009年の上半期に、警察庁は27件の贈収 賄事件と11件の談合事件を報告した。鳩山由紀夫首相と小沢一郎民主党幹事長(両方とも本人は不起訴となったが、数人の側近が起訴された)を含む、政治家 および公務員が関与した財務会計に関する不祥事がたびたび報道された。警察庁の2008年の統計によると、贈収賄事件が50件、談合事件が27件あった。

 独立した立場の学識経験者は、政・官・財のつながりは密接であり、汚職は依然として問題だと述べた。学者は、政府を腐敗させる影響力を持ちうる慣 習の例として、公開されないことが多い巨額の接待予算とともに、巨大な娯楽産業とそれを利用する産業界や政府の慣習を挙げた。典型的と思われるある事例で は、ある主要な参議院議員が、2004年から2007年までの間に11軒のナイトクラブで費やした240万円(約2万6580ドル)を「政治活動費」とし て計上していた。

 財務情報開示の法律は存在するが、取り締まりが十分に行われていない。疑わしい取引とマネーロンダリング(資金洗浄)を捜査する国際的な法執行官との協力も十分でなかった。

 一般市民には、政府の情報を入手する法的な権利がある。政府が情報公開の合法的な要請を拒否したり、情報入手のために法外な料金を課したとの報告 はなかった。非営利団体の最近の調査によると、外務省は、2001年4月に情報公開法が発効することを見越して、2000年度(2001年3月までの会計 年度)に、約1280トンものいわゆる「機密文書」を破棄した。財務省は破棄した書類の量が2番目に多く、約620トンを破棄した。

第5部 人権侵害の疑いに対する国際機関および非政府機関の調査に対する政府の姿勢

 国内外の多くの人権団体は、全般的に、政府による制約を受けずに活動し、人権侵害の事例について調査し、調査結果を公表した。政府関係者は、全般的に協力的であり、こうした団体の見解に対応した。

 日本政府は国際政府機関と協力し、国際移住機関(IOM)や国際労働機関など国連その他の国際政府機関の代表の訪問を許可した。

 人権団体は、日本には独立した国内の人権機関がまだ設立されていないことを指摘した。既存の人権委員会は法務省に報告している。国会には、公式の 人権委員会はなかったが、人権関連問題を扱う非公式のグループは存在した。例えば、ビルマの民主化について専門に活動するグループや、死刑廃止に取り組む グループがあった。

第6部 差別、社会的虐待、人身売買

 法律により、人種、性別、障害、言語、および社会的地位に基づく差別は禁止されている。政府は全般的にこれらの規定を執行したが、女性、民族に基づくマイノリティー、および外国人に対する差別の問題は残っている。

女性

 法律により、配偶者間の場合も含め、あらゆる形の強姦が犯罪とされており、政府は全般的に、この法律を効果的に執行した。政府の統計によると、 2008年に報告された強姦事件の件数は1582件、2009年上半期は676件であった。多くの警察署には、秘密を守って被害者の女性を支援するための 女性職員がいた。

 女性に対する配偶者からの暴力は、法律で禁止されているが、まだ残っている。法務省の統計によると、2008年には「配偶者からの暴力の防止及び 被害者の保護に関する法律」に基づき、51人が起訴された。地方裁判所は、脅迫あるいは虐待を受けている配偶者と20歳未満の子どもを保護するため、配偶 者からの暴力の加害者に6カ月間の接近禁止を命ずる保護命令を出すことができ、違反者には懲役1年以下または100万円(約1万ドル)以下の罰金を科すこ とができる。2008年に、裁判所は3143件の保護命令申請のうち2525件を受理した。このうち450件が申請取り下げとなり、168件が却下され た。この法律は、内縁関係にある者や離婚している者に適用されるが、虐待の被害者の親せきや暴力で脅された者にも適用される。警察庁の統計によれば、 2008年に報告された配偶者からの暴力で、女性が被害者となった事例は2万5210件に上り、全体の98%以上となった。配偶者暴力相談支援センター は、2008年の相談件数は6万6936件であり、女性が被害者であった事例が全体の99%以上を占めたと報告した。

 売春は違法であるが、定義は狭い。ほかの国では売春と見なされる有償の性行為の多くは、日本では合法とされている。

 職場におけるセクハラはまだ広範囲に見られた。2008年度に厚生労働省が受けたセクハラの相談件数は1万3529件に上り、その大多数が女性労 働者からの相談であった(全体の60%)。法律では、セクハラ防止を怠った企業名を明らかにする措置が規定されているが、違反した企業の名前を公表する以 外には、順守させるための懲罰的措置はない。政府は、都道府県の労働局雇用均等室にホットラインを設置し、セクハラに関する相談に対処する義務を課した。

 歴代の日本の政治指導者による謝罪にもかかわらず、多数のNGOが、「慰安婦」(第2次世界大戦中に売春を強要された被害者)に対する日本の謝罪 と補償が不十分である、と引き続き批判した。日本政府は、政府が発足させた民間基金を通じて補償金を支払い、反省の意を表明し、犠牲者に謝罪した。

 夫婦と個人は、自由に、かつ責任を持って、子どもの数、年齢差、出産のタイミングを決めることができた。また、差別や暴力を受けたり、強制される ことなく、こうした決定を下すための情報と手段を得ていた。女性は避妊法を利用することができ、出産時には、不可欠な産科治療や分娩後のケアなどを含む、 熟練した看護を受けることができた。男性も女性も、HIVを含む性感染症の診断と治療を平等に受けることができた。

 法律により性差別は禁止され、全般的に女性には男性と同じ権利が与えられている。内閣府の男女共同参画局は引き続き、男女共同参画に関する政策を 検討し、その進捗状況を監視した。同局の「2009年版男女共同参画白書」は、男女共同参画社会基本法施行から10年間の活動を振り返り、状況は「一定の 前進があった」と結論づけている。一方で、女性の社会参加は国際的に見ると低い水準にとどまっている、としており、最も大きな障害として「仕事と家事・育 児・介護等の両立支援制度がない、足りない」ことを挙げている。国立女性教育会館などのNGOは、女性のリーダー育成に焦点を当てて、性別に基づく雇用差 別撤廃に向けて活発に活動した。

 雇用における不平等は依然として社会に残っていた。女性は全労働力の41.9%を占めてその比率は2008年よりわずかに上昇したが、女性の平均 月給は22万6100円(約2500ドル)で、男性の平均月給(33万3700円または3692ドル)の約3分の2にとどまった。

 8月に、国連女子差別撤廃委員会は、日本の性差別撤廃措置を実施する努力が不十分であるとし、民法における差別的な条項、労働市場での女性に対す る不平等な扱い、選挙で選ばれた高位の議員の中に女性が少ないことを指摘した。同委員会は日本に、女性にのみ適用される、民法の離婚後6カ月間の再婚禁止 規定の廃止、選択的夫婦別姓制度の採用、非嫡出子を差別する民法および戸籍法の条項の撤廃を要請した。日本政府は、こうした懸念事項の一部に対処する国籍 法と民法の改正点を挙げた。その中には姓の選択の問題を解決する措置、夫の年金に対する妻の権利の確立、子どもの親権問題での女性に対する法的保護の向上 などが含まれていた。

子ども

 子どもが嫡出子であり、その父親が日本国民である場合、子どもが嫡出子か非嫡出子かにかかわらず、その母親が日本国民である場合、子どもが嫡出子 であり、その出生前に死亡した父親が日本国民であった場合、または子どもが日本で生まれ、その両親が不明あるいは両親に国籍がない場合には、生まれた子ど もは日本国民となる。改正国籍法が1月1日に施行され、日本国籍の父親と外国籍の母親の間に生まれた非嫡出子であっても、出生後に父親が認知した場合に は、日本国籍の取得が可能となった。

 児童虐待の報告件数は増加を続けた。2008年度には、親あるいは保護者による児童虐待の可能性があると全国児童相談所に報告された事例は4万 2662件に上り、前年度と比べて約2000件増加した。警察庁によると、319人の子どもが虐待を受け、45人の子どもが親や保護者による虐待によって 死亡した。子どもの安全をより確実に確保するため、地方自治体は、虐待が疑われる親または保護者を児童福祉職員が面接し、必要に応じて支援を提供すること を義務付けた。必要な場合には、虐待が疑われる家庭を立ち入り調査しなければならないが、その際には警察が援助する。法律により、児童福祉当局には、虐待 する親が子どもと面会すること、あるいは連絡を取ることを禁止する権限が与えられている。また法律により、しつけの名目での虐待が禁じられているほか、疑 わしい状況に気づいたものは誰であろうと、全国各地にある児童相談所または地方自治体の福祉事務所に報告することが義務付けられている。

 児童買春は違法であり、法律に違反した者は、あっせん業者や勧誘業者を含め、3年以下の懲役もしくは100万円(1万ドル)以下の罰金に処せられ る。しかし、「援助交際」や、出会い系サイト、ソーシャル・ネットワーキング、「デリバリー・ヘルス」のサイトを使ってのあっせんが容易であることから、 事実上の国内児童買春ツアーが問題となった。法定強姦に関する法律がある。性的同意年齢は管轄区域によって異なり、13歳から18歳までと幅がある。法定 強姦をした者は、2年以下の懲役に処せられる。

 児童ポルノの配布は違法であり、3年以下の懲役もしくは300万円(約3万ドル)以下の罰金に処せられる。児童ポルノの配布は違法だが、法律で は、幼い子どもに対する残酷な性的虐待を描写している児童ポルノの単純所持を処罰化していない。法令上の根拠がないため、警察は捜査令状を取るのが難し く、現行の児童ポルノ処罰法の効果的な執行や、この分野における国際的な法執行の取り組みに参加できない。警察と小児性愛者を研究する専門家の中には、子 どもを性的に虐待する者は、実際に被害者を写した児童ポルノに加えて、児童ポルノを描写するアニメやマンガを使って子どもを誘惑する、と言う者もいた。ど こでも手に入る、性表現が露骨なマンガやアニメが、子どもを性的虐待の危険にさらす役割を果たしているのではないか、という点については、依然として議論 が分かれており、警察庁は両者の関連性は証明されていないと述べた。しかし、この状況は、子どもと性的関係を持つことや子どもに対する暴力を容認する文化 をつくりだすことになり、子どもに害を及ぼす可能性があると考える専門家もいた。インターネット・サービス・プロバイダーは、日本が児童ポルノの拠点に なっており、内外で子どもの犠牲者を増やすことになると認めている。

人身売買

 法律では、性的および労働搾取のための人身売買を犯罪として規定している。 しかし、日本政府の取り組みにもかかわらず、人身売買は引き続き重大な問題であった。認知された人身売買被害者の数が比較的少ないことから、警察と入国管 理局の一部には、人身売買は問題ではないと判断する者もいた。人身売買の規模に関する信頼できるデータが欠如していることで、この論争の解決が困難になっ た。

 日本は今も、商業的な性的搾取およびその他の目的で売買される男女や子どもの目的国および経由国となっている。被害者の出身地は、中国、韓国、 東南アジア、東欧、そして、これより規模は小さいが、中南米であった。また、性的搾取を目的とした国内での少女の人身売買が増加したという報告もあった。 認知された人身売買被害者の大半は、仕事を求めて日本に移動してくるものの、日本到着と同時に、借金に縛られ、売春を強要される外国人女性であった。中 国、インドネシア、フィリピン、ベトナム、その他のアジア諸国からの移住労働者は、時として、男女共に強制労働という状況に陥った。

 性的搾取を目的とする人身売買に関与した仲介者、ブローカー、および雇用者は、組織犯罪集団(ヤクザ)とのつながりがしばしば見られ、少なくとも 「みかじめ料」を犯罪組織の構成員またはその仲間に支払っていた。警察庁の中には、認知された人身売買の事例は犯罪組織と関連がないようだ、と指摘する者 もいた。一部のNGOも、性的搾取の事例には、売春ビジネスに従事している個人が関わっているようだ、と報告した。しかし多くの専門家は、ヤクザが売春を 含む従来の稼業に深く関わっている、と考えていた。また報告によると、人身売買の元被害者が、人身売買に従事するようになる事例が増加した。

 売春のために人身売買される女性の大半は、雇用者によって渡航書類を取り上げられ、移動の自由を厳しく制限された。逃亡を試みれば、本人または家 族に報復する、と脅されていた。多くの場合、雇用者はこれらの女性を隔離し、常に監視下に置き、反抗すれば懲罰として暴力を振るった。一部のブローカーは 被害者を支配するために麻薬を使った、というNGOの報告もあった。

 借金による束縛も被害者を支配する手段のひとつであった。人身売買の被害者は、日本に到着するまで、自分の借金の金額、その返済に要する期間、お よび到着と同時に課せられる労働条件を理解していない場合が多かった。女性たちは、最高450万円(約4万5000ドル)の借金を負っていた。その上、生 活費、医療費(雇用者が提供した場合)、およびその他の必要経費の支払いを要求された。行いが悪いとの理由で当初の借金に「罰金」が追加された。雇用者が こうした借金を計算する方法は不透明であった。また雇用者は問題を起こす女性や、HIVに感染している女性を「転売」し、あるいは転売すると脅して、被害 女性の借金額を増やし、労働条件をさらに悪化させることもあった。

 警察による法執行の強化により、多くの風俗店経営者は、店舗型の営業から「派遣型」の「デリバリー・ヘルス」業に移行した。このように、インター ネットを利用した勧誘とあっせんに移行したことで、人身売買の被害者が雇用者から搾取されている程度を推し量ることが難しくなった。

 性的搾取目的の人身売買の罪を犯した者の訴追状況には、大幅な改善は見られなかった。日本政府の報告によると、2008年には、人身売買を取り締 まる法律に基づき、性的搾取目的の人身売買で29件が起訴され、13件で有罪判決が下った。2007年には、起訴件数が11件、有罪判決を受けた件数は 12件だった。しかし検察側は、有罪判決が下される可能性が最も高いと思われる犯罪での起訴を選択したため、他の法律の下で人身売買業者が起訴され有罪判 決を受けた事例もあったかもしれない。当局の大半は、2005年のピーク時からの起訴よび有罪判決の件数の減少が、「興行」ビザ審査の厳格化により人身売 買業者が他の手段を使わざるを得なくなった結果であるとした。しかし、2008年における13件の有罪判決のうち、11人が執行猶予付きの判決を受け、勾 留されただけで服役はしなかった。

 労働搾取は、労働問題活動家、NGO、シェルター、およびマスコミによって広く報告された(第7部e項を参照)。2006年だけでも、労働基準監 督署によって1209件以上の労働関連法違反が認定されたが、過去3年間で、有罪判決を受けた労働目的の人身売買の事例は2件のみであった。警察庁が認知 した被害者の数は、2007年の43人から、2008年には36人に減少した。この数は、推定される日本の人身売買問題の規模からすると少なすぎると思わ れた。公的機関や民間団体の両方により、労働搾取が報告されているにもかかわらず、2008年に政府が認知した労働目的の人身売買被害者は1人だけで、そ の事例は性目的の人身売買事件に関連するものであった。しかし実際には、他のさまざまな労働関連法の下で、労働搾取を目的とする人身売買業者が起訴され た。

 政府職員がその影響力を利用して、人身売買を手助けしたというマスコミの報道があった。その中には、ある閣僚の秘書が影響力を行使して、チャリ ティー・コンサートで歌うために来日するフィリピン人女性300人に短期ビザを取得させたが、これらの女性たちは実際にはパブでホステスとして働くことに なった、という2008年末に報道された事例も含まれていた。下級職員は逮捕されたが、秘書と閣僚は不起訴となった。また別の事例では、上級入国管理官 が、2007年7月から2009年11月までの間に580万円(約5万8000ドル)の賄賂を受け取り、「興行ビザ」の発給を手助けした、との報道があっ た。2009年末の時点で、この件は捜査中であった。

 警察と入国管理官が被害者の認知を十分に行うことができなかった、という報告が引き続き見られた。警察官と入国管理官を対象に人身売買防止につい て教育する努力は続けられたが、日本は、被害者認知について国際移住機関(IOM)と協力しているものの、正式な被害者認知手続きをまだ採用していなかっ た。

 日本では、政府および警察のさまざまな部門に、主に人身売買を担当する職員がいるが、人身売買問題専任の法執行官や社会福祉担当職員は置いていな かった。NGOは、性風俗産業で働く外国人女性や移住労働者など、脆弱(ぜいじゃく)な人たちの中から被害者を探し出すことに、政府が積極的でないと主張 し続けた。NGOの報告によると、搾取される状況の中で働いている女性が、不法就労を目的に自ら進んで入国していたという理由で、警察および入国管理局職 員が彼女たちを人身売買被害者として分類しなかったことが時折あった。政府は、当初は法律に違反したと認定された人でも、いったん人身売買の被害者である と認知されれば保護され、違反した可能性がある入国管理関連法の下でも、あるいは被害者が強制的に就労させられた職業に適用される他のいかなる法律の下で も、その責任を問われることはない、と述べた。

 厚生労働省は、警察や入国管理局職員が、配偶者からの暴力の被害者向けの既存のシェルター網を、本国への帰国を待つ外国人人身売買被害者向けの一 時的な住まいとして利用することを奨励した。2008年に人身売買被害者として認知された36人のうち18人は、IOMに付託してリスク評価や正式な本国 への帰国手続きを行うことなく、本国へ帰国させられた。政府によると、このような早期の本国への帰国は被害者の希望によるものであった。残りの18人は政 府のシェルターでサービスの提供を受けた。配偶者からの暴力の被害者と見なされた外国人女性のうち、かなり高い割合の被害者が人身売買被害者の可能性があ り、シェルターを提供された。政府は被害者の医療費を負担し、IOMへの拠出を通じて被害者の帰国を補助した。

 一般的に政府のシェルターは、人身売買被害者が必要とすることが多い専門的なサービスを提供できる資源を備えていなかった。人身売買被害者の援助 を専門に行うNGOのシェルターには、適切なカウンセリングを行うために必要なレベルの外国語を話すことのできる常勤のスタッフがいなかった。厚生労働省 のシェルターは、外部の通訳業者に頼らなければならなかった。政府のシェルターで心のケアを受けた被害者もいたが、大多数は、被害者の母国語を話す、訓練 を受けた心理カウンセラーを利用する機会を十分に得られなかった。政府はIOMと協力し、通訳者を訓練して適切なカウンセリング能力を身に付けさせるプロ グラムを開始した。しかし、そのようなカウンセリングが受けられないこと、同国人やその他の人身売買被害者から孤立していること、そして、特に日本滞在中 に働いたり、収入を得るという、代替となる選択肢がないことが理由で、政府のシェルターに滞在した外国人女性の被害者は、できるだけ早く帰国することを選 んだ。政府は、被害者の民間シェルターへの滞在を支援するための資金を用意していたが、被害者の大半は公的シェルターに送られた。政府は、本国に帰国する ことで被害者が苦境に立たされたり報復を受けるような場合には、被害者は、本国への帰国に代わる合法的な選択肢として、特別な在留資格を得る権利があると 主張したが、被害者が日本に数カ月以上滞在した事例はほとんどなく、滞在した人々は通常、民間のシェルターで保護されていた人々、あるいはNGOの支援を 得た人々であった。

 国務省の「人身売買年次報告書」はウェブサイト(www.state.gov/g/tip)で閲覧が可能。

障害者

 法律により、雇用、教育、および医療において身体障害者や精神障害者に対する差別は禁止されており、日本政府は全般的にこれらの規定を執行した。しかし、日本弁護士連合会は、差別が定義されていないため、司法的救済による法的強制力を持たないと抗議した。

 障害者は、全般的に、雇用、教育、またはその他の公共サービスにおいて公然と差別されることはなかったが、実際には、こうしたサービスの利用は制限されていた。

 法律により、政府および民間企業は、障害者(精神障害者を含む)を一定の比率以上雇用することが義務付けられている。従業員300人以上の民間企 業がこれを順守しなかった場合は、法定雇用数に足りない障害者1人当たり毎月5万円(約425ドル)の罰金を支払わなければならない。厚生労働省のデータ によると、政府による障害者雇用は最低基準を超えていたが、民間部門では、過去数年間で増えたものの、公共部門に遅れを取っていた。従業員56人以上の民 間企業を対象にした調査では、従業員の1.6%が障害者であることがわかった。

 公共施設の新たな建設プロジェクトでは、障害者のための設備を整備することがアクセサビリティに関する法律で義務付けられている。また政府は、病 院、劇場、ホテル、およびその他の公共施設の経営者が、障害者用の設備を改善または設置する場合には、低金利の融資および税控除を受けることを認めてい る。

 NGOによると、住所不定と見なされたことが理由で、老齢年金、障害者年金、および生活保護手当てを受給できないホームレスの数は推定2万人で あった。その結果、社会福祉制度による保護が十分でないこと、そしてホームレスであることで社会的な汚名を着せられていることを理由に、かなりの数の高齢 者とホームレスの人々が、刑務所に入って食料とシェルターを得ることを目的に軽犯罪を犯した、とNGOは報告した。調査によると、一部の刑務所では、累犯 者の最高60%を精神障害者が占める可能性が示された。また、調査では、累犯者の中で、社会福祉サービスを受けていないホームレスの人々が大きな割合を占 めることも示された。

 NGOと医師によると、精神障害者は汚名を着せられ、教育と就職でも障害に直面した。精神衛生の専門家は、精神障害の汚名を軽減し、うつ病やその他の精神疾患は治療可能な、生物学に基づく疾患であることを一般の人々に知らしめる努力が十分になされていないと述べた。

国籍・人種・民族に基づくマイノリティー

 部落民(封建時代に「社会的に疎外された者」の子孫)、および民族に基づくマイノリティーは、その程度はさまざまであるが社会的差別を受けた。お よそ300万人いる部落民は、政府による差別は受けていないが、住居、教育、雇用の機会を制限されるなど、根深い社会的差別の被害者となることが多かっ た。差別は依然として広範囲に及び、そのほとんどが主な大都市圏以外の地域であった。

 差別に対する法的な保護措置にもかかわらず、大勢の韓国・朝鮮人、中国人、ブラジル人、およびフィリピン人の永住者は、その多くが日本で生まれ育 ち、教育を受けていたが、住居、教育、および雇用の機会の制限など、さまざまな形で、根深い社会的差別を受けた。日本国民の間で、「外国人」(その多くは 日本で生まれた民族に基づくマイノリティー)が犯罪のほとんどを起こしているとの認識が広がっていた。法務省の統計によると、 不法入国および不法滞在のような犯罪を除外すると、「外国人」の犯罪率は日本国民の犯罪率より低いにもかかわらず、マスコミがこのような認識を助長した。 帰化した日本国民を含む長期の外国人居住者は、時折差別を受けており、特に警察から差別を受けたとして、差別の標的となった事例を引き続き報告した。独立 した立場のオブザーバーは、外国人に見えるというだけで、警察が外国人に尿のサンプルの提出を求めたことが何度かあった、と報告した。

 多くの移住者は、帰化を阻む障害の克服に苦労した。そうした障害には、審査を行う担当官に広範な自由裁量が認められていること、日本語の能力が極 めて重視されることなどがある。日本に5年間継続して居住した外国人は、帰化および国籍取得の申請資格を与えられる。また、帰化手続きには厳しい身元調査 が必要であり、申請者の経済状態や社会への適応状況なども調査される。日本政府は、この帰化手続きは、外国人が社会にスムーズに同化できるようにするため に必要であると主張した。

 永住権を持つ、あるいは日本国民となった韓国・朝鮮人は約60万人いた。一般的に、社会がこうした人々を受け入れる状況は着実に改善されつつあっ た。その結果、日本に帰化を申請した、あるいは申請が許可された韓国・朝鮮人の数は引き続き増加した(年間約1万人)。帰化しないことを選択した韓国・朝 鮮人は、公民権や選挙権の面で困難に直面した。

 一部の民族学校の代表は、自らの学校を教育機関として認定し、その高校の卒業生に大学や専門学校の入学試験受験資格を認めるよう、引き続き政府に 求めた。文部科学省は、日本の小・中・高12年間の学校制度と同等と認められる民族学校の卒業生は、大学あるいは専門学校の入学試験を受けることができ る、と述べた。

 裁判所は、北朝鮮関連団体による市民会館および市の施設の使用を拒否するという市当局の決定を差し止める判決を下した。特に北朝鮮のミサイル発射実験の後、朝鮮・韓国人に対する散発的な脅迫や暴力行為が続いた。

先住民

 アイヌは、他のすべての国民と同じ権利を享受したが、明らかにアイヌであると識別されると差別を受けた。2008年6月に、国会は全会一致で「ア イヌ民族を先住民族とすることを求める決議」を採択した。8月に政府は、「アイヌ政策のあり方に関する有識者懇談会」の後継として、アイヌ政策を開始・実 施・推進する省庁間組織であるアイヌ総合政策室を設置した。1997年に制定されたアイヌ文化振興法は、アイヌ文化の保存を重視しているが、土地の所有 権、国会と地方議会でのアイヌへの議席の割り当て、アイヌ民族に対する政府の謝罪など、一部のアイヌ団体が要求していた条項は含まれていない。

 国連人権委員会は2008年10月、日本政府に報告書を提出し、アイヌと琉球民(沖縄と鹿児島県の一部の住民を指す言葉)の両方を先住民族として 認定し、それらの文化や伝統の保護・振興を支援するよう勧告した。日本政府は、「琉球民・沖縄住民」を先住民族と認定しているかどうかにかかわらず、政府 の沖縄開発・振興計画に沿って、沖縄の伝統を保存・促進し、その文化を振興する努力をしてきた、と回答した。

その他の社会的虐待、差別、性的指向および性同一性に基づく暴力行為

 ホモセクシュアルを犯罪とする法律も、性的指向に基づく差別を禁止する法律もない。しかし、ゲイ、レズビアン、バイセクシュアル、およびトランス ジェンダーの人々を擁護するNGOは、そのような人々がいじめ、嫌がらせ、および暴力行為によって苦しめられる場合があったと指摘した。

その他の社会的暴力または差別

 HIV・エイズ感染者に対する社会的暴力や差別の報告はなかった。

 多くの外国人の大学教授、特に女性の教授は、終身在職権のある外国人教授はほとんどいないとして、差別を受けていると不満を述べた。国立大学を含む大多数の大学は、ほとんど例外なく、終身在職権を得る可能性のない短期契約で外国人の学者を雇用した。

第7部 労働者の権利

a. 結社の自由

 法律は、労働者が事前認可あるいは過度の要件なしに、組合を結成し、自分が選んだ組合に所属することを認めており、日本政府は同法を効果的に執行 した。労働組合は、政府の統制や影響を受けなかった。しかし、これとは別の法律により、公務員の基本的な労働組合権は制約されており、組合結成には 「事前認可が実質的には要求されている」。全国の労働人口のおよそ18.1%が労働組合に所属していた。

 公務員および公共企業体の従業員を除き、労働組合が干渉されることなく活動することは法律により認められており、日本政府はこの権利を保護した。

 一般的に、民間部門の組合にはストライキをする権利があり、労働者は実際にこの権利を行使した。しかし、発電および送電、運輸および鉄道、通信、 医療および公衆衛生、郵便などの必要不可欠なサービスを提供する部門の労働者は、ストライキの10日前までに当局に通知しなければならない。公共部門の職 員にはストライキをする権利がないが、公共部門職員の団体に参加することができ、こうした団体が公共部門の雇用者と賃金、労働時間、その他の雇用条件につ いて包括的に交渉することができる。団体交渉協定を結ぶことはできない。

b. 団結権と団体交渉権

 団体交渉権は法律により保護されており、自由に行使された。しかし、公務員および必要不可欠なサービスを提供する労働者(全労働人口6650万人 のうち約5.5%)には、この権利が認められていない。さらに、法人格の形態を変更して持ち株会社制度に移行する企業が増加した。法律的には雇用者と見な されない投資信託「会社」も、より大きな役割を果たしているように見えた。企業形態の変化に加えて労働市場でも、企業活動に影響を及ぼす変化があった。全 労働者の約3分の1は非常勤または非正規雇用であり、団体交渉のために組合に参加することは難しかった。その結果、団体交渉を禁止されている公務員または 必要不可欠なサービスを提供する労働者である、法律的には雇用者と見なされない形態の企業で働いている、または団体交渉が困難な非常勤労働者である、など の理由で団体交渉権を享受することができない労働者の割合は、かなり高かった。

 組合に対する差別、またはその他の形での雇用者による組合活動に対する干渉は報告されなかった。労働基準法違反の事例がしばしば見受けられた短期 雇用契約の増加は、正規雇用の妨げになったばかりでなく、団結活動を妨げるものでもあった。2008年の公式調査によると、全労働者の34.5%が非正規 雇用の労働者であった。

 日本には輸出加工区はない。

c. 強制労働の禁止

 法律により強制労働は禁止されているが、そのような強制労働が行われたという報告が複数あった。人身売買被害者の大半は、仕事を求めて日本に移住 したものの、借金に縛られ、売春を強要された外国人女性であった(第6部参照)。日本に不法入国した労働者やビザの期限が切れたまま不法滞在した労働者に も、賃金不払いや低賃金を含む強制労働の危険があった。一部の企業は、外国人研修生を違法に残業させ、手当てを払わず、渡航書類を取り上げて移動を制限 し、給料を企業が管理する銀行口座に強制的に入金させた。日本の法律や法務省のガイドラインでは、こういった慣行を禁止している。日本政府は7月、「出入 国管理及び難民認定法」を改正し、最初の3カ月間のインターン期間に続く研修プログラムの初年度1年間に、労働関連法に基づく十分な保護を外国人研修生に 与えることとした。労働基準監督署は、職場が労働関連法に従っているかどうかを監視した。同監督署の通常の対応は警告や勧告を出すことであり、最も深刻な 事例を除き、通常は法的手段に訴えることはなかった。

d. 児童就労の禁止と雇用の最低年齢制限

 法律により職場における子どもの搾取は禁止されており、日本政府は法律を効果的に執行した。法執行の責任は厚生労働省にある。法律により、15歳 から18歳の子どもは、危険な、あるいは有害と指定される仕事でなければ、いかなる仕事にも従事することができる。13歳から15歳までの子どもは「軽労 働」であれば従事でき、13歳未満の子どもでも芸能界であれば働くことができる。人身売買および児童ポルノの被害者以外では、児童就労は問題にならなかっ た。

e. 許容される労働条件

 最低賃金は、都道府県および産業別に、労働者、雇用者、および一般市民の3者から成る審議会に諮問した上で、設定される。最低賃金が適用される雇 用者は、その最低賃金を表示しなければならない。最低賃金は広く順守されていると見なされた。都道府県により、最低賃金は、時給618円(約5.74ド ル)から739円(約6.54ドル)まで幅があった。最低賃金の日給は、労働者とその家族がある程度の生活水準を維持するのに十分であった。

 法律により、ほとんどの産業で労働時間は週40時間と規定されており、週40時間、または1日8時間を超えて働いた場合には、割増賃金を支払うこ とが義務付けられている。しかし、公務員を含め労働者が日常的に、法律で定められた労働時間を超えて働いていたことは、国民の広く認めるところであった。 労働組合は、政府が労働時間制限の執行を怠っている、と批判することが多かった。厚生労働省統計によると、2004年から2008年末までの間に、過労死 (働き過ぎによる死)の認定を求める遺族からの申請が1608件あった。厚生労働省は、このうち1576件について過労死の被害者であると公式に認定し た。

 日本労働組合総連合会によると、非常勤、契約社員、または非正規労働者を雇用する企業が増加している。こうした労働者は労働力の3分の1を占め、 低賃金で働いた。多くの場合、正規雇用の労働者より雇用の安定性や福利厚生が少なく、時には雇用条件も不安定だった。他の団体は、規制が変更され、この種 の労働が認められるまで、労働システムは硬直しすぎていた、と主張した。2008年4月に施行された改正労働者派遣法の表面上の目標のひとつは、大半が女 性である非常勤労働者に、賃金・研修面で正社員と平等な待遇を提供する、というものであった。しかし、その対象となるためには、非常勤労働者は、業務内 容、残業、転勤の面で正社員と同等でなければならない。実際には、このような要件を満たすのは、非常勤労働者のわずか4~5%にすぎなかった。

 活動家団体は、日本語や日本における法的権利をほとんど、または全く知らないことが多い違法に働く外国人労働者を、雇用者が搾取していると申し立 てた。法律により、学生は週28時間しか働くことができない。しかし、その大半を中国人が占める外国人留学生、特に私費留学生は、2つか3つの低賃金の仕 事を掛け持ちしており、その結果、程度の差はあるものの睡眠不足であり、それに伴い、けがや病気の危険が高まっていた。

 NGOやマスコミは、国際研修協力機構が監督する日本政府支援研修プログラムである「外国人研修」制度がしばしば悪用されている、と報告した。一 部の企業では、研修生が時間外手当無しで残業させられ、最低賃金未満の給料、または「研修」の初年度に支払うよう法的に義務付けられている給費額の水準す ら下回る給料しかもらっていなかったという報告があった。さらに、強制預金は違法であるにもかかわらず、研修生の給料は企業が管理する銀行口座に自動的に 入金された。NGOによると、研修生は渡航書類を取り上げられ、逃亡しないように行動が制限される場合もあった。2008年に法務省は、外国人研修生を受 け入れた452の企業その他の組織が、違法行為に関わっていたことを確認した。そのうちおよそ60%が、賃金や残業手当ての不払いを含む労働関連法違反で あった。しかし、決まりや法律に違反した企業に対する刑事罰は規定されていない。2006年だけでも労働基準監督署が1200件を超える労働関連法違反を 認定したにもかかわらず、過去3年間で労働目的の人身売買で有罪となったのはわずか2件であった。外国人労働者を支援するNGOと労働組合は、企業におけ る外国人労働者の処遇は全く改善されていない、と指摘した。国際研修協力機構の調査によると、2008年度に死亡した研修生は34人だった。そのうち16 人が、長時間労働が原因となることが多い脳疾患と心臓病で死亡した。過労死の専門家は、働きすぎで死亡した可能性が高いと述べた。

 政府が、労働安全・衛生基準を設定する。厚生労働省は、労働安全・衛生に関する各種の法律・規則を効果的に実施した。労働基準監督官は安全でない 操業を直ちに停止させる権限を有し、また法の規定に基づき、労働者は、雇用の継続を脅かされることなく職業安全について懸念を表明し、安全ではない労働環 境から離れることができる。